「 この川は子を乗せ送り迎えした 思い溢れて滔々と流れ 」子どもを自転車に乗せて、仕事に間に合うように出かける毎日は一日一日が戦いのようです。久しぶりに通って、がんばっていたころのことを思い出しました。目に見える景色と、胸に思いが滔々と流れて水嵩が増して見える景色と。それを詠みたいのですが…。 . . . 本文を読む
「 揚げたての天ぷら食む音落ち葉駆け 」大きな葉っぱがワシャワシャと音を立てて落ち、ワシャワシャと音を立てて駆ける。シソの葉の素揚げをバリッと噛むときのようなしゃかりした存在感。お煎餅かと思うほどパリッとしている。遠くで見ていると哀愁のあるものも、近くで体感するとおもしろい。 . . . 本文を読む
「 ボール投げもうしなくなり障子替え 」障子と聞いても風流なことは浮かんでこず、穴だらけの障子が破れないで済む時を待っていたこと。張り替えてもまた破られる。子どもが大きくなり、やっと張り替えられました。そんな思い出しか浮かばない。なんだか標語みたいな感じになりましたが(笑)。 . . . 本文を読む
「 コート着て襟を正して冬に入る 」冬は寒くていやですが、身が引き締まって気持ちがよいと感じることもあります。高村光太郎の「冬が来た」という詩も思い出されます。きつぱりと冬が来た、という…。厳粛、荘厳、畏怖、神聖…他の季節でなく、冬に感じるものかもしれません。息子にはますます厳しい受験の冬がやってきます。 . . . 本文を読む
「 もの言わぬねこ首かしげなに?と問う 異次元の隙間垣間見るとき 」芸術の世界や、生き物と対話する世界は、この世界の隙間から別の世界が広がっているように感じることがあります。ドコデモドアを開くような、この世界をペリペリっとめくっているような…。そんな不思議な世界を覗くときが私の密かなしあわせです。(本文のあるものと、本文のないものがアップされました。原因不明。本文を入れて再度アップさせていただき . . . 本文を読む
「 草木零落す時の止まりしごとく 」(そうもくれいらくす)草木が枯れ落ちた。時が止まったよう。枯れ落ちてしまった後には何もなく、時が止まったようだけれど、散り続ける様もなぜか永遠に散りゆくような幻想のよう…。 . . . 本文を読む
「 栗をむく祖母との長き夕べよ長く 」俳句としてはあまりよいできではないのかもしれませんが、小学生のころ、たまに栗むきを手伝ったことがあります。私はあんまりお手伝いをする方ではなかったです。でも、季節を感じる食材の料理や家事を祖母はよくやっていました。数少ないお手伝いの機会と祖母の姿が重なった俳句です。私は栗むきはかたくて面倒くさくて、あまりやらないので、息子には悪いな〜、祖母は偉かったな〜、など . . . 本文を読む