ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【書評に思う】難波先生より

2018-01-15 14:50:17 | 難波紘二先生
【書評に思う】1/8アップの「買いたい新書」No.406: ヴァイツゼッカー「言葉の力:ヴァイツゼッカー演説集」(岩波現代新書)http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/
がヒット数207万件に達した。グーグルだけでなくヤフーでも同じ数値に達しているから、桁数はまず間違いないだろう。
 (1/11にチェックすると、Google 59万件、Yahoo 210万件となっている。この数値の違いが何に起因するのか、私にはわからない。)

 週に1回の書評だから、No.406に達するまでに9年近くを要した。
 第1回の書評は、双葉十三郎「日本映画ぼくの300本」(文春新書, 2004)で2010/3に執筆している。当初は週2万件程度のPVしかなかったが、今や200万件を超えるまでに読者が増えて、感無量だ。

 誰でもそうかも知れないが、少年時代(小学校・中学校)は、ろくな図書室もなく、教師による読書指導もなかったので、読んだものは山川惣治、南洋一郎の冒険小説くらいしかなかった。(母の蔵書だった円本の「日本文学全集」にあった、菊池寛の「恩讐の彼方に」、「入れ札」などを面白く読んだ記憶がある。)
 純文学に取り組んだのは恥ずかしながら、高校に進学してクラスメートの読んでいる本を知ってからのことだ。宿舎の寮で下級生が、ヘッセ「デミアン」とか、ゲーテ「若きウェルテルの悩み」などを話題にしているのにも、大いに刺激を受けた。
 私の読書遍歴は当初、「小説愛好家」として出発した。最初は「ドイツ文学」を対象としていたが、やがてヴィクトル・ユーゴ、モーパッサンなどの「フランス文学」、トルストイなどの「ロシア文学」、ついでエドガー・アラン・ポーやマーク・トゥエインなどの「アメリカ文学」、クローニンやモームの「英国文学」などに向かった。

 戦前の学校制度は「6−5−3−3」制だった。小学校6年、旧制中学5年、旧制高校3年、大学3年で、合計17年を要した。(但し小学校には「五修」、中学には「四修」という飛び級制があったので、最短の場合、15年大学を卒業できた。戦後はこれが「6−3−3−4」制の合計16年に変わった。(但し6年制の医歯系学部では大卒までに18年かかる。今は薬学も6年制に変わった。)

 明治期の教育制度の変遷は目まぐるしいが、大正8(1918)年に施行された「新高等学校令」により、中高一貫制の高等学校が誕生した。(日本で最初に設置された国立高校は、設置場所、東京・仙台・京都・金沢・熊本・岡山・鹿児島・名古屋の順に「第一」から「第八」まで校名に番号が付せられており「ナンバリング高校」と呼ばれる。)
 中高一貫性の高校では、無試験で、あるいは学校の推薦で大学に入学できるという特典があり、世間では「大学予科」と呼んだという。(秦郁彦「旧制高校物語」、文春新書)
 旧制高校の寮歌やいわゆる「教養主義」はこの時代に開花し、昭和の初年(1930年代)になると、コミュニズムの凋落とナチズムの台頭により衰亡に向かったという。(高田理恵子「文学部をめぐる病」、松籟社)

 いささか脱線したが、旧制広島高校の後身である我が高校には、この「教養主義」の文化が陰に陽に残っていた。教室で勉強する奴は「ガリ勉」として軽蔑された。昼間は遊んでいて、夜にこっそり猛勉強して、テストで優秀な成績を収める奴が尊敬される、そんな文化だった。それを一種、粋がっていたのである。
 だから私も疎外されたくないから、せっせと図書館に通って文学書を中心に文庫・新書の類を借りてきては読んでいた。友だちの話に合わすためには、話題に出た本を読むのが一番だった。そういうわけで高校時代に文学小説の類は、日本・中国・西欧ともあらかた読んでしまった。
 大学の教養部に進学してからは、哲学・社会学・歴史・ノンフィクションや科学入門書のような本を主に読んだ。大学図書館の書籍は使いにくく、貸出期間が短いので、アルバイトの収入はたいてい本代に消えた。
 
 あれから50年以上が経ち、エクセルに入力済みの蔵書目録を見ると(福山のS先生が手伝ってくれているのだが)、やっと6400冊程にすぎない。未入力のものが、まだ2万冊くらいあるはず。入力済の本でも、初期のものは本棚の番号が書いてないから、すぐには探し出せない状況だ。床にまで本が平積みになり始めた。

 平均余命と健康余命を考えると、「とても全部は読み切れない」と思う。読んだのに内容をすっかり忘れた本もけっこうある。
 そろそろ蔵書対策を含めた「終活」を考えないといけない時期だ。
 書評No.450までに何とか方針を決めたいと思っている次第だ。


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