第5 「現状」の結果,原告らの権利が侵害されていること
患者が治療を受けるか受けないか,受けるとしてどのようなどのような治療を受けるかは,自己決定権の一態様として,憲法上重要な権利として保障されており,人が生命・健康を維持・追及する上で必要不可欠なものであるから,形式的・観念的に治療が受けられるというだけでは足りず,実質的・現実的に治療を受ける機会が確保されなければならない。
修復腎移植について言えば,現在,腎不全患者は,本件ガイドラインの改正により臨床研究という枠内でしか手術を受けられないが,かつては通常の生体腎移植として保険適用が認められてきた修復腎移植が,臨床研究によらなければ受けられなくなったこと自体が患者の治療を受ける機会を侵害していることは言うまでもない。また,上述のように,臨床研究の実施機関が徳洲会グループのみで,実施例もここ5年で14件に過ぎないという状況では,臨床研究によって修復腎移植を受けられることは奇跡的であり,腎不全患者が形式的に修復腎移植を受けることを観念できたとしても,実質的・現実的にみて修復腎移植を受けられる機会が確保されているということは到底できない。さらに,本件ガイドラインの改正により,修復腎移植は健康保険の適用を受けられなくなっており,臨床研究で修復腎移植を受けるとしても1件につき400~600万円ほどかかるが,経済的にこれを負担できる患者はわずかであり,このような観点からしても,実質的・現実的に患者の治療を受ける機会が確保されているということはできない。将来において徳洲会グループの先進医療の再申請によってこれが承認される可能性もない訳ではないが,もし先進医療として認められたとしても80万円を要する手術費は保険適用外であるため,修復腎移植を受けることのできる患者が今よりも増えることは期待できるものの,すべての患者に等しく修復腎移植を受ける機会が与えられているというには程遠い。
このように,腎不全患者らを取り巻く現状は厳しく,実質的・現実的にみて修復腎移植を受ける権利が保障されているとは到底いえない状況にある。そして,こうしている間にも,修復腎移植を待つ患者の命が次々と失われている。
患者が治療を受けるか受けないか,受けるとしてどのようなどのような治療を受けるかは,自己決定権の一態様として,憲法上重要な権利として保障されており,人が生命・健康を維持・追及する上で必要不可欠なものであるから,形式的・観念的に治療が受けられるというだけでは足りず,実質的・現実的に治療を受ける機会が確保されなければならない。
修復腎移植について言えば,現在,腎不全患者は,本件ガイドラインの改正により臨床研究という枠内でしか手術を受けられないが,かつては通常の生体腎移植として保険適用が認められてきた修復腎移植が,臨床研究によらなければ受けられなくなったこと自体が患者の治療を受ける機会を侵害していることは言うまでもない。また,上述のように,臨床研究の実施機関が徳洲会グループのみで,実施例もここ5年で14件に過ぎないという状況では,臨床研究によって修復腎移植を受けられることは奇跡的であり,腎不全患者が形式的に修復腎移植を受けることを観念できたとしても,実質的・現実的にみて修復腎移植を受けられる機会が確保されているということは到底できない。さらに,本件ガイドラインの改正により,修復腎移植は健康保険の適用を受けられなくなっており,臨床研究で修復腎移植を受けるとしても1件につき400~600万円ほどかかるが,経済的にこれを負担できる患者はわずかであり,このような観点からしても,実質的・現実的に患者の治療を受ける機会が確保されているということはできない。将来において徳洲会グループの先進医療の再申請によってこれが承認される可能性もない訳ではないが,もし先進医療として認められたとしても80万円を要する手術費は保険適用外であるため,修復腎移植を受けることのできる患者が今よりも増えることは期待できるものの,すべての患者に等しく修復腎移植を受ける機会が与えられているというには程遠い。
このように,腎不全患者らを取り巻く現状は厳しく,実質的・現実的にみて修復腎移植を受ける権利が保障されているとは到底いえない状況にある。そして,こうしている間にも,修復腎移植を待つ患者の命が次々と失われている。
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