【従軍慰安婦】まだ韓国の大統領がこれについてゴタゴタいっている。あの国は大統領を辞めたら逮捕・投獄される国だ。もう実兄が不正蓄財で捕まっている。国の指導者に選挙されたら、「皇帝に選ばれた」と思い、王朝を始める国だ。日本に併合を申し入れた李王朝の最後の皇帝の頃と、ちっとも変わらない。
手許の山本武利編『米軍による日本兵捕虜写真集』(青史出版, 2001)に「朝鮮人慰安婦」の写真が2枚載っている。
撮影日付と場所は、1945/4/21, 沖縄座間味島。キャプションに「日本人によって島に連れてこられた朝鮮人<ゲイシャガール>」とある。縁側に座って笑っているところと、半身のアップだが、着衣と髪型が違うので別人と見られる。二人ともにこやかに笑っている。
これは編者が米国立文書館の写真を利用したもので、文書番号も付けられている。
座間味島は、島民の集団自決があったとされる渡嘉敷島の隣の島である。慶良間諸島には3月25日から米軍の艦砲射撃が始まり、27日に上陸開始、29日に米軍は渡嘉敷、座間味を完全占領している。特攻艇「震洋」を擁していた陸軍は、結局戦わなかった。
どうしてこの「慰安婦」の写真が「戦争捕虜」のなかに入っているのか不思議だが、写真説明を信じるかぎり「朝鮮人慰安婦」がいたことは間違いないだろう。それが強制連行かどうかが、問題となる。国立公文書館の番号が明示してあるので、元写真を探し、それにつけられた英文説明書を見れば、この女性の氏名も明らかにできるはずだ。出身地もわかるかも知れない。
手許に、吉田清治『私の戦争犯罪:朝鮮人強制連行』(三一書房, 1983/7)がある。その付録に講演録「私は朝鮮人慰安婦を徴用した」が収められている。
三一書房は共産党系の出版社である。諸悪の根源は、この吉田という大ペテン師で、「罪の告白」が金になると知ると、つぎつぎと作り話をこしらえて、左翼の集会でしゃべり、本を出しては売って行った。
これを真に受けたのが「朝日」で、時もあろうに、宮沢総理大臣の訪韓に合わせて、「慰安婦強制連行」記事を一面で大々的にスクープした。ネタはこの吉田本と本人の話である。
その後「河野談話」出て、畑郁彦などが調査と聴き取りにより、事実無根を証明、吉田の「あれは小説だ」という発言を引き出したが、後の祭りで、今日まで尾を引いている。
要するに、大騒ぎをしたくせに、事実関係を地道に調査し、検証するということは、「朝日」を含め、どのメディアもやっていないのである。
WIKI「従軍慰安婦」にはこうある、
<日本ではこの問題の報道を『朝日新聞』が主導した。吉田の証言を紹介し、韓国の元慰安婦が名乗り出たこと、慰安所に対する旧日本軍の関与を示す資料が見つかったことなどと大々的に報じた。それらの報道は韓国でも伝えられ、反日感情が高まり、慰安婦問題は日韓の政治問題となっていった。
1992年 、反日デモが高まる中、訪韓した宮澤喜一首相は盧泰愚大統領との首脳会談で慰安婦問題について謝罪し、真相究明を約束する。政府の第一次調査では「軍の関与」は認めたものの、「強制連行」を立証する資料は無かったとしたが、反日世論の中で韓国政府が受け入れなかったため、1993年、第二次の調査を行ない、その結果発表の際に、河野洋平官房長官がいわゆる「河野談話」を発表。慰安婦の募集について「官憲等が直接これに加担したこともあった」、「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。」として、旧日本軍による強制連行を認め、反省とお詫びの意を示した。これにより、平成六度版の高校歴史教科書から、韓国政府から強く要請されていた慰安婦の記述がなされるようになり、やがて、中学校の歴史教科にも及び、ほとんどの歴史教科書で慰安婦についての記述が掲載されるようになって行った。>
