スポーツエトセトラ

スポーツ(主に野球・ラグビー)に関するさまざまな資料やデータをご紹介していくブログです。ぜひお楽しみください。

秋季高校野球関東大会 千葉県勢成績(1993年~1998年)

2020-10-12 08:30:21 | 秋季高校野球関東大会千葉県勢成績
高校野球の秋季関東大会における、千葉県勢の活躍を振り返るシリーズ。
第6弾は1993年~98年です。



銀色は準優勝、銅色は4強を表します。

1993年は東海大望洋が初出場を果たすと1勝を挙げて、
関東まであと一つというところまで迫っています。

1994年は2位校ながら、5年ぶりの関東進出を果たした銚子商がベスト4まで勝ち上がり、
18年ぶりのセンバツ切符を手に入れました。
この後、主砲の澤井良輔は年末の第1回AAAアジア選手権代表に選出。
翌春には大会屈指の強打者として注目を集め、チームも初戦でPL学園(大阪)を延長戦の末に下すと、
そのまま勢いに乗って勝ち上がり準優勝。“古豪復活”を印象付けました。

1995年はエース・亀井康治を擁する拓大紅陵が準優勝で、
10年ぶりとなるセンバツ出場を勝ち取りました。
甲子園では初戦で東邦(愛知)と打撃戦の末、8-9で敗れています。

1996年は千葉商大付が1勝したのみ。
97年にいたっては8年ぶりとなる2校揃っての初戦敗退と、
厳しい結果に終わりました。

1998年は2年連続の関東大会進出となった柏陵が躍進。
慶応(神奈川)、桐生一(群馬)との接戦を制し、
ベスト4進出を果たしてセンバツに初出場。
甲子園では静岡と延長13回の熱戦も初戦で涙を呑みましたが、
春の悔しい経験を活かし、夏の甲子園にも駒を進めるとベスト8に進出しています。

ドラフト外入団選手一覧【ソフトバンク編】

2020-10-10 09:00:53 | 球団別ドラフト外入団選手
プロ野球各球団のドラフト外選手一覧と一軍全成績を紹介するシリーズの第5弾は「ソフトバンク」です。

とはいえ、ドラフト外は1990年(91年入団選手)までですので、
実質的には南海・ダイエー時代に入団した選手ということになります。
総勢64名でした。





年度別に、背番号(1年目)が若い選手から順番に表記しています。

一軍経験者は23名でしたが、レギュラークラスにまで成長した選手はそれほど多くはない印象です。
南海時代は親会社が球団にあまりお金をかけず、育成がなおざりにされたことも大きかったようです。
人数合わせのためにただ、獲得しただけで戦略的に新人を取ろうという意識に欠けていたのでしょう。

また70年代中盤までは大捕手・野村克也が君臨し、多くの捕手は松本芳之のように、
分厚いカベの前に苦しんだようです。
同じ捕手の岩木哲はテストを経ての入団で、野村の退団後にチャンスをつかみ、
82年には91試合に出場。正捕手まであと一歩と迫っています。

西清隆は南海では一時練習生となったほか、広島を経て横浜移籍後も打撃投手を務めた苦労人。
97年に中継ぎに定着して58試合に登板、プロ13年目で初勝利をマークしています。
川越透はテスト生上がりで、90年代半ばに一時、控え捕手として一軍に帯同しています。

球団がダイエーに身売りされた89年以降は、育成に金をかけられるようになったためか
スカウティングにも力が入れられるようになり(九州中心ですが)、
ドラフト外入団から一軍にステップする選手も出てくるように。

小早川幸二は広島移籍後、左のリリーフとして96年に46試合に登板しています。
脇坂浩二も打撃や守備固めなどで96年に55試合に出場し、一軍定着寸前まで迫りました。

出色だったのが田之上慶三郎。大型右腕として期待され、7年目に一軍に定着。
30歳となった01年には13勝をマークして最高勝率のタイトルを獲得するなど、
優勝を争う強豪チームの主力投手として貢献しています。

坊西浩嗣は吉永幸一郎や城島健司のサブ捕手としてチームを支えたほか、
勝負強い打撃を活かして代打でも活躍。17年間にわたり現役選手としてプレーしています。

南海時代を含めて、そのほか気になった選手では、
ジュニアオールスターでMVPを獲得するなど期待されながら4年で退団し、韓国プロ野球で活躍した吉村元富、
一軍では活躍できなかったものの、“左右投げ”で話題をまいた近田豊年のような投手もいました。

