昨日K氏に竿を見せた所、これは高級な竿だと言われた。
長く保管していたので、カビの様な粉も出ていた。
これを洗剤で洗って綺麗にし、水分を拭き取り陰干しを男子部屋でやろうと並べた。


所でこの竿はなんだろうと調べた。
1つの竿の袋からメーカーが分かった。
東京のいなり町の東作本店の物だった。
何種類かの竿が有るのがだが、ヘラブナ釣り用と他にはリールを付けられる竿もあった。

カタログを見て見た。


結構高い値段の物もある。
もう少し使い道を調べないと、何に使うのか分からないな。
後、3週間もすれば相当暖かくなるだろう。
バイクを家から出して、バイク庫に移動しなくてはならない。
バイク庫とBBQコーナーの間はカーテンで仕切っているが、ここに工具置き場を作りたい。
先ずは貰った仕切りを仮に置いてみた。


ここに棚とかを設けて工具を置き整備がしやすいようにする。
午後からはやることもないので本を読む。
「地図をつくった男たち」だ。
この中で函館に関する内容があった。
歌人石川啄木のお墓の事だった。
啄木も地図には興味が有ったそうだ。
啄木一族の墓は当初、「啄木石川一々族之墓」と「東海の小島の磯の白浜にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」の墨で書かれてた木標だった。
それが大正15年に義弟の宮崎郁雨によって新しい墓碑が建立された。
その型が測量技術者にはゆかりの、樺太の「日露国境天測標石」だった。
この標石は表が菊花紋章、裏にはロシアの双頭鷲紋章が描かれてある。
啄木は樺太と言う1つの島が人間の意欲のままに南北に2分され、それぞれが別個の物として扱われる事の不条理。
難しい表現で私には分からないが、啄木の哲学とこの標石の関連性から、墓石のモデルとしたそうだ。


難しいことは分からないが、啄木一族の墓は「日露国境天測標石」がモデルであったことは分かった。