山崎正和がいうように「歴史の真実と政治の正義」を区別しておけば、こんなバカなことにはならなかった。
手許の山本武利編『米軍による日本兵捕虜写真集』(青史出版, 2001)に「朝鮮人慰安婦」の写真が2枚載っている。
撮影日付と場所は、1945/4/21, 沖縄座間味島。キャプションに「日本人によって島に連れてこられた朝鮮人<ゲイシャガール>」とある。縁側に座って笑っているところと、半身のアップだが、着衣と髪型が違うので別人と見られる。二人ともにこやかに笑っている。
これは編者が米国立文書館の写真を利用したもので、文書番号も付けられている。
座間味島は、島民の集団自決があったとされる渡嘉敷島の隣の島である。慶良間諸島には3月25日から米軍の艦砲射撃が始まり、27日に上陸開始、29日に米軍は渡嘉敷、座間味を完全占領している。特攻艇「震洋」を擁していた陸軍は、結局戦わなかった。
どうしてこの「慰安婦」の写真が「戦争捕虜」のなかに入っているのか不思議だが、写真説明を信じるかぎり「朝鮮人慰安婦」がいたことは間違いないだろう。それが強制連行かどうかが、問題となる。国立公文書館の番号が明示してあるので、元写真を探し、それにつけられた英文説明書を見れば、この女性の氏名も明らかにできるはずだ。出身地もわかるかも知れない。
手許に、吉田清治『私の戦争犯罪:朝鮮人強制連行』(三一書房, 1983/7)がある。その付録に講演録「私は朝鮮人慰安婦を徴用した」が収められている。
三一書房は共産党系の出版社である。諸悪の根源は、この吉田という大ペテン師で、「罪の告白」が金になると知ると、つぎつぎと作り話をこしらえて、左翼の集会でしゃべり、本を出しては売って行った。
これを真に受けたのが「朝日」で、時もあろうに、宮沢総理大臣の訪韓に合わせて、「慰安婦強制連行」記事を一面で大々的にスクープした。ネタはこの吉田本と本人の話である。
その後「河野談話」出て、畑郁彦などが調査と聴き取りにより、事実無根を証明、吉田の「あれは小説だ」という発言を引き出したが、後の祭りで、今日まで尾を引いている。
要するに、大騒ぎをしたくせに、事実関係を地道に調査し、検証するということは、「朝日」を含め、どのメディアもやっていないのである。
WIKI「従軍慰安婦」にはこうある、
<日本ではこの問題の報道を『朝日新聞』が主導した。吉田の証言を紹介し、韓国の元慰安婦が名乗り出たこと、慰安所に対する旧日本軍の関与を示す資料が見つかったことなどと大々的に報じた。それらの報道は韓国でも伝えられ、反日感情が高まり、慰安婦問題は日韓の政治問題となっていった。
1992年 、反日デモが高まる中、訪韓した宮澤喜一首相は盧泰愚大統領との首脳会談で慰安婦問題について謝罪し、真相究明を約束する。政府の第一次調査では「軍の関与」は認めたものの、「強制連行」を立証する資料は無かったとしたが、反日世論の中で韓国政府が受け入れなかったため、1993年、第二次の調査を行ない、その結果発表の際に、河野洋平官房長官がいわゆる「河野談話」を発表。慰安婦の募集について「官憲等が直接これに加担したこともあった」、「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。」として、旧日本軍による強制連行を認め、反省とお詫びの意を示した。これにより、平成六度版の高校歴史教科書から、韓国政府から強く要請されていた慰安婦の記述がなされるようになり、やがて、中学校の歴史教科にも及び、ほとんどの歴史教科書で慰安婦についての記述が掲載されるようになって行った。>
山崎正和がいうように「歴史の真実と政治の正義」を区別しておけば、こんなバカなことにはならなかった。
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