行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

生まれ出る苦しみ

2014年07月15日 | 禅の心
僧医として活躍されている対本宗訓師の言葉です。
 私たちは忘れておりますが、赤ちゃんはあの狭い産道を通ってこの世に誕生いたします。アメリカの学者さんがこの研究をやっていて、胎児が、産道を潜って出てくるというのは本人にとって非常に辛い、苦しい体験なのだそうです。法律的な命の始まりは出産の直後からなのですが、実は赤ちゃんはおなかの中でいろいろなことがちゃんと分かっていて、出産のときの苦しい、辛い体験は後々の人格形成に非常に大きな影響を与えるものだというのです。
 このアメリカの学者さんの研究は、私たちの仏教でいう生まれ出る苦しみと正に響きあっていると思うのです。ですから、帝王切開で生まれる子もこれは別の意味で生まれる苦しみはあるわけで、普通に分娩される子とこのことについては勿論同じなのです。赤ちゃんと一身同体にあるお母さんは非常に大変で、しかし、この苦しみには耐えられるのです。なぜかというと、苦しみの理由が分かっているからなのです。辛い、苦しい思いも、赤ちゃんを生む為の、新しい命を世に生み出す為の苦しみだと分かっているし、そしてその苦しみは、大きな喜びに変わると分かっているからこそ耐えられるのです。
 それが、病気一般ではどうでしょうか?
 どこまで行けばこの病気は良くなるのか、どこまで行けばこの辛い思いから開放されるのか、どうしてこの病気を今自分が患うのか分からない。それが更に苦しみを増幅させてしまう。
 ですから、私たちの生老病死は、私たち自身に実にいろいろなことを教えてくれます。生まれ出た赤ちゃん一個の「いのち」がだんだん成長していって、生老病死しますから病気にもなる。怪我をすることもありましょう。身体だけではないから、心の中にもいろんな葛藤を抱えたり、或いは傷を受けてトラウマになったりといろんなことがあるでしょう。そして次第に年老いて最後は死を迎える。どんな人間でも生老病死、必ず生まれ出る苦しみから始まって、最後は死の苦しみに向き合わなければいけないのです。お釈迦さまはこれを「苦」といわれたのです。

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友松圓諦師が中道を語る

2014年07月11日 | 禅の心
釈尊が説かれた教えの根本は中道。中道とは正しい道。それだけではない。実際の人間生活に役立つ正しい道、現実に即した、空理空論ではない正道、それが中道。ところが、釈尊が亡くなって百年も経つと、仏教は思弁化した。坊さん達が暇になったんだね。これで釈尊の努力がふいになった。釈尊は形而上的、思弁的、観念的で抽象的になったウパニシャッド(古代インドの宗教)哲学を、形而下的、実践的、現実的にするべくつとめられたのにね。またひっくり返してしまった。それを見事に、再び現実化した人は誰か。知る人ぞ知るだね。法然上人です。
膝をつねって無理に目を覚まして念仏をしろというのではない。眠かったら寝なさい。目覚めたら念仏せよ。すばらしいね。ここに無碍(こだわりのなさ)がある。自然法爾です。中道とは、これをいう。

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「捨」ということ

2014年07月08日 | 空海 真言宗 金剛峯寺
 木村政覚師が鶯を捕まえようと寺の裏山に入っていった弟子を諫めて話したことばです。

 おまえたちは、鶯の鳴き声にひかれ、愛するあまりに、捕らえてわが所有にしたいために追い回したのであるが、それは大変な誤りである。鶯を愛するがゆえに、捕らえて籠に入れる。それは鶯にとって迷惑千万である。ちっとも愛することになっていない。もし本当に愛するならば、築山の植え込みの中で鳴いているのを、こちらの方からじっと見守ってやりなさい。愛というのは仏教では貪愛と言って、煩悩の一つに数えられている。「愛は奪う」と言って、愛すると自分の所有にしたくなる。所有せられて果たして愛されることになるのか。所有せられる方にしてみれば決して幸いではあるまい。むしろ迷惑である。所有せずに愛する。それが本当の愛である。仏教では所有しないで、相手を自由な立場に置いたまま愛するのを捨という。それは慈悲の極致である。無所得の愛、それが捨の精神である。

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平和の尊さ

2014年07月04日 | 禅の心
河野太通師の言葉です。

戦争や原発事故が起こって初めて罪が発生するのではない。

戦争前、事故前の平和な時に

何もしないこと、無関心でいることは

罪を犯しつつあることなのです。


戦争が起こっても自分とは関係がないと思っていると、いずれ自分の子供や孫が戦争にかり出されて、戦死してしまうことになります。権力者の子供や孫は戦争に行かず、一般庶民の子供や孫が戦争にかり出されてしまうのです。

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不殺生戒を貫こう

2014年07月01日 | 禅の心
○戦前は神道はもとより、仏教、キリスト教も「一殺多生」を掲げて戦争に荷担してきた。
○不殺生戒を説いている仏教が大事なことを忘れて戦争に荷担したことは悲しい事実じゃ。
○宗教者といえども権力者は怖いし、たてつくこともできなかったのだろう。
○戦前のことは反省して、宗教者は平和に向かって邁進していかなければならないのじゃ。

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