市原稔や筒井良紀のように、引退後にフロントなどを経てコーチとしてユニホームを着た選手もいます。
巨人に移籍後、打撃投手としてチームを支えた柚木秀夫、
南海、ダイエー、ソフトバンクと一貫して裏方に徹し、現在も寮長として若手の面倒を見ている金岡信男といった人もいます。

一軍で活躍した人材は少ないものの、なかなか多士済々といった感じのホークスドラフト外組でした。

秋季高校野球関東大会 千葉県勢成績(1987年~1992年)

2020-10-08 08:30:18 | 秋季高校野球関東大会千葉県勢成績
高校野球の秋季関東大会における、千葉県勢の成績を紹介するシリーズ。
5か月ぶりに復活の第5弾、今回は1987年~92年です。

今年の秋の関東大会は千葉で開催されます。
おそらく無観客で行なわれることになるでしょうね。
まあ、このご時世では開催されるだけでまし、といえるかもしれません。

この企画、関東大会開幕までに2019年度までやれればと思っていますが、
間に合うかどうか…。



1987年は秋の大会で初優勝を果たした市船橋が、
その余勢をかってベスト4に進出しセンバツ切符をゲット。
立石尚行-伏島良平のバッテリーに中心選手の大野和哉らタレント揃いでしたが、
甲子園では初戦で倉吉東に3-10で大敗しています。
千葉県勢が鳥取県勢に敗れたのは、春夏合わせても現時点でこの試合だけです。

1988年は県大会で準優勝を果たし、
初の関東大会出場を果たした市柏が旋風を起こし、
初戦で接戦を制すとあれよあれよという間に勝ち上がって甲子園へ。
しかし、センバツでは初戦で準優勝した上宮に3-8で完敗でした。

1989年~91年の3年間は、1勝するのがやっと。
90年の成田が補欠校に何とか入り込めた、というありさま。
3年連続でセンバツに代表校を送り込めませんでしたが、これは68年以降ではワースト
(この間、2年続けて出場校ゼロはありませんでした)という寂しい結果に。

しかし、地元開催の92年は県大会準優勝の市船橋が意地を見せ、
ベスト4に残って5年ぶりのセンバツ出場を決めています。
藤井浩一、須永忠勝、長尾健一、岩下昌史ら打線はなかなかの粒ぞろい。
2年生エースの小笠原孝も安定していました。

甲子園では初戦の川西明峰に4-1で快勝。
3回戦の国士舘戦では延長14回の熱闘の末、7-8で惜敗するも、
さらに成長したナインは夏の甲子園で4強入りを果たします。

次回は1993年~98年についてご紹介します。

千葉県高校出身者・ドラフト指名選手一覧(2001年~2006年)

2020-10-06 08:33:59 | 千葉県高校出身者ドラフト指名一覧
千葉県の高校出身プロ野球選手を紹介するシリーズの10回目は、2001年から2006年です。



2001年は3名。
早川大輔は進学校・県立船橋出身。立大へは一般入試で入学し、本田技研では3年連続都市対抗に出場。
00年には新日鉄君津、01年には日本通運の補強としてベスト4に貢献。オリックスでは代走での起用がメインでしたが、
地元のロッテに移籍後にブレークしてレギュラーに定着。現在は古巣・オリックスのスカウトです。

山田憲は00年夏の甲子園で準優勝した東海大浦安で、2年ながら遊撃のレギュラーとして活躍。
しかし、プロでは3年間で一軍出場ゼロでした。

林昌範は高校では夏の県大会ベスト4が最高と甲子園とは無縁でしたが、速球派の大型サウスポーとして期待され、
巨人では2年目に一軍に定着しクローザー、セットアッパーを任されたほか、
日本ハム、DeNAでも貴重な左の中継ぎとして重宝されました。現在は船橋市にある実家の自動車学校に勤務しています。

2002年は高校生2名が指名。
浅間敬太は01年の秋に県大会準優勝。チームを関東大会へと導きました。
最後の夏はベスト8で敗れたものの速球派左腕として注目されプロ入り。
1年目にいきなり一軍デビューも、ケガに泣かされ活躍には至りませんでした。

長田昌浩は甲子園には手が届かなかったものの、高校通算30本塁打、打率4割5分に加え俊足の持ち主として
西岡剛(大阪桐蔭)、森岡良介(明徳義塾)ら、甲子園で活躍した選手と並び称される大型遊撃手としてプロ入り。
しかし巨人の選手層の厚さの前に、一軍ベンチへの定着を果たせませんでした。

