ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【汚職】難波先生より

2012-10-25 12:21:13 | 難波紘二先生
【汚職】「役人の子はにぎにぎをよく覚え」という江戸川柳がある。役人の汚職が横行した老中田沼意次時代のものだ。
 次の白川時代に綱紀粛正をやったら、「白川の清きに魚も棲みかねて、もとの濁りの田沼ぞ恋しき」という狂歌が出た。

 人間の本性はあまり時代によっても、国によっても変わらないらしい。10月24日の「中国」に北京発共同の中国人の「対役人意識」の世論調査結果が載っている。人民日報系の雑誌「人民論壇」が掲載したものだそうだ。サンプル数と回答率が明記されていないので、信頼できる情報ではないが、話のタネくらいにならなる。

 それによると、回答者の約70%が「党や政府の役人になりたい」と答えた。(共産党でも役職につけば、有給なのであろう。)
 「なりたい」と答えた人の70%が、「給与外収入の存在」(つまりワイロがもらえる)ことをあげたという。
 この傾向は、陝西省、四川省など中西部の開発が遅れている地方ほど高かったという。

 日本でも役人は「休まず、遅れず、仕事せず」の三原則を守っていれば、終身雇用で安定した給与が保証されるので、人気が高いが、「ワイロがとれる」を理由にあげる日本人はまずいないだろう。それは汚職であり、額にかかわらず犯罪だからだ。

 山中伸弥教授のノーベル賞受賞でかすんでしまったが、辻本豪三京大薬学部教授(逮捕時、辞職済み)が収賄でこの9月に起訴された。http://mainichi.jp/select/news/20120912k0000m040053000c.html

 辻本は
 http://ja.wikipedia.org/wiki/辻本豪三
 奈良県出身で、1978年、北海道大学医学部卒業。淀川キリスト教病院、東京女子医科大学脳神経センター、東京国立病院、スタンフォード大学への留学を経て、1984年、山梨医科大学薬理学教室助手、のち講師。1985年、信州大学から医学博士を取得。1989年、文部省在外研究としてアメリカ国立がん研究所へ派遣、1990年にメリーランド大学ボルチモア校の 招聘教授として滞在。1991年、国立小児病院(国立成育医療研究センターの前身)小児医療研究センターを経て、2002年、京都大学大学院薬学研究科教授、というめまぐるしいほどの職歴の持ち主です。

 厚労省の住友克敏の汚職は、大阪のコンタクトレンズ販売店の付置眼科クリニックに対する医療監査に「手心」を加えた見返りに、現金等を受け取っていたものですが、辻本の手口は、何億にも上る研究機材の納入を特定業者と「随意契約」し、金を支払い、業者からクレジットカードを受け取り、それを使用して飲み食いや旅行をし、新幹線のチケットを購入したりしていたようです。
 「預け金」といって、消耗品を買ったことにして、その代金を業者にプールさせる手口も使われたようです。

 これは会計年度内に、予算が全部消化しきれない場合に、役所や多くの大学研究者もやっていることです。これ自体は「手続き違反」ですが、2月で会計事務が締め切られ、新年度予算は翌年度8月にならないと使用可能にならないので、やむをえず行われている側面があります。しかしこれを私生活に流用したら、明らかに犯罪行為です。

 この事件に関して、「内部告発だ」、「無実だ」、「ゲノム創薬の第一人者を潰そうという米国の陰謀だ」という意見がネット上に出ているようですが、私はそれを疑います。大学卒業後、24年間に11箇所も職場を変わるというのは、どう考えてもおかしい。「渡り」じゃないですか。
 それで良い論文が書けたとしたら、捏造・盗用・データの改ざんなどがあるに違いありません。何で信州大学が医学博士号を出したのか、これも不思議です。まあ、森口尚史と似たような人物でしょう。

 というのも、「倫理観」というものはある問題(この件では研究費の不正使用と収賄)だけに限定して、逸脱が起こるものではないからです。詐欺師とか泥棒というものは、ある日突然に生まれるのではなく、少年少女時代に「ウソつき」、「手癖の悪い子」などとしてすでに認められます。(小学校教師を永くしておられる香川のI先生、いかがでしょうか? 福山のS先生、高校生にもレポートに平気でコピペする学生がいるのではありませんか?)
 その根本的倫理観に歪みがあるため、正義感覚が狂っており、捏造論文を書いたり収賄をしたり出来るのです。

 中江兆民は、喉頭癌で亡くなる直前にその哲学を「続一年有半」(「一年有半・続一年有半」、岩波文庫)に「ナカエイズム」と称して書き残していますが、「意志の自由と道徳的行為」の関係を論じた箇所は非常に名論です。

 「道徳的に正しい行為をするためには、<意志の自由による判断力>というようなあやふやなものには頼れない。正しい行為をするには、幼時よりの教育、平素の修養、平時から交際する友人の選択がきわめて肝要である。
 意志の自由とはやぶから棒に生じるのではなく、<平素習い来たったもの>を選択する自由があるというに過ぎない。過ちを少なくするには、このことを十分意識し、平素から修養を怠らないことだ。」と述べています。

「孔孟の国」というが、孔子は役人になりたくて、あちこちの国を流浪して歩いた人ですからね。言っていることとやったことはかなり違う。
今の中国国民の偉大なご先祖様でしょう。
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