【挺身隊】
亡父は戦争中に「比治山高等女学校(現・比治山大学)」というところで教鞭をとっていたことがある。最近ある方から、「同窓会1期生」の会報を見せていただいたら、そこに戦争中の思い出として「みんな動員やら、挺身隊に出て行った」という父の文章があった。
まさか身内が書いた文章に「挺身隊」が出てくるとは思わなかった。韓国や「朝日」がいう(いった)ように、「女子挺身隊」=従軍慰安婦であるとすれば、比治山高女の生徒たちは軍隊相手の性サービスに行かされたことになる。
これはいくらなんでもありえない!
父は「私も還暦を過ぎました」と書いているが、雑誌の刊行日は「昭和40(1965)年11月1日」となっている。つまりこの頃には、まだ「女子挺身隊」が何かをちゃんと覚えている人がいくらでもいたことになる。1965年には韓国政府(朴正煕大統領)との間に「日韓基本条約」が締結され、国交正常化と賠償問題が決着している。
吉田清治のウソで塗り固めた「私の戦争犯罪:朝鮮人強制連行」(三一書房)が刊行されたのが1983年7月。つまり、日韓国交正常化の18年後には、「朝日」などにより、ペテン師のウソが横行するようになった。
呉善花「朴槿恵の真実:哀しき反日プリンセス」(文春新書、2015/8)読みなおしたら、「産経」加藤記者が「ネット記事で名誉毀損した」とされた朴槿恵をめぐる個人情報が、韓国紙の引用を元に全部書いてあった。彼女は済州島出身で、日本に帰化しているが「危険人物」として、一時帰国すら拒否されている。
韓国与党が総選挙で大敗し、少数与党に転落したが、裏には「百済・新羅・高句麗」の地域対立がいまだに尾を引いていることがよくわかった。
「忘却」と「思い込み」が重なると、とんでもないことが起こる、とつくづく感じた。
亡父は戦争中に「比治山高等女学校(現・比治山大学)」というところで教鞭をとっていたことがある。最近ある方から、「同窓会1期生」の会報を見せていただいたら、そこに戦争中の思い出として「みんな動員やら、挺身隊に出て行った」という父の文章があった。
まさか身内が書いた文章に「挺身隊」が出てくるとは思わなかった。韓国や「朝日」がいう(いった)ように、「女子挺身隊」=従軍慰安婦であるとすれば、比治山高女の生徒たちは軍隊相手の性サービスに行かされたことになる。
これはいくらなんでもありえない!
父は「私も還暦を過ぎました」と書いているが、雑誌の刊行日は「昭和40(1965)年11月1日」となっている。つまりこの頃には、まだ「女子挺身隊」が何かをちゃんと覚えている人がいくらでもいたことになる。1965年には韓国政府(朴正煕大統領)との間に「日韓基本条約」が締結され、国交正常化と賠償問題が決着している。
吉田清治のウソで塗り固めた「私の戦争犯罪:朝鮮人強制連行」(三一書房)が刊行されたのが1983年7月。つまり、日韓国交正常化の18年後には、「朝日」などにより、ペテン師のウソが横行するようになった。
呉善花「朴槿恵の真実:哀しき反日プリンセス」(文春新書、2015/8)読みなおしたら、「産経」加藤記者が「ネット記事で名誉毀損した」とされた朴槿恵をめぐる個人情報が、韓国紙の引用を元に全部書いてあった。彼女は済州島出身で、日本に帰化しているが「危険人物」として、一時帰国すら拒否されている。
韓国与党が総選挙で大敗し、少数与党に転落したが、裏には「百済・新羅・高句麗」の地域対立がいまだに尾を引いていることがよくわかった。
「忘却」と「思い込み」が重なると、とんでもないことが起こる、とつくづく感じた。
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