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ある日カッパ姉ちゃんとカメラおじさんの家に一匹の子犬がやってきた。
日々のうつろいの発見と冒険を胸に生きていこう!

さすらいー森の王者20

2011年02月04日 | 投稿連載
森の王者  作者大隅 充
      20
 その気高く掠れているが優美な調べが聞こえてく
る沼の方にコロは、目を凝らした。
 白い霧の漂う間に間に痩せた一匹のオオカミが沼
の水面に浮かんだ葦の浮島の上に立っているのが見
えた。あの、美しい音楽はこの老オオカミの喉から
発していたのだった。褐色の体毛に白い毛が斑にな
って混じっている。目は右目がほとんど見えないの
か垂れ下がった瞼に押しつぶされてうっすらと力な
く開いた左目だけが霧とコロとを認知しようとして
いる。そして落ちくぼんだ頬の周りは白髪が捻じれ
て蔓延っていた。歯のない口が天を仰いで得体のし
れない遠吠えとも風の囁きともとれる透明な声を発
していた。
 コロは、ゆっくりと前へ前へ進んで沼の水際まで
やって来た。何かその音楽の旋律に聞き入り、その
奏でる音階の意味が太古の言葉のように聞こえてく
るのを無意識に感じてしまう。
そしてその調べの語る物語を理解しようと沼まで来
るのに何の不安も恐怖もいらなかった。はっきりと
その老オオカミの呼び声は、大きな物語を語ってい
るのだとわかった。
 沼と霧を切り裂く息つぎのない、高い音階の声は、
直接コロの脳に侵入し、まるで古い埃だらけの本の
ページをめくってゆくようにチャータというオオカ
ミ犬、そして偉大なオサの一族の生死をかけた物語
をひとつひとつ寝物語に語るように訥々と語ってく
るのだった。
 コロは、背中の毛が逆立ち、今まで自分が母と姉
にはぐれて一人ぽっちだと泣いていたことを恥じた。
そして急に自分の生に勇気をもち、闇の森を独り彷
徨っていた時の心の悲しみが渇いてゆくのを感じた。
 老オオカミは、掠れる声を途切れ途切れになりな
がらも発しつづけて、じっと岸にいるコロを見つめ
て視線を離さない。緑色の水面が風もないのにその
声のせいかさざ波が浮島から岸のコロの方へと繰り
返し波立っていた。
 深い沈黙が深呼吸した。
 そしてオオカミの歌は、ぷつんと止んだ。
遠い高い旋律の音楽の演奏が低い礼儀正しい終止符
を飾ってイオウの蒸気の中に静かにフェードアウト
した。
 やがてその老オオカミは後ろ脚を引きずって水際
まで近寄って来た。二十メートル離れた岸にいるコ
ロは、激しい動揺をもってある確信を悟った。
 カイ!カイおじさん。
 その昔この大地を離れて新天地を求めたオサの兄。
カイ。オサたちがこのイオウの死の地を離れるのに
ひとり拒絶して残ったびっこのカイ。この腐臭漂う
イオウ谷で沼に嵌って死んでいく動物の肉だけを食
べて生きていたカイおじさん。100年以上も前に
オサと別れたあのカイおじさん。
 そのカイおじさんが生きていた。誰からも除者に
されて死んだと思われていた脚の不自由なカイ。な
ぜかこの死んだ谷で延々と生き続けていたのだ。
カイ。おじさーん!
 コロは狂ったように吠え叫んだ。
ぼくをここで待っていてくれたのかい。おじさん。
ぼくの父、チャータも死んだし母の栗毛とは生き別
れになったんだよ。おじさん。ぼくは、これからど
うして生きて行けばいいの。ねえ。答えてー。カイ
おじさん。
 カイは、少し笑って水の中へ入って行った。カイ
が完全に沼の中へ四肢を浸けると浮島が幾分水面か
ら高くなった、
カイおじさん。
 カイは、沼を進んで首まで浸かり、さらに水の中
にズボンと潜った。
おじさんー。
 イオウの匂いが一際強くなった。カイはそれきり
コロの前には姿を現さなかった。
  
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Stanley Kubrick's Speech

2011年02月04日 | 映画・演劇

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