私には、3才で琴を始めてから20年ずっとお世話になっていた親師匠がいます。
母は3才になったら事始め、と先生を探して連れて行ったそうです。
私はもちろんそのときのことは覚えていません。
でも、ほんの手ほどきのころに習った「春の小川」や「ゆきやこんこん」などは譜面にイラストも描いてあり、楽しく教わった記憶があります。
母は何もわからない娘に習わせるために自分もいっしょに習っていました。
そのころの(本番の演奏会に向けて)練習した録音テープを大きくなってから見つけて懐かしんだこともあります。
引っ込み思案でおとなしい性格だった私は先生ともろくに話せず、先生宅は市外でかなり遠かったので、時々発表会などでいっしょになる同じ年ごろの女の子たちとも打ち解けるまでにはなれず、ただ、お琴は好きだったようで、やめるとも言わずに続けていました。
お琴を習っている子は小学校でもあまりいなかったようで、時々小学校で催される敬老会などで弾いて、見知らぬおばあちゃんたちが「ありがとね・・・。」と声をかけてくれたことは今でもやわらかいよい思い出として覚えています。
無心で続けていたお琴。
中学生になると、親師匠のそのまた師匠の大きな演奏会にも出るようになりました。
毎週のリハーサルは緊張感もありましたが、充実した生活でした。
高校時代には流派の名前をもらう名取、准師範の試験も受けました。
しかし、この准師範試験にまつわることなどで、親師匠とはどこか反りが合わなくなってしまいました。
おそらくは大人同士のやりとりが原因のようで、子どもである私はよくわからなかったのですが、試験の結果では褒めてもらったはずなのに、そのうち何だか私にはわけがわからず急にきつい嫌味を言われたりして、先生のことがあまり好きではなくなってしまいました。
もっとも、私自身、遅刻や忘れ物の常習犯で、そんな素行が悪かったのも関係しているかもしれません。
この試験で私はいろんなことを感じました。
芸の世界の裏側、指導者のあり方への疑問・・・。
一方では日本の音楽の歴史や中国からの音楽の伝来・変遷を学んでロマンを感じ、一生懸命練習・勉強したことでお琴はもっと好きになりました。
大学時代は関西に出て、よき師匠との出会いもあり、お琴だけは毎日欠かさず弾いていました。
親元を離れたこともあり、親師匠とはお正月の弾き初め会などでたまに会う程度で、疎遠になっていました。
卒業後は東京に出て、お琴は弾かなくなりました。
結局、親師匠とも十年以上、ほとんど会うこともありませんでした。
そして、いっちゃんが生まれたことでハガキを出すと、一度連れてきてほしい、と度々年賀状や電話で言われていました。
義理はあるけれど、積極的に会いたい先生ではありませんでした。
それでも、やっぱり三つのときからお世話になった方。
一度、子どもの顔を見せに行かねば・・・。
生まれてすぐは出かけるのも大変で、結局、生まれてから二年が過ぎました。
よし、今年はいっちゃんもひとりで歩けるし、行ってみよう、とお電話して夏の帰省時に伺いました。
先生は大層喜んでくださいました。
いっちゃんが二才半、私がお琴を始めたのと同じような年です。
お琴を触っていない今は話すこともあまりないかと思っていたけど、同じ母として、また先生の最近のご活動について、やはりその道にいた者としては興味深く、聞いているだけでわくわくしてくるようでした。
お琴をする人は未だに少ないという世界ですが、今はシニア世代ががんばっていらっしゃったり、小学校に教えに行く機会があったりと、七十才近い師匠が今も精進されているのを垣間見るのはうれしいこと、ご立派と思いました。
親元を離れてはや二十年、同時に師匠と離れてからも二十年が経ったのです。
子どもが親を選べないように、小さな私にとっても親師匠は選べない存在でしたが、「やっぱり親は親」というように、言葉に言い表せない情や縁を思いました。
私の思い、師匠の思い、私の至らなさ、師匠の歳月・・・。
様々だったことと思います。
子連れでは大変だろうと車で駅まで送ってくださった師匠。
「本当に会えてうれしかったわ。よく来てくれた・・・。」
師匠の目には涙がぽろりと流れていました。
琴の歴史は日本の歴史。
そして、私の人生の歴史でもあるのだとつくづく感じました。
家へ帰って、久しぶりに弾いてみました。
お琴の音色って、やっぱり美しい・・・。
いっちゃんが生まれてからは弾いてなかったっけ・・・。
母になった自分が弾くと、また違った感触でした。
お琴はなんと自然物を思わせるものだろう・・・。
このやわらかさ、水のとろっとするようなうるおい、さわやかな風、ちらちら舞う花びら・・・。
いっちゃんも上手に弾けましたよ。
義理で伺った師匠宅。
伺ってよかった。
心の底のどこかの硬質なものが溶けるようなほっとした気持ちになりました。
「 葉に花に
しずくの落つる音さえも
うつしうるかな
琴の一音 」
