いつまでも若いつもりなんだけど、満61歳という年齢はうそをつかない。
新婚を続けてきたつもりだが、いつのまにやら結婚35年を迎えた。
いつのまにか若者の意識がわからなくなってきたと感じている。
すでに死語となった「まじ卍」をブログ名にしているくらいだから無理もない。
PRESIDENT Onlineの「盗んだバイクで走り出す」の意味が分からない・・・
尾崎豊「15の夜」に若者が共感できなくなったワケという記事が気になった。
終戦を迎え、焼け野原に街を創造していく過程では高度経済成長期を過ぎても
まだまだ目に見える課題も多く、私が子どもの頃には、納得しきれないストレスを
アグレッシブに発散してきた。尾崎豊さんの世代は私より少し下の世代だが、
暴走族も多く、学校の廊下をバイクで走る者や校舎のガラス窓を割っていく若者もあり、
当時、福祉学生として少年院や鑑別所から自立更生を図る施設にも実習に行った時も
そういう生徒を目の当たりにしたので「盗んだバイクで走り出す」の意味も理解できる。
「当時は闘う相手が明確だった」とも書かれており、当時はウルトラマンと怪獣、
仮面ライダーと怪人、銭形平次と悪党と、良い者と悪者がはっきりしており、
NHKの朝ドラ批判を見ていても、善悪がはっきりしていたり、
進もうとする夢がハッキリしていて、夢に向かって突き進むドラマの評価は高く、
人生の様に右へ振ったり左に振ったり急展開するドラマは評判が良くないことも
頷ける。
高度成長期が収束しバブルが崩壊すると、努力に見合った豊かさは得られなくなり、
物質的にな豊かでも精神的には満たされない時代になっていく。
そうなると必死に努力をしたり、人を蹴落としてまで追い求めることがなくなり、
出世に興味を持たない人や人生の目的を見失う人が増えていき、
ただ静かにあきらめる、無気力になる、引きこもるという若者が増えていく。
昭和の時代なら、ストレスがかかった時にアグレッシブに直接的な反抗をしていたが
この時代になると表向きは迎合していても「なにか足りない」という虚無感が残る。
いじめも陰湿化・オンライン化して、対人関係はさらに過敏になり、傷つくことを
恐れるようになります。闘っても何もならないし、怖いし傷つきたくないので、
直接には反抗しないままに固まり、引きこもり、回避していく傾向になる。
それで尾崎豊さんの歌詞に出てくるような価値観は、今の若者には響かなくなった
というのも理解が出来る。
新婚を続けてきたつもりだが、いつのまにやら結婚35年を迎えた。
いつのまにか若者の意識がわからなくなってきたと感じている。
すでに死語となった「まじ卍」をブログ名にしているくらいだから無理もない。
PRESIDENT Onlineの「盗んだバイクで走り出す」の意味が分からない・・・
尾崎豊「15の夜」に若者が共感できなくなったワケという記事が気になった。
終戦を迎え、焼け野原に街を創造していく過程では高度経済成長期を過ぎても
まだまだ目に見える課題も多く、私が子どもの頃には、納得しきれないストレスを
アグレッシブに発散してきた。尾崎豊さんの世代は私より少し下の世代だが、
暴走族も多く、学校の廊下をバイクで走る者や校舎のガラス窓を割っていく若者もあり、
当時、福祉学生として少年院や鑑別所から自立更生を図る施設にも実習に行った時も
そういう生徒を目の当たりにしたので「盗んだバイクで走り出す」の意味も理解できる。
「当時は闘う相手が明確だった」とも書かれており、当時はウルトラマンと怪獣、
仮面ライダーと怪人、銭形平次と悪党と、良い者と悪者がはっきりしており、
NHKの朝ドラ批判を見ていても、善悪がはっきりしていたり、
進もうとする夢がハッキリしていて、夢に向かって突き進むドラマの評価は高く、
人生の様に右へ振ったり左に振ったり急展開するドラマは評判が良くないことも
頷ける。
高度成長期が収束しバブルが崩壊すると、努力に見合った豊かさは得られなくなり、
物質的にな豊かでも精神的には満たされない時代になっていく。
そうなると必死に努力をしたり、人を蹴落としてまで追い求めることがなくなり、
出世に興味を持たない人や人生の目的を見失う人が増えていき、
ただ静かにあきらめる、無気力になる、引きこもるという若者が増えていく。
昭和の時代なら、ストレスがかかった時にアグレッシブに直接的な反抗をしていたが
この時代になると表向きは迎合していても「なにか足りない」という虚無感が残る。
いじめも陰湿化・オンライン化して、対人関係はさらに過敏になり、傷つくことを
恐れるようになります。闘っても何もならないし、怖いし傷つきたくないので、
直接には反抗しないままに固まり、引きこもり、回避していく傾向になる。
それで尾崎豊さんの歌詞に出てくるような価値観は、今の若者には響かなくなった
というのも理解が出来る。