私がまだ若かった頃に、とある脳梗塞で半身まひの強い方から
こんな話を受けたことがある。
「ワシが働いて生活させてきたのに、
ワシが脳梗塞が発症した途端、一方的に離婚させられて、家から放り出された。」
その話を聞いた私は、疾病になることは誰しもあり得る事であり、
ある意味では「明日は我が身」。
家族が病気になり、身体が不自由になった時こそ家族が一丸となり
家族のきずなが深まっていかなければならない時なのに
なんとヒドイ家族なんだ!この恩知らず!と思ったものだ。
しかしその方の生活スタイルを理解していくにつれて
その思いが変わってきた。
その方が脳梗塞を発症されるまでの生活が
いくら生活費を入れていると言っても、
浮気はするわ、横暴で、それでも家族は我慢を強いられてきた。
そのうえ自分の身体がままならなくなると
家族の者が介護をするのは当たり前だと文句ばかり言って
家族の迷惑が限界に達して離婚に踏み切られたことが分かると
離婚して放り出されたことは至極当然と理解できた。
そういうことは他にもある。
障がい者に対するボランティア活動を共にしてきた仲間がいた。
彼は愛想も良く、評判のいい経営者で友人も多い。
自分で設計した商品を内職作業として各家庭にお願いして回り、
先代から引き継いだ会社も大きくしてこられた。
ところがある疾病をきっかけに自身が障がい者となった。
それまでしてきた仕事を続けられなくなり
障がい者の作業所に通うことになったが
「私は社長をしてきたんだ。あんな単純作業をする人間じゃない」
と言って作業所に通うことを拒み、家族が困っておられた。
内職をお願いしてきた側の人間が、内職作業をする立場になった時
元気だった頃には見えなかった素性が表れてきた。
彼は病気がさらに進行し、単純作業さえも出来なくなって
現在は施設に入っておられる。
自分が調子の良かった日頃の生き方次第で
事が起きた時にこそ人生がガラッと変わると、
助かっていかないということを学ばせてもらった。
こんな話を受けたことがある。
「ワシが働いて生活させてきたのに、
ワシが脳梗塞が発症した途端、一方的に離婚させられて、家から放り出された。」
その話を聞いた私は、疾病になることは誰しもあり得る事であり、
ある意味では「明日は我が身」。
家族が病気になり、身体が不自由になった時こそ家族が一丸となり
家族のきずなが深まっていかなければならない時なのに
なんとヒドイ家族なんだ!この恩知らず!と思ったものだ。
しかしその方の生活スタイルを理解していくにつれて
その思いが変わってきた。
その方が脳梗塞を発症されるまでの生活が
いくら生活費を入れていると言っても、
浮気はするわ、横暴で、それでも家族は我慢を強いられてきた。
そのうえ自分の身体がままならなくなると
家族の者が介護をするのは当たり前だと文句ばかり言って
家族の迷惑が限界に達して離婚に踏み切られたことが分かると
離婚して放り出されたことは至極当然と理解できた。
そういうことは他にもある。
障がい者に対するボランティア活動を共にしてきた仲間がいた。
彼は愛想も良く、評判のいい経営者で友人も多い。
自分で設計した商品を内職作業として各家庭にお願いして回り、
先代から引き継いだ会社も大きくしてこられた。
ところがある疾病をきっかけに自身が障がい者となった。
それまでしてきた仕事を続けられなくなり
障がい者の作業所に通うことになったが
「私は社長をしてきたんだ。あんな単純作業をする人間じゃない」
と言って作業所に通うことを拒み、家族が困っておられた。
内職をお願いしてきた側の人間が、内職作業をする立場になった時
元気だった頃には見えなかった素性が表れてきた。
彼は病気がさらに進行し、単純作業さえも出来なくなって
現在は施設に入っておられる。
自分が調子の良かった日頃の生き方次第で
事が起きた時にこそ人生がガラッと変わると、
助かっていかないということを学ばせてもらった。