妙覚寺ニュース

広島妙覚寺の毎月のニュースを写真入りで紹介します。

9月13日(金)修善寺散策

2019年09月15日 | 

ホテルを8:45に出発!

修善寺を散策しました

伊豆の小京都と呼ばれる、伊豆最古の温泉場「修善寺」

空海の開いた「修禅寺」を中心に、街を流れる桂川沿いには、清々しい竹林の小径や朱塗りの橋、趣のあるお店や足湯があります!

 修禅寺です!

修善寺物語で有名ですね。

修禅寺に幽閉され、暗殺された鎌倉幕府二代将軍源頼家公ゆかりのお寺です!

 

 

鐘楼は、構造・石積が独特!立派な鐘楼です

807年創建の修禅寺は、弘法大師空海によって開かれました。

ご本尊である「大日如来像」は、鎌倉時代初期(1210年)の大仏師・実慶作。高さ103cm・膝張り73cm、ほぼ等身大でヒノキの寄木造りの座像で、国指定重要文化財になっています。

ご本尊は、毎年11月1日から10日間のみ宝物殿で一般公開されます。年に一度のチャンスです!

方丈の庭園は、『東海第一の庭園である』と呼ばれる名園です。2009年より、毎年11月下旬、境内の紅葉が色づく頃に期間限定で公開されるようになりました。

 

指月殿に向います。

 

桂川を渡って、対岸にある「鹿山」の麓に位置する指月殿は、修禅寺で殺された源頼家の菩提を弔い、母・北条政子が建立した経堂です。

 

 

伊豆最古の木造建築物と言われており、堂の中央には釈迦如来像が安置されています。

この「指月殿」には5,6千巻にも及ぶ宋版大蔵経を収められていましたが、その大部分は散失しました。

堂のすぐ側、左側には源頼家の墓が建てられています。

源頼家のお墓にお参りしました。

源頼家 家臣十三士のお墓です。

趣のあるお店が並んでいます。

修善寺の竹細工のお土産に買ってかえりました

修善寺は趣のある街でした!もう少しゆっくりしたかったですね

バスにのって、三島に行きました!

お昼は、鰻のお店でゆっくりといただきました

昼食を終え、日本平夢テラスに向いました!

バスの中から、少しのあいだ富士山の山頂が見えました

日本平夢テラスからは、今日は富士山は見えませんでした!残念

日本平夢テラスが最後の観光となりました!

 


9月12日(木)鎌倉・下田の旅

2019年09月15日 | 

今日はホテルを9時に出発し、鎌倉に向いました

鎌倉市内は、夕べ電気がついたそうです 鎌倉市では台風15号による倒木と土砂の影響で停電の復旧作業が行われ、11日夕方に復旧されたそうです!

まず鎌倉の大仏さんへ行きました!仁王門をくぐります。

 

鎌倉の大仏は、高徳院の本尊で青銅製の「阿弥陀如来坐像」です。建立当時は金箔が施されていたそうです。

鎌倉の大仏は、奈良の大仏と並び、日本三大大仏の1つに数えられます。台座を含めた高さが約13.35メートル、総重量は約121トンあり、その圧倒的な大きさはびっくり!現在の青銅製の大仏は1252年に鋳造がはじまった大仏の2代目で、

大仏殿に安置されていたが、15世紀の大津波で大仏殿は崩壊し、露座になった。

胎内拝観

大仏の内部は空洞になっており、大仏の右側の受付から胎内を拝観することができます!内部では30回以上に分けて行われた鋳造の継ぎ目や、頭部周辺の郁江にも補強された様子などを見ることが出来ます

 

 

 鎌倉小町通を散策し、お昼は駅前の井上蒲鉾店のお二階でランチをいただきました

鎌倉彫の箸置きを買いました

お土産は、鎌倉いとこのきんつばです

若宮大路を歩いていると、おてらカフェがありました!

このビルの2階です。

 

真宗大谷派浄榮寺の僧侶がおてらカフェのマスターです。

写経や、法話体験ができるそうです!

鶴岡八幡宮前の若宮大路を散策

古都・鎌倉の中心部に位置する鶴岡八幡宮。その歴史は康平6年(1063年)、源頼義が源氏の守り神として由比郷鶴岡(現在の材木座)に京都の石清水八幡宮を勧請したことから始まります。後に源頼朝が現在の地へ遷し、鶴岡若宮と称したのが現在の鶴岡八幡宮。鎌倉幕府から篤く信仰された鶴岡八幡宮は、広く武門の神、勝利の神として崇敬を集めることとなったのです。

三島スカイウォークへ行きました!

日本最長400mの人道吊り橋です!

スカイガーデンでお買い物

星のソフトクリームをいただきました!

