今年3月末に定年退職をして半年が過ぎた。
退職する最後の半年は、退職後の生活がどうなっていくのか心配になり
再就職された職員やすでに引退された方々の話を聞いて回った。
なにせ幼稚園に入園して以降、朝起きたら行くところが必ずあった生活から
朝起きてもどこへ行かなければならないという決まりもなく、
朝起きなくてもいいという、経験したことのない生活になるからだ。
しかし様々な諸先輩方に話を伺って最終的に決めたことは、
「何も決めず、退職をしてから考える」ということだった。
ただ諸先輩方の話には、プールで知り合った方に書道展に誘われて
見学に行ったところ、高級な硯(すずり)の購入を勧められ、
断ったら最後、プールで会っても無視されるようになったという話や
最初は仕事に行かず自由に過ごせるけれど、
10月くらいになれば退屈になってくると言われていたが、
今のところ毎日が充実しており、自分なりに決めた日課も安定しており、
退屈になったという感じはしない。
ただ毎日遊んでいるという生活を続けていることへの罪悪感を
感じるようになってきた。
もちろん誰からもそういう注意を受けた訳ではないが、前述したように
なにぶん幼稚園入園から学校生活を18年、就職して38年働きいてきたため、
勉強するでもなく働くでもない自分自身になぜか罪悪感を感じるのだ。
これには謂れのない呪縛を社会から要求されているようなものが感じられる。
また定年を過ぎた諸先輩方の多くから「僕は65歳まで働いた」
「私は70歳まで働いてきた」などと聞かされてきたことも関係する。
たしかに家が凄いお金持ちの家庭に生まれ、ほとんど就職することなく
暮らしてきたという人に対しては少し、色眼鏡で見てきた面もあるが
今になって色眼鏡で見ていた自分を反省している。
私には軽度の障がいがあり、これまでは障がいのない人たちの中で無理をして
対等な仕事をしてきたが年齢が進み、筋肉量も減って体力的に健康な人に合わせて
いけなくなり退職を決めた。
退職前に、仕事をしているから休みが充実するのだから何らかの仕事を続けることを
勧めて下さった方があったが、たしかに日々の生活ではストレスが激減したせいか
休みを見つけては趣味の旅行に出かけていたというのに
今はいつでも思いつけば行けるというのに、行きたくなる衝動が起きにくい。
このことは私の定年に合わせて一緒に退職した妻も同じように思えるようだ。
この先も遊んで暮らせるほどの蓄えはないが、夫婦で年金受給できるまでの6年間を
何とか無収入で乗り切れば、資産を残す子供もいないので何とかなる。
同時に夫婦の年金額で生活する練習をしていくことが当面の目標である。
社会からの無言の圧力に屈することなく、今の生活を続けていくことが
今のところ正しいように思っている。
退職する最後の半年は、退職後の生活がどうなっていくのか心配になり
再就職された職員やすでに引退された方々の話を聞いて回った。
なにせ幼稚園に入園して以降、朝起きたら行くところが必ずあった生活から
朝起きてもどこへ行かなければならないという決まりもなく、
朝起きなくてもいいという、経験したことのない生活になるからだ。
しかし様々な諸先輩方に話を伺って最終的に決めたことは、
「何も決めず、退職をしてから考える」ということだった。
ただ諸先輩方の話には、プールで知り合った方に書道展に誘われて
見学に行ったところ、高級な硯(すずり)の購入を勧められ、
断ったら最後、プールで会っても無視されるようになったという話や
最初は仕事に行かず自由に過ごせるけれど、
10月くらいになれば退屈になってくると言われていたが、
今のところ毎日が充実しており、自分なりに決めた日課も安定しており、
退屈になったという感じはしない。
ただ毎日遊んでいるという生活を続けていることへの罪悪感を
感じるようになってきた。
もちろん誰からもそういう注意を受けた訳ではないが、前述したように
なにぶん幼稚園入園から学校生活を18年、就職して38年働きいてきたため、
勉強するでもなく働くでもない自分自身になぜか罪悪感を感じるのだ。
これには謂れのない呪縛を社会から要求されているようなものが感じられる。
また定年を過ぎた諸先輩方の多くから「僕は65歳まで働いた」
「私は70歳まで働いてきた」などと聞かされてきたことも関係する。
たしかに家が凄いお金持ちの家庭に生まれ、ほとんど就職することなく
暮らしてきたという人に対しては少し、色眼鏡で見てきた面もあるが
今になって色眼鏡で見ていた自分を反省している。
私には軽度の障がいがあり、これまでは障がいのない人たちの中で無理をして
対等な仕事をしてきたが年齢が進み、筋肉量も減って体力的に健康な人に合わせて
いけなくなり退職を決めた。
退職前に、仕事をしているから休みが充実するのだから何らかの仕事を続けることを
勧めて下さった方があったが、たしかに日々の生活ではストレスが激減したせいか
休みを見つけては趣味の旅行に出かけていたというのに
今はいつでも思いつけば行けるというのに、行きたくなる衝動が起きにくい。
このことは私の定年に合わせて一緒に退職した妻も同じように思えるようだ。
この先も遊んで暮らせるほどの蓄えはないが、夫婦で年金受給できるまでの6年間を
何とか無収入で乗り切れば、資産を残す子供もいないので何とかなる。
同時に夫婦の年金額で生活する練習をしていくことが当面の目標である。
社会からの無言の圧力に屈することなく、今の生活を続けていくことが
今のところ正しいように思っている。