2003年は5名。
川島亮は甲子園とは縁がありませんでしたが、大学で実力開花。日米大学野球の日本代表に選ばれ、
アマ屈指の好投手として自由獲得枠でヤクルトに入団を果たしています。
いきなり先発ローテに加わり10勝をマークして新人王を獲得するなど、即戦力の期待に応えましたが、
プロ3年目以降は故障に泣かされ尻すぼみとなったのは惜しまれます。現在はヤクルトのマネージャー。

押本健彦は高校時代は控えでしたが、日産に進むと急成長。03年の日本選手権で2勝をマークして日本一に貢献。
プロでは1年目に7勝を挙げたほか、ヤクルト移籍後はセットアッパーに定着し、
通算111ホールドをマークしています。現在は日本ハムのチームスタッフ。

岩舘学は高校時代から強打の遊撃手として知られ、3年春には主砲として関東大会進出の原動力に。
大学でもすぐにレギュラーに座り日本代表に3度選出されましたが、
プロでは攻守ともにそつがないものの決め手に欠け、一軍定着は果たせず。現在は日本ハムのスカウトです。

金子圭輔は高3の夏の県大会ではエースとして、速球を武器にチームを準優勝に導きました。
プロでは本職の遊撃手で勝負。内野ならどこでも守れる器用さで実働13年間、主に内野の守備固めを任されました。
現在はソフトバンクの広報を務めています。

栗田雄介は高校、大学、社会人と全国大会とは無縁。社会人チームの休部に伴い近鉄のテストを受け入団。
MAX143キロのストレートが武器でしたが、一軍登板は1試合のみ。現在はマリーンズアカデミーのコーチです。
この年プロ入りした5名は、2020年現在で全員、球界に残っていることになります。

2004年は2名。
手嶌智は高校時代から好投手として知られ、2年秋はエースとしてチームを関東大会に導きました。
社会人ではハーレム国際大会の日本代表に選出されており、プロでも即戦力として期待されましたが、
一軍での登板は1試合に終わりました。現在はロッテの広報兼打撃投手として、裏側からチームを支えています。

中村一生は高校時代、夏の甲子園で8安打を放ち準優勝に貢献。大学では通算7本塁打をマーク。
高い身体能力を誇る大型外野手として、中日、オリックスでは主に守備固めを任されました。

2005年、06年はドラフト指名ゼロに終わっています。ドラフト制度開始以降、
2年続けて千葉県の高校出身者が指名されなかったのは初めてと、寂しい結果となりました。

次回は2007年~08年をご紹介します。

秋季高校野球関東大会 千葉県勢成績(1982年~1986年)

2020-10-03 08:40:50 | 秋季高校野球関東大会千葉県勢成績
高校野球の秋季関東大会における、千葉県勢の成績を紹介するシリーズ。
5か月ぶりに復活の第5弾、今回は1982年~86年です。

今年の秋の関東大会は千葉で開催されます。おそらく無観客で行なわれることになるでしょうね。
開幕は10月24日。それまでに、2019年の分までご紹介できれば、と考えています。



82年は両校とも準々決勝で敗退。4年ぶりにセンバツに代表校を送り込めませんでした。
しかし地元・千葉開催の翌年、エース・古橋富洋、強打の捕手・鈴木隆、センス抜群の小川博文など
タレントを擁する新興の拓大紅陵がスーパーシードを活用して1勝で甲子園をゲット。センバツでも8強入りを果たしました。

84年は東の佐久間・西の清原(PL学園)とうたわれたスラッガー・佐久間浩一率いる東海大浦安が
県大会~関東大会と相次ぐ打撃戦を制して印旛以来の関東Vを達成。初のセンバツへと駒を進めています。
関東王者として乗り込んだ甲子園でしたが、初戦で優勝した伊野商のエース・渡辺智男に抑え込まれました。

85年は名将・小枝守監督の指導により、2年前よりさらに強力なチームとなった拓大紅陵が初の秋関Vを達成。
スラッガー・佐藤幸彦、強肩捕手・飯田哲也、好投手・木村英郎ら強力な布陣で
センバツでも優勝候補に挙げられるほどでした。しかし2回戦で“シンキロウ旋風”新湊にまさかの逆転負け。

86年は東海大浦安がベスト4進出を果たし、2年ぶりのセンバツ切符を手中に。
しかし、部員の不祥事(確か関係ない3年生の暴力沙汰だったと思います)でまさかの出場辞退…。
夏も甲子園には手が届かず。当時は当該の部員に関係ないトラブルでも、こうして辞退するケースがあったのです。