も~さんブログ

日常の生活を書いています。

5月25日 パークゴルフだが手首は?

2022年04月25日 | 日記
バイクを出そうと外に出て、ふと見たらカブの鍵が落ちていた。
もう1週間も探していた。
家の周辺か家の中にある事は間違いない。

この辺りも探したが見つからなかった。
恐らく車の下になっていたのだろう。
今日、車の位置がずれたために見つかった。
スペアは2個あるので取りあえずは良いのだが、このキーにはアクセサリーが付いている。
見つかって良かった。

朝一で桜ヶ丘通りの桜を見に行く。
自遊旅から3~4分の所の市街地の通りだ。
最近ここが人気で市外からも多くの人が訪問している。
行ったらもうカメラマンも来ていて写真を撮っていた。
桜はほぼ満開になっていた。


この後大門グリーンプラザに行く。
ここには月光仮面の像がある。


自遊旅に帰って雑用をこなして実家に行く。
今日はパークゴルフの日なのだ。
左手首は痛みが殆んど無くなった。
それでも不安があるので、100均でサポーターと包帯を購入し、がっちり固定した。

実家に行ったら妻が居ない。
パークゴルフの回数券と4時半まで帰るようメモがある。
今日は練習日なので、左手首をかばいながら軽くやろうと思っていた。
何時ものグループ分けしてスタート。
1打目は手首が不安で軽く打ったので、かなりショートした。
その後も手首を気にしながら回ったが、手首の痛みは感じないので、本気モードになってきた。
結局トータル110で終わった。
でも今期初のホールインワンを記録した。
皆が集まってスコアの見せあい。
1位がKud氏で108、2位がKur氏で109、3位が私で110、4位がFu氏で112と何時もながらの接戦だ。
その後初の男女ペアゲーム。
1位は私のペアになったようだ。
コースには綺麗な桜も咲いていた。











4月24日 函館市街地の桜巡り

2022年04月24日 | 日記
知床で観光船が遭難して、今日数人が発見されたが、死亡が確認されている。
強風注意報が出ている中の出港で、あり得ないと言われてる。
さらに船首部分は出港するときから亀裂が入っていたと言う証言も出ている。
実は私も32年前、函館どつくが不況になり、希望退職を募集したのでそれに応募した。
そして6ヶ月知床半島で鮭マスの漁師をしていた。
遭難場所のカシュニの滝の下側に19号番屋があるが、その側に番屋があった。
良く観光船から熊が見えたと言う場所なのだ。
熊は毎日番屋に来ていた、5~6m近くまで来ていたが、皆普通に仕事をしているのには最初は驚いたが、その内自分も慣れてしまった。
この辺りの海岸は岩場で、船を出すときは波の周期を船頭が見て、ここだと言うとき一気に船外機を回し、ロープを目一杯引っ張る。
タイミングを逃すと岩に叩きつけられるのだ。
漁師も白波が立って居れば絶対出なかった。
注意報が出ている時はもちろん出ることはない。
今回の事故で昔の思い出が甦った。


21日に桜の開花宣言が出た。
函館は満開まで3日だと言うので、今日はもう24日なので、満開になっているかもしれない。
朝手首の痛みは大分良くなり、物を強く握る事も出来るようになった。
バイクのグリップを握ったが大丈夫そうだ。
早速桜巡りに出発する。
先ずは立待岬の入口にある住三吉神社。
社殿は高い場所にあり、そこに至る道の両側にはソメイヨシノが植えられている。
70%くらいの開花だろう。
1組のカップルも写真を撮りに来ていた。


次に函館公園に行く。
ソメイヨシノが400本ある。
函館公園は市民の手で作られた、日本で最初の公園だ。
流石に人が多い。
中央の広場には相当数の屋台が出ている。
公園内では花見の飲食禁止になっているが、屋台で購入した物は良いのか?
今から50年前になるが高校を出て函館どつくの設計に勤務した。
課で花見のある日は課長の指示で、昼に数人で花見の場所取りに行く。
テープを張って、ブルーシートを敷いて、会社が終えて先輩たちが来るのを待っていた。
これが自分の後輩が入るまで何年も続いた。
懐かしい思い出だ。






次に元町水源地に行く。
ここはまだ3分咲きくらいだった。



元町公園は1本しか無いが、公会堂をバックにすれば良い写真が撮れる。


ペリー広場はソメイヨシノと八重桜がある。
ソメイヨシノは満開になっていた


そして人気の五稜郭に行く。
車があふれていた。
バイクは簡単に置けるので良い。
ヘルメットを脱いで、見学に行こうとしたら、60代くらいの男性に声を掛けられる。
「凄い古いカブだね。格好良いな」と言う。
「39年前のカブで、農家の物置に眠っていたそうです」
「いや~桜を見るより良いよ」と楽しそうに話す。
余程バイクが好きなんだな。
しばらくバイク談義をする。




下の松の場所は土饅頭の上にあり、土方歳三が仮埋葬されていたとの場所だ。



下の写真は石垣に永栄と書かれている。
建設したとき五稜郭の繁栄を願って書かれたものなのだろう。
この場所を知る人は少ない。

北に向かって未来大学の桜は全くの蕾、新中野ダム公園も咲いていない。

他に笹流れダムの桜も咲いていなかった。
それほど広い町でも無いのに、北と南では開花状況が随分違う。
後は、大門グリーンプラザ、桜ヶ丘通り、トラピスチヌ修道院、市民の森に桜がある。
明日にでも行って見よう。
午後からパークゴルフがあるのだが、クラブは持てるが、痛みが無く打てるかな。
やって見て駄目だったら止めよう。
明日は練習日なので、公式記録にはならない。