母は3才になったら事始め、と先生を探して連れて行ったそうです。
私はもちろんそのときのことは覚えていません。
でも、ほんの手ほどきのころに習った「春の小川」や「ゆきやこんこん」などは譜面にイラストも描いてあり、楽しく教わった記憶があります。
母は何もわからない娘に習わせるために自分もいっしょに習っていました。
そのころの(本番の演奏会に向けて)練習した録音テープを大きくなってから見つけて懐かしんだこともあります。
引っ込み思案でおとなしい性格だった私は先生ともろくに話せず、先生宅は市外でかなり遠かったので、時々発表会などでいっしょになる同じ年ごろの女の子たちとも打ち解けるまでにはなれず、ただ、お琴は好きだったようで、やめるとも言わずに続けていました。
お琴を習っている子は小学校でもあまりいなかったようで、時々小学校で催される敬老会などで弾いて、見知らぬおばあちゃんたちが「ありがとね・・・。」と声をかけてくれたことは今でもやわらかいよい思い出として覚えています。
無心で続けていたお琴。
中学生になると、親師匠のそのまた師匠の大きな演奏会にも出るようになりました。
毎週のリハーサルは緊張感もありましたが、充実した生活でした。
高校時代には流派の名前をもらう名取、准師範の試験も受けました。
しかし、この准師範試験にまつわることなどで、親師匠とはどこか反りが合わなくなってしまいました。
おそらくは大人同士のやりとりが原因のようで、子どもである私はよくわからなかったのですが、試験の結果では褒めてもらったはずなのに、そのうち何だか私にはわけがわからず急にきつい嫌味を言われたりして、先生のことがあまり好きではなくなってしまいました。
もっとも、私自身、遅刻や忘れ物の常習犯で、そんな素行が悪かったのも関係しているかもしれません。
この試験で私はいろんなことを感じました。
芸の世界の裏側、指導者のあり方への疑問・・・。
一方では日本の音楽の歴史や中国からの音楽の伝来・変遷を学んでロマンを感じ、一生懸命練習・勉強したことでお琴はもっと好きになりました。
大学時代は関西に出て、よき師匠との出会いもあり、お琴だけは毎日欠かさず弾いていました。
親元を離れたこともあり、親師匠とはお正月の弾き初め会などでたまに会う程度で、疎遠になっていました。
卒業後は東京に出て、お琴は弾かなくなりました。
結局、親師匠とも十年以上、ほとんど会うこともありませんでした。
そして、いっちゃんが生まれたことでハガキを出すと、一度連れてきてほしい、と度々年賀状や電話で言われていました。
義理はあるけれど、積極的に会いたい先生ではありませんでした。
それでも、やっぱり三つのときからお世話になった方。
一度、子どもの顔を見せに行かねば・・・。
生まれてすぐは出かけるのも大変で、結局、生まれてから二年が過ぎました。
よし、今年はいっちゃんもひとりで歩けるし、行ってみよう、とお電話して夏の帰省時に伺いました。
先生は大層喜んでくださいました。
いっちゃんが二才半、私がお琴を始めたのと同じような年です。
お琴を触っていない今は話すこともあまりないかと思っていたけど、同じ母として、また先生の最近のご活動について、やはりその道にいた者としては興味深く、聞いているだけでわくわくしてくるようでした。
お琴をする人は未だに少ないという世界ですが、今はシニア世代ががんばっていらっしゃったり、小学校に教えに行く機会があったりと、七十才近い師匠が今も精進されているのを垣間見るのはうれしいこと、ご立派と思いました。
親元を離れてはや二十年、同時に師匠と離れてからも二十年が経ったのです。
子どもが親を選べないように、小さな私にとっても親師匠は選べない存在でしたが、「やっぱり親は親」というように、言葉に言い表せない情や縁を思いました。
私の思い、師匠の思い、私の至らなさ、師匠の歳月・・・。
様々だったことと思います。
子連れでは大変だろうと車で駅まで送ってくださった師匠。
「本当に会えてうれしかったわ。よく来てくれた・・・。」
師匠の目には涙がぽろりと流れていました。
琴の歴史は日本の歴史。
そして、私の人生の歴史でもあるのだとつくづく感じました。
家へ帰って、久しぶりに弾いてみました。
お琴の音色って、やっぱり美しい・・・。
いっちゃんが生まれてからは弾いてなかったっけ・・・。
母になった自分が弾くと、また違った感触でした。
お琴はなんと自然物を思わせるものだろう・・・。
このやわらかさ、水のとろっとするようなうるおい、さわやかな風、ちらちら舞う花びら・・・。
いっちゃんも上手に弾けましたよ。
義理で伺った師匠宅。
伺ってよかった。
心の底のどこかの硬質なものが溶けるようなほっとした気持ちになりました。
「 葉に花に
しずくの落つる音さえも
うつしうるかな
琴の一音 」
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