下田に向いました!途中道の駅「天城越え」で休憩しました

天城峠というと、石川さゆりさんの「天城越え」の歌で有名ですね

『伊豆の踊子』の舞台としても有名です

 下田に到着

十一谷義三郎『唐人お吉』や川端康成『伊豆の踊子』の小説発表などが、下田観光の火付け役となり、昭和8年の東京湾汽船の客船就航、伊豆循環道路東海岸線伊東-下田線の完成により、観光客が多数訪れるようになった。

下田東急ホテルに到着

素敵なホテルでした

今日は鎌倉を散策し、源頼朝が流された伊豆に宿泊です


9月11日(水)箱根・大磯の旅

2019年09月15日 | 

 

浜松からのバスツアー!焼津漁港に寄って、海鮮丼をいただき、箱根町港に到着しました

〈箱根権現〉ー覚如上人によって書かれた「御伝鈔」の第十二段には、京都にお帰りになる親鸞聖人に箱根権現の神官が権現の示現を受けて、親鸞聖人をもてなしたことが記されています。 

古代から山岳信仰の聖地であり、757年(天平宝字元年)以降は神宮寺の箱根権現として敬われます。源頼朝の厚い崇敬を受けたことから、同時代のみならず後世の武士からも厚く信仰されました。芦ノ湖に面した美しい境内です。

 

 箱根町港から海賊船に乗りました。

箱根海賊船ビクトリーです。 

船に乗ったら、雨が降り始めました

芦ノ湖、赤い鳥居、富士山がそろう絶景ポイント!

晴れていたら、山の向こうに富士山が見えるそうです

山の稜線から見え隠れする富士山は、元箱根港出航後、平和の鳥居に差し掛かるあたりが船上から一番大きく見ることができ、富士山と芦ノ湖、赤い鳥居が揃う絶景ポイントだそうです。

船内の様子です!

 

箱根の街並みが見えます

港に到着

桃源台港に到着! でも箱根ロープウエイには乗れませんでした 噴火警戒レベルが1から2に引上げられたため、大涌谷園地への立ち入りが規制され、箱根ロープウエイは運休してました

宿泊先の大磯プリンスホテルに到着

大磯といえば、明治中期から昭和初期にかけて、要人の避暑・避寒地として邸宅や別荘が多く建てられたところです。特に伊藤博文、吉田茂の別荘は有名です。この他に山県有朋や西園寺公望、大隈重信、陸奥宗光、岩崎弥之助、安田善次郎といった政財界要人の別荘が立ち並んだそうです。1907年(明治40年)頃の大磯には150戸以上の別荘があったと言われ、「政界の(湘南の)奥座敷」と称されたそうです。

大磯プリンスホテルは、海岸沿いにあり、別荘群は見えませんでした! 周りには何もなし。目の前には太平洋が広がっています

今日は、6時3分ののぞみで広島を出発しましたので、ゆっくりお休みすることにしましょう

 


5月10日(金)熊野古道ツアー・てらこや開催!

2019年05月12日 | 

5月10日(金)15:30~17:00 てらこや開催!

今日は7名の参加でした

                           

住職・坊守は、昨日から南紀・熊野古道ツアーに参加。

『御伝鈔』に平太郎の熊野参拝がでてきますが、「百聞は一見にしかず」、熊野古道ツアーに参加しました!

ホテル&リゾーツ和歌山串本に泊まり、今日は熊野と高野山に向います7時45分に出発

ホテルのお部屋から、橋杭岩が見えます

串本から大島に向かい、海中に約850mの列を成して大小40余りの岩柱がそそり立っています。

その規則的な並び方が橋の杭に似ていることからこの名が付きました。

海の浸食により岩の硬い部分だけが残り、まるで橋の杭だけが立っているように見えるこの奇岩には、その昔、弘法大師と天邪鬼が一晩で橋を架ける賭をして、一夜にして立てたという伝説も伝わっています

熊野古道「大門坂」散策

熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)へ向かう参詣道のことを「熊野古道」と呼びます。
平安時代の上皇や貴族も訪れ、やがて庶民にも広まり、旅人の行列は「蟻の熊野詣」と言われたほどでした。

平成16年には「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界文化遺産に登録され、静寂な空間は癒しのスポットとしても注目を集めています。

杉木立に囲まれた苔むした石段を登り、熊野古道の雰囲気を満喫しました

とにかく登りましょう上でバスがまっています

 

熊野那智大社へ向かう石段の参道は、熊野古道中辺路(なかへち)の一部です。

樹齢800年の深い杉木立の中の石畳の道をたどり、坂を上りきると、青岸渡寺・熊野那智大社・那智の滝に行くこともできます。

日本三名瀑の「那智の滝」

133mの高さから流れ落ちる日本一の落差を誇る滝です。太古から神と崇められた聖地で、現在では熊野那智大社の別宮・飛瀧(ひろう)神社のご神体として祀られています。 

400数十段の石段をえっちらおっちら息切らせて登りました

土産物店が軒を連ねる参道の石段を10分ほど登っていくと、標高約500mにある熊野那智大社にたどり着きます。

熊野那智大社

「熊野本宮大社」、「熊野速玉大社」、「熊野那智大社」の三社を「熊野三山」と呼びます。
熊野三山は、それぞれ20~40kmの距離を隔てて位置しており、「熊野古道・中辺路」によって、お互いに結ばれています。
三社は個別の自然崇拝に起源を持ちますが、三社の神様を一体化し、一緒に祀っています。 

