行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

お盆について

2021年08月13日 | 仏の心
33回忌を過ぎた人の墓は参る人もないものが多い。子どもは高齢になって参れない。孫は墓の場所を知らない。33回忌が区切りになるのはある意味合理的。

お盆は日本の祖霊信仰の行事で、亡くなって32年までの方をお迎えします。33回忌が終わった方は神様として正月にお迎えすることになります。

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雑感

2021年08月10日 | 仏の心
「頭のいい人は○○をしている(○○をやらない)」という記事に共感して真似をしても頭がよくなるわけではない。「一流の人は○○をしている(○○をやらない)」という記事に共感して真似をしても一流になるわけではない。

「中立」という言葉は要注意!暴力と非暴力の中立はないし、差別する人と差別される人の中立はありえない(この場合の中立は傍観者で差別する人に加担していることになる)イソップの「卑怯なコウモリ」にならないように気をつけたい。

私は、「真理」「真実」「目覚める」「みんな無知だ」「あなたは洗脳されている」「まず知ることから始めよう」「自分の頭で考える」などの言葉は陰謀論や歴史修正主義と親和性が高く、取り扱い注意だと思います。(否定はしませんが。)陰謀論者や歴史修正主義者がよく使っている言葉だと思います。
「真理に目覚めた」というのはほとんどの場合、妄想である。観察して現実、事実を見つめることが大切である。

「騙されやすい人」も「騙されていないのに騙されていると言う人」もそんなに違いはない

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雑感

2021年08月06日 | 仏の心
世の中を悪くしているのは、人々の無関心だけではない。人々の劣化した感情が世の中に地獄を出現させてしまう。貪り、怒り、愚痴という劣化した感情が。

【阿弥陀の方からワシになる】
私は宗教に対して嫌な思いをしてきたので、宗教が好きなわけではありません。宗教は素晴らしいものだとも必要なものだとも思っていません。むしろ宗教に依存したり、宗教が元で争ったりすることが危険だと思っています。宗教は石膏の美術品の鋳型のようなもので、作品が完成すれば鋳型はいらないように、人間が完成すれば宗教は捨ててしまえばいいのです。というよりも美術品は鋳型そのものの本質を内在しているのですから、宗教がいらないというよりも、日々の生活が座禅であり念仏であり祈りであればいいのです。神や仏が自分の中にある状態と言ってもいいのかもしれません。これが才市さんのいう「阿弥陀仏の方からワシになる」ことで、華厳経の「事々無礙法界」ではないでしょうか。
ただ、才市さんのような心境になる人はまれで、私のような凡人にはとても到達できないことです。

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雑感

2021年08月03日 | 仏の心
【生死一如】頭で考えても決して生と死が一つなどとわかるわけがない。無意識の向こうにある阿弥陀仏の「光の永遠のいのち」は生であり死であるのだ。

広大な宇宙と無限の時間(大日如来や阿弥陀仏)の中にあっては生きているとか死んでいるとかは意味がない。仏の宇宙では今という瞬間が全てなのだ。

魔境とか野狐禅に陥ってしまうと、とにかく世の中の人々が愚かに見えて仕方がない。自分はスゴいと思うことは自分の破滅への第一歩なのだ。哲学者や宗派の管長さんの中にも魔境に入っている人はいる。

【忘己利他 自利利他】他人に病気をうつさないように心がけることが結局は病気から自分を守ることにもなる。(もちろんそうならない場合もあるが)

自分は人にものを教える立場だと思ってプライドが高い人よりも、自分以外はみな先生だと思って素直に学ぶことのできる人こそ賢者である。

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