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ある日カッパ姉ちゃんとカメラおじさんの家に一匹の子犬がやってきた。
日々のうつろいの発見と冒険を胸に生きていこう!

予告です。

2009年06月19日 | 味わい探訪
「さすらいの学食ちゃん」が明日帰ってきます。
本当は今日載せるはずが、長過ぎるとカメラおじさんに却下されました。
残念無念・・・。
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さすらいー幽霊屋敷18

2009年06月19日 | 投稿連載
幽霊屋敷 作者大隅 充
      18
「なんで黙ってた。」
秀人は、真っ赤な顔して僕を攻めた。
「なんでラリーがあかりさんの犬だったって隠し
てた。僕ら、友達だと思っていたのに。なんで隠
してたんだ。」
僕は、どう答えていいかわからなかった。
「全部タツヤ兄ちゃんから聞いた。ラリーが死んだ
ことあかりさんに
報せなくちゃならないだろう。」
「タツヤ兄ちゃんがあかりさんと約束して育ててい
たの、誰にも言うなって言うから・・僕。」
「駿ちゃん。友達だろ・・・」
「悪かったよ。ラリーもチャータもコロもいなくな
って。そのうち秀人に言おうと思ってたんだ・・・」
秀人は、くるりと後ろを向くと赤い目をして教室へ
走って行った。
 しばらく僕と秀人はギクシャクしたが元通りにな
るのにさらにニ三日かかった。
そして一番大事なこと。僕と秀人がケンカするとか、
ラリーが死んじゃったこととかよりもっと重要なこと
が次の週になってわかった。
それは、秀人がかなりしつっこくタツヤ兄ちゃんにあ
かりさんの連絡先を聞こうとしてガソリンスタンドと
か駅前のカラオケBOXまでつきまとって突然出てき
た事実だった。
深田あかりさんは、もう東京にいない。カナダにお母
さんと行って連絡がつかない、という最新のニュース
だった。だからタツヤ兄ちゃんもラリーのこと、そし
てあかりさんが生まれたばかりの子犬のチャータとコ
ロについて毎日楽しみにしていた兄ちゃんからの定期
報告も今は報せることもできなくなっていた。
タツヤ兄ちゃんが独占的に知っていたあかりさんのケ
イタイメールは、幽霊屋敷の解体工事が始まって僕ら
がラリーの行方を捜していた頃、あかりさんからの「
これからカナダへ行くのでケイタイを解約します。
当分連絡できません。ごめんなさい。」というメール
を最後に途絶えてしまったというのだった。
熊谷のおじさんやブス図書委員の樋口ナナなんかにそ
れとなく聞いても誰も深田あかりさんの新しい住所も
なんでカナダにお母さんと行ったかもわからなかった。
辛うじて助役の佐藤さんからの情報を熊谷のおじさん
が聞きつけてきたトップニュースによると、深田画伯
は軽井沢にいて絵を描いているということだった。別
に夫婦仲がわるくなって別れたというのではなく、
カナダにいるバイオリンの有名な先生にあかりさんが
教わりに行くのでしばらく離れて生活をはじめたとい
うのだった。ただカナダの住所はわからないままだった。
そのことを朝登校の途中で秀人に言うと軽井沢の画伯
の住所を聞いてくれと僕にねだったがそれも無理な話
だった。深田画伯は、いつも家にはいなくて日本中と
いうか、世界中を旅ばかりをしているような人で普通
でも連絡がつかないということで有名だったのだから
どうしたって秀人の要望は無理だった。
それから一週間。僕と秀人とタツヤ兄ちゃんの幽霊屋
敷仲間の間で焚き火の炎が夜明けが近づくと消えてい
くようにあかりさんの話題もふわふわで細かく静かな
灰になっていった。
 そして再びドカ雪が降った11月の頭。広島に行っ
たヨッチンから久しぶりに汚い字でハガキが僕の家に
届いた。
だいたい手紙もメールもマメじゃないヨッチンが僕が
送った4通の手紙と8つのメールに対してこのハガキが
やっと二つ目の返事だった。
ただし今度のハガキは、前の四行の簡単な新しい学校
の様子と挨拶だったのに比べるその何倍もの文字数と
文章でびっしり書かれ最後の三行はハガキの表へづい
て差出人の欄にまで書かれていた。

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