熊野那智大社は、仁徳天皇の時代に、那智滝から現在の山上の地に移されました。

境内には、樹齢800年の県天然記念物の大楠が枝を広げています。

「青岸渡寺」

那智大社のすぐ隣には、青岸渡寺があります。神社と寺院が隣接して建っているのは神仏習合時代の名残りで、今ではとても珍しいものです。

那智滝で修行した裸行上人(らぎょうしょうにん)が、観音像を会得して草堂を結んだのが始まりの古刹。

西国三十三箇所観音霊場の第一番札所にも定められています。

 

色鮮やかな那智大社に対して、こちらは歴史を感じる木造建築ですね。

那智の滝と三重塔

 登ったら今度は降りなければなりません 下りの方が楽です

参道には、お寺の跡がありました。貴族の方々が途中で休まれていたところなのでしょう

熊野那智大社の参道の急な石段を10分ほど上ったこころに、左手に大社経営の宿泊所龍泉閣の庭園があります。

もとは実方院といい、青岸渡寺の尊勝院とともに熊野御幸の際、上皇が宿泊所として使用されたところだそうです。

 あともう少し 

南海御坊バスが待ってくれています

ガイドさんが、お話上手のベテランさんで良かったです

熊野三山の中心である熊野大社は、全国3,600社にも上る熊野神社の総本宮として親しまれています。

中央には、主神である家津美御子神(けつみみこのかみ)、天照皇大神(てんしょうこうだいじん)を祀っています。

八咫烏(やたがらす)は、日本神話において、神武天皇を大和の橿原まで案内したとされており、導きの神として信仰されています。

八咫烏は熊野大神に仕える存在として信仰されており、熊野のシンボルでもあります。

八咫烏が三本足であることが何を意味するかについては、諸説あります。熊野本宮大社では、八咫烏の三本の足はそれぞれ天(天神地祇)・地(自然環境)・人を表し、神と自然と人が、同じ太陽から生まれた兄弟であることを示しています。

日本サッカー協会のシンボルマークになってますね

熊野本宮大社

登ってきた道は、降りなければなりません。

ハードな旅でした

十津川村のダム湖です

谷瀬の吊り橋(日本一大きな村・十津川村に架かる全長297mの吊り橋)

十津川村は奈良県の最南端にある日本一大きく広い村です。

熊野川に架る、長さ297m、川面からの高さ54mの日本屈指の長さの鉄線橋です。
周囲の山々が織りなす眺望、渡る際に味わえるスリル感が味わえる観光名所です。

最後に高野山奥之院に行きました。

谷瀬のつり橋を14:00に出発し、高野山についたのは15:30でした!

高野山では桜が咲いていました 八重桜もあちらこちらに咲いていました 標高800メートルですから、気候も違いますね

高野山町には、真言宗総本山金剛峯寺をはじめ、117の寺院があり、約3500人の人々が暮らし、その内、僧侶が1100人、小学校から大学があり、役場や病院、警察や消防署などがあり、まさに「天空の都市」ですね。高野山は、「一山境内地」といわれ、高野山のいたるところがお寺の境内地であり、高野山全体がお寺なんだそうです

高野山奥之院は、弘法大師の御廟を中心とした高野山最大の霊域。

一の橋から続く奥之院参道には、鬱蒼とした杉木立の中に武田信玄などの戦国大名をはじめ、鶴田浩二といった有名人など、20万以上の墓碑が並びます。

参道を2kmほど進むと大師が入定している御廟に到着。14体の金仏が並ぶ水向場や灯籠堂、御廟などが静かに鎮座されています。

ここからは、撮影禁止区域です

無縁の方々のお墓です。

 大門をあとに、高野山を下りました。


11月15日(水)大阪散策―地上300mの空へ

2017年11月18日 | 

 

大阪を散策しました

通天閣が見えます!

ジャンジャン横丁で、大阪名物串揚げをいただきました

美味しかったです 大阪って安くて美味しいものがいっぱいですね

 

あべのハルカスへ行きました!

今日はシルバーデイだそうです。65歳以上の方は、1500円の入場料が割引となり、1000円で入場できるのだそうです。

エレベーターで一緒だった人が言っておられました

「ハルカス300」は、日本一の高さ300mのビル「あべのハルカス」の展望台です。

58階、59階、60階の三層構造になっています。

気候条件が良ければ、京都から六甲山系、明石海峡大橋から淡路島、生駒山系、そして関西国際空港なども一望できるそうです。

 

素晴しい景色です

四天王寺も見えますね。大阪城も向こうに小さく見えます

足元を見るとこんなふうです!