軍神広瀬中佐 杉野兵曹長銅像
軍神広瀬中佐及び杉野兵曹長の銅像は 万世橋に存在したそうです 撤去されたのは昭和22年
広瀬武夫(ひろせ たけお 1868年7月16日(慶応4年5月27日) - 1904年(明治37年)3月27日)は、日本の海軍軍人
日露戦争でのエピソードで知られ、特に戦前は「軍神」として神格化された
『廣瀬中佐』の歌
1.轟く砲音(つつおと)、飛来る弾丸(だんがん)。荒波洗ふ デッキの上に、 闇を貫く 中佐の叫び。 「杉野は何処(いずこ)、杉野は居ずや」。
2.船内隈なく 尋ぬる三度(みたび)、 呼べど答へず、さがせど見へず、 船は次第に 波間に沈み、 敵弾いよいよあたりに繁し。
3.今はとボートに 移れる中佐、飛来る弾丸(たま)に 忽ち失せて、 旅順港外 恨みぞ深き、 軍神廣瀬と その名残れど
杉野 孫七(すぎの まごしち、1867年1月24日(旧暦12月19日) - 1904年3月27日)は大日本帝国海軍軍人
日露戦争での広瀬武夫とのエピソードで知られる
死体が発見されなかったことから生存説がその死の直後から流れていた
日本人が多く暮らした満州では特にその手の噂が多く、甘粕正彦の元で特務機関に所属していたという奇説もある
三人の人物のポストカ-ド ブロマイドのようです
宗像 政(むなかた ただす、嘉永7年1月(1854年) - 大正7年(1918年)2月7日)は、日本の政治家
衆議院議員および貴族院議員、県知事
閑院宮(かんいんのみや)、四世襲親王家の一つで、江戸時代中期に東山天皇の皇子、直仁親王が創設した宮家
阪谷 芳郎(さかたに よしろう、文久3年1月16日(1863年3月5日) - 昭和16年(1941年)11月14日)
日本の大蔵官僚 子爵で法学博士 大蔵大臣
1941年4月には、紀元二千六百年奉祝事業に尽力したことが功績とされ、子爵に陞爵した