私が最初に、コンサートをやったのは、31歳の時でした。
宮崎市の中央公民館で、親と子のための「元気の出るコンサート」
ピアノは高校時代の親友の日高百合子さん、実行委員は彼女のママ友たち
パソコンも携帯電話もない時代、東京と宮崎と離れていたけど
「何かやりたいね~子育て中の私たちだからこそ、できることがあるかも~」と
電話で話して始まったこの企画~百合子さんの実行力はすばらしく、当日は120~30名ぐらいの
親子が集まり、大成功でした。
今朝、古いノートが出てきて、こう書いてありました。
何かやりたい
やりたい
何ができるの?
何したいの?
今のままでいいの?
一生すぐ終わっちゃうよ
何とかしなきゃ
何とか
1日24時間
誰が決めた?
一生80歳?
100歳?
100歳生きた方が得か
80歳で死ぬ方がいいか
60歳で死ぬのが楽か
誰も知らない
のんびりやって長生きすればいいけど
のんびりやって早く死んだら
やり残したような気がするかなぁ
何かしなきゃ~
やせたいねぇ~
なんだか今読むと笑っちゃいますが、最後の一行~全然変わってないな~と想います。
これを書いた後で、記念すべき私の第一回目のコンサートをやったわけです。
一歩、踏み出したんですね~
でもそれは、百合子さんがいたからなんですよね~
彼女や、彼女の周りの人たちのお陰なんです。
58歳になった今、時々ふと、これから何をどうしよう?って、思う時もあります。
目の前のことをこなしていく毎日ですが、次々と出会う人たちは
きっと何か意味がありますよね。
以前は
20歳で声楽を習い、40歳で作詞・作曲を始めたので
60歳になったときには、一曲でいいからみんなに愛される歌ができていて
80歳でメジャーデビュー 100歳で音楽基金を作りたい~というのが目標だったのですが
60歳を目前にして、大きく何かが変わっていくかも~という気も若干あります。
それは、自分次第ですけどね。
そもそも、歌作りを始めたきっかけは、9.11事件でした。
平和への想いが溢れて「21世紀の子どもたちへ」の歌ができました。
私の音楽活動には「命の尊厳や世界平和」といった大きなテーマがありますが、
その源は、やはり一人一人の心の中の平安だと思います。
何をするかが職業で、どういう影響を与えるかが使命なら
何をしていても、使命を果たすことはできるわけです。
先日、近所の後輩ママに、「この間、どんな人になりたいですか?って聞かれて
高山さんの顔が浮かんだんですよ~、私は高山さんみたいな、包容力のある人になりたいんです」と
言われて、素直に、「ああ、嬉しいなぁ~」って思いました。
失敗だらけの日々も、誰かの役にたってるかも・・と思うと、本当に嬉しいです。
失敗だらけだからこそ、わかることがたくさんありますしね~~。
うまくいかない、思い通りにならない人生を、これからも精一杯生きたいです。
私は一日でも一秒でも長生きしたいです。
反面教師だとしても、私の存在が、誰かの役にたてばいいなあ~と思います。
人は誰もが、生きているだけで、誰かに影響を与えているんだと思います。
そして、生きているだけで十分に使命を果たしているですね~。
それでは、今日もどうぞお元気で、よい一日をお過ごし下さいね。