先日、歌手として歩み始めた教え子のライブに行ってきた。
ちょうどいっちゃんがお腹にできる少し前から、まだアマチュアのような彼女に日本語を教えていた。その彼女がプロになってのライブ。
当時は練習をこなすように歌ったり、MCの日本語を暗記するのに必死だった彼女。
それが、立派になって、自分で曲も作ったりして、自分の世界を見事に演出している
教師として感慨深く、涙がにじんでくる。。。
私が学生だったころは教師とは“裏方”というイメージが強かった。将来の夢を考えるとき、“裏方”より、“表”舞台に立つことに魅力を感じていたと思う。
それが、いつのころからか、その“裏方”というものに魅力を感じるようになった。
日本語教師という仕事を始め、とても楽しかったのだけど、いっちゃんを産んでからは教師としての仕事はしていないから、久しぶりに教え子の晴れ姿を見て、“母”となった“教師”の気分を初めて味わってきた。
そして、感じたのは“教師”もやっぱり根底にあるのは“母”心なんだなあということ。
この子の将来が光にあふれたものであってほしい。
いろいろなよい影響を多くの人からもらって、自分の才能として花開かせてほしい。
悪い縁につかまらないでほしい。
スランプが来ても耐え忍んで、元気で乗り越えてほしい。。。
無限に広がる可能性を感じて、我がことのようにとても楽しみであり、心配もしてみたり。。。
かつて“表”舞台にあこがれた私は、舞台“裏”にいる喜びを感じていた。
教え子だからという理由だけでなく、彼女の歌声や音楽の世界がとても好きな私。
毎日、いっちゃんとべったりで、それがとても楽しくしあわせだと感じているけれど、もっと心が拡がるような開放感を感じて、よい気分転換ができた
“裏方”にいるしあわせ。。。
この感覚はなんだろう。。。
自分を表現するという主役のよろこびとはまた別のもの。。。
それはきっと、人を愛するというよろこび、愛する者のしあわせを願うことができるよろこびなんだと思う
親になったことで教師の醍醐味を改めて知った出来事でした。
写真はちょっと前まで咲いていた庭の牡丹です。
とてもみずみずしくて、うつくしかった
我が家の花の女王かな~
自分が若かりし(?)ころは自分がどうするか、ということしか頭になかったですが、
ほかの人(教え子や子ども)が伸びていくのを見つめるしあわせを感じられるようになったのは、やっぱり年の功でしょうか?
歌っている彼女の顔を見ながら「今、幸せ?毎日楽しい?」と確認するように心でたずねていた自分とかつての自分の親の姿が重なりました。
自分ではない誰かが幸せだとわかる幸せ。
親になってはじめてわかった次第です。
先生は生徒を育て、母親は子どもを育てる。
共通した役目がありますね。
その両方を経験なさる3うさの母さんは、
お幸せな方と申し上げていいと思います。
いつかまた先生に復帰され、ご自分の子育てで
得られた力を発揮してほしいです。
ほんとにあやうくなりつつあるニッポン、大人がしっかりバトンを渡さなきゃ~!
子どもを見守る母というのは、確かに裏方なのかもね。
そして、自分をまた花さかせてくれた親にも、感謝ですね。
お庭の花がきれい!
自然が繰り返すように、人間も次の世代の花を咲かせ続けていきたいですね。