昨日、友だちとミケランジェロ展へ行きました。
高校時代にスランプに陥ったとき、世界史の資料に載ってたミケランジェロのピエタの写真を見て、世の中にこんなに美しいものがあるんだと、希望を持てた思い出があり、ミケランジェロは見たかったのです。
高三の受験期に全く勉強をしなくなった私を知ってる友だちと、そんな反抗期の話になりました。
大学は受けたものの、案の定、不合格。母が石川県の実家から京都の予備校に行く段取りをして、大手の予備校に通いました。
「受験を放り出して、その後、どうして予備校や大学に行く気になったの?」と聞かれ、答えに困ってしまいました。
どういう心境だったのだろう・・・?
自分で不甲斐なかったのは、他にこの道に進みたいんだと言いきれるものがなかったこと。
そんな状況でなぜ予備校に通えたのか、いまだにわかりません。
いろんなことが立ち行かなくなり、行き詰まってしまって気力を無くしたのも事実。
でも、ただ無気力になっただけではなかたったんだと思います。
自分には理想があった。夢もあった。何かにかけたい情熱の火もあった。大人の作ってる世の中への強い反発、そこに潜む自分で何とかしたいという思い・・・。
どこかに、私の地中に、そんなパワーが、マグマのように横たわっていたと思います。
だから、引きこもりにはならなかったのかもしれません。
何と言えばよいのか、世の流れに流されるってことにすごい嫌悪感を感じて、不純なものが大嫌いでした。
いま思えば、こうじゃない何か、これじゃない何かを実現したいという漠然とした思い、自分自身で何かを切り拓きたいという思いが強くあったと思います。
そして、思春期、中学や高校の時代ってみんなそうなんじゃないかと思えます。
大人には反発心があり、でも、じゃあ何ができるの?と詰め寄られると、子どもの自分には何もできない、でも、これじゃない何かを作りたいんだ!!という強い思い。
生意気なこと言うな、と一言で払い除けられそうなこの思い、本当はとても大事なんじゃないかと、ふと昨日思いました。
もやもやしてて、漠然としてて、でも十代にしか持てない正義感って必ずあります。
先日亡くなったやなせたかしさん、世の中のことは大半が間違ってるものなんだというようなことをおっしゃってる場面を見ました。
大半間違ってるものに、どれくらいの人が向き合い、立ち向かってるのでしょう?
その十代の疑問の原点に立ち還った気がしました。
「こうやっておけば無難」「こうしておけば角が立たない」・・・こんな説明しかできない大人には絶対にならない、すべてきちんと自分なりに説明できる大人になる、その思いも自分を支えたひとつでした。
どれだけ勉強しても全然点が取れなかった世界史。勉強しなかった高三時代には大きなテストで9点というときもありました。流れがつかめないから、覚えても覚えても頭から抜けて行きました。
でも、予備校の世界史の先生は、点を取れる授業を全くしない方でしたが、歴史の流れを語って下さり、流れが少しつかめるようになり、少し点が取れるようになりました。
「みなさんが一生懸命テスト勉強してるこのテキストは、本当は真っ赤に血塗られた歴史なんですよ。」という言葉に、トイレで涙したこともありました。
点が取れない世界史、その資料、ピエタから、私は希望をもらいました。
試験に関係ない古文の世界観を、源氏物語の女性たちの心境を語ってくれた先生のおかげで、私は大学の英語の答案に、源氏物語を英語で説明しなさいと問われ、男尊女卑の時代の話だという一節を盛り込んで書きました。
現代文の先生の、素敵な大人になるための言葉に希望をもらい、大学に行った先に希望が持てました。これも受験テクニックではなくて。
今考えてみれば、予備校で私がもらったものは、一問でも多く点を取る方法ではなく、もっと大きな、受験とは一見関係ない未来への希望でした。
大雑把に言うと、私が思ってる大人の世界だけでない、素敵な大人たちの世界もあることを知ったのかもしれません。
全く勉強する気になれない子に少し勉強をさせてくれたのは、勉強の中で得た、テストに関係ない話でした。
このもやもやした思春期に果たす大人の役割も大切だと改めて思います。
とにかく、沈み込んで屈みこんでいた時代の私に報いるために、私は楽しく充実した大人の時代を送っています。
大人って楽しいよ、と甥っ子たちにも話します。
希望に満ち溢れてるよ、と話します。
私のような思いをしてる悶々とした十代のきみたちへ。
テストに一矢報いる答案を書け!と願います。
高校入試では、春を感じさせることについて作文しなさいとあり、地元白山の雪解けを山に見たときと書き、雄大な文章が書けたと、点取りで終わらない満足感を覚えました。
歴史の授業でどれだけ重大な決心をした武将がいたかを知ることもあるでしょう。
建造物の写真から人類の素晴らしい軌跡を感じ取ることもできるでしょう。
自分にしか書けない答案を書け、と激励したいです。
そして、やなせさんを偲んで、大半間違ってる世の中にも、一矢報いられる大人であらなければと改めて思いました。
誰かが困っていたら、誰かが助ける。病気もケガも死もあるのが人生です。
お互いさまの精神で、余力がある人が誰かを助ければ、世の中は少し回ります。
自分にできることは何か、もう一度考えてみようと思います。
若ききみたちへ。いっしょによい世の中にして行きましょう!
今日の歌は、中・高時代の私の心境を映したような安全地帯の「風」です。
http://www.youtube.com/watch?v=mSsDh9dG3Os&list=PL3998DD53471C3A34
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます