ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【透析開業医】難波先生より

2017-11-15 16:52:27 | 難波紘二先生
【透析開業医】
 医師専用サイトM3に、診療報酬の引き下げを巡る財務省の方針について、ある透析ひとり開業医の投稿が載っていた。興味深いので要旨を紹介したい。
<ある透析開業医:
透析医院を開業して25年、診療報酬は常に下げられてきた。
しかし、売り上げは何とか7億ぐらいある。
患者数が伸びないときは前年比1億円ちかく減収の時もあった。

ひたすら患者数の増加でカバーして何とかやってきた。
だがもう限界。 70歳近くなり医院を拡張するには気力も資金もいる。
私一人では診きれない。
資金を回収するころには介護老人になってしまう。>

 日本の腎移植が増えないから、みな透析開業医になったのです。
 いつまでも「透析が儲かる」と信じて。
 これが「透析利権」の実態です。

 この医師は泌尿器科医のようですが、医師免許があれば何科を標榜しても構いません。
 そのうち「内科・泌尿器科」の看板を上げる可能性があると思いました。
 コンクリートの建物は耐久60年で、改造ができないという欠点があります。

 木造は耐久20年ですが、建て増し・改造が可能という常識があるかどうかが、
 問題になります。あと、公共交通機関の利便性、優れた医師のいる紹介先を知っているかどうかが、
運命の分かれ目になるように思います。


 時代とともに病気の主体は変わります。
 戦後すぐは産婦人科医の時代でした。出産と中絶が多かったから。
 車社会になると「むち打ち症」が流行し、外科・整形外科が儲かりました。
 今は糖尿病の時代で、糖尿病内科が儲かっています。
 「医薬分業」が進み、スーパーの薬局では高い調剤料を請求するところもあります。


 私は医学生時代に恩師飯島宗一先生から「金もうけがしたいのなら、トラックの運転手になれ」と
病理学の講義で教えられました。当時、1970年代は高度成長が続いていて、ダンプカーや大型トラックの運転手はきわめて高給でした。

 飯島先生はひらの教授(学生部長だったが、評議員も学部長も経験なし)から、いきなり広島大の学長に選出された人です。
 本当に心の広い方で医学部封鎖をした医学生連中が、行き場がなくて病理教室を頼ってくると、全員受け入れられ、大学本部を封鎖し、火炎瓶を投げて、私の高校母校の木造校舎を炎上させた全共闘学生が内ゲバで重傷を負うと、こっそり名大卒の外科開業医に紹介されました。
さらに母校名古屋大学の学長も務められました。(この間、名大は病理学教授を空席のままにしていました。)

 厚労省は「病理医の技術料」は引き下げない方針のようです。
 日本病理学会は文科省の管轄下にあり、厚労省は「医療における病理診断・細胞診・骨髄生検診断」の重要性をよく理解してくれるようになったからです。
 私は「病理標榜科」を実現させるために、学会事務局を東大の外に移し、まず学会を法人化させました。堤寛さんたちが法人内に「病理医部会」を立ち上げ、これで厚労省とも縁ができました。

いま午前9時半、
外気温7度、室内気温12度、湿度55%と寒いですが、厚着をして寒さに耐えています。
今日は病院に受診する日で、10時過ぎに家を出ます。今日も断続的に陽光が射しています。


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