4月23日 手首痛は大分良くなった

2022年04月23日 | 日記
手首の痛みは大分和らいできた。
食器も持つ事が出来き洗うのも楽になった。
ギターは弾けるのかやってみたら、簡単なコードは押さえるが、難しいのは痛くて十分に押さえられない。
今日もずっと湿布と鎮痛剤で過ごす。
和裁の方は襟を作り、身頃に付けた。


午後からはファイターズの野球をテレビで観戦する。
敗戦だ。
明日は手首痛は良くなりそうなので、カブで市内の桜見物にでも行きたいな。
一番人気の五稜郭公園、昔からの人気の函館公園、最近人気の近所の桜ヶ丘通り、元町水源地、住三吉神社、函館水源地、函館八幡宮、元町公園、ペリー広場、大門グリーンプラザ、梁川公園裏、トラピスチヌ修道院、見晴公園、史跡四稜角、笹流れダム、新中野ダム、函館未来大学、さらに香雪園と市内の近場だけでこんなにある。
手首の調子を見て、函館市の遠方や北斗市の辺切地公園、法亀寺等にも行きたい。
早く直したいな。


4月22日 手首の痛みは少しは和らいだ

2022年04月22日 | 日記
今朝は手首の痛みが大分和らいだ。
手の甲もぷっくり腫れている。
痛みは和らいだが物を握るまでいかない。
皿を持つのもようやくだ。
食器を洗うとき持てないので、シンクに押し付けて洗う。
さて何かやらないと時間が勿体ない。
今までやろうと思っていた和裁をやろうとなって、昨日から採寸をしていた。
今日は袖の製作から始める。
午前中掛かってようやく出来た。

午後から前部の身頃と後部の身頃を裁断して縫い合わせる。
袖付けが裏表逆になって苦労したが、つけ直して何とか完成した。
これで今日の作業は終わった。
急ぐことも無いので明日もやろう。
後は襟付けだ。

函館の桜が明日から満開になるので、手首が治ったら桜巡りをしたいな。














4月20日 手首が痛い

2022年04月20日 | 日記
昨日の朝から痛かった左手首が相変わらず痛い。
今日も皿を持てないくらい痛い。
ズボンを上げるのも力が入らなくて上げられない。
月曜日のパークゴルフのせいだと思うのだが、パークゴルフを終わった後には全く違和感が無かった。
骨折はしていないようなので、ひたすら塗り湿布薬や貼る湿布薬で治療している。
自転車は左手がブレーキなので乗れないが、バイクは右手が主なので乗れる。
100均に行ってカードホルダー、ペイント、焼きプレート、プラボトル等を買ってくる。

パークゴルフ仲間が、カップに入ったボールを拾う道具が壊れたと言う
買ったばかりなのにベンチに引っかけて糸が切れた。
この道具は腰に付けておいて、ボールを拾うとき、先端を伸ばしてボールを拾うのだ。
膝が痛い人には有効なツールなのだ。
代用に使うのが100均のカードホルダーだ。
胸に付けたカードが伸ばせるようになっている。
その部分を流用するのだ。
1時間も掛からず修理が出来た。


左手に負荷を掛けないで出来ることは、ウッドデッキのペンキ塗りだ。
これも100均で水性ニスのウオールナットを買ってきた。
少しペンキが足りなかったが、殆んど塗れた。
この程度で良いだろう。

今年の春旅は無かったので、旅用品もあちこちに収納していた。
久しぶにパッキングした。
今日買ってきた100円の1人用のアルミプレートも入れた。

下の写真が全てだ。
それにしても荷物は少ないな。
自転車旅から入ったので、荷物を軽くしたいと言う気持ちを何時もある。
多少不便でも軽量化を選ぶ。
5月連休は2件の用件があるので、その後が人出も少なくなるのでミニツーリングには良いだろう。


友人のFBに懐かしい人の記事が載っていた。
九州福岡の周藤卓也(旅人ネーム しゅうたく)が本を出版したと言う。
彼は18才の時、自転車日本一周を行い、函館に来たときに自遊旅に泊まった。
その時の彼の装備は凄かった。
身長は1m55~6と小さかったが、体が見えなくなるくらいの荷物だった。
予備タイヤまで積んでいた。
タイヤなんて何処でも買えるのにと思ったが、彼は世界に出かけるための練習だったのだ。
彼と会った自転車旅の人も自遊旅に来たとき、凄くて圧倒されたと口々に言っていた。
日本一周を終えてから2年間バイトをしてお金を貯めた。
小さいときから貰った小遣いは1円も使わなかったそうだ。
バイトを終え800万の用意が出来たが、これで最低の世界一周費用だそうだ。
私が日本一周したとき九州の水俣市まで自転車で来てくれた。
大きな公園で他の日本一周仲間とテントを張り楽しい一時を過ごした事も懐かしい思い出だ。
彼は確か途中で資金不足になって日本に戻り、再びバイトをして、また旅の続きをして結局150ヶ国を回った。
今回は念願の本を出した。



彼も旅人宿を作るのが目標だった。
自遊旅の出来事も頭にある筈だ。

そんな彼も現在39才になっている。
面影はしっかり残っている。
これからの夢は福岡市に旅人用のゲストハウスを作る事だ。
念願を果たしたら行って見たいが、私が動ける内に出来るかなあ。