山本山城は、余呉川下流域の歪曲部、標高324mの山本山に位置する。阿閉山城ともいう。平安末期の記録に見える山下城が前身といわれるが、当時は、城というよりも天然の要害程度で、山本山城が、本格的に山城として整備されたのは、戦国時代に京極氏家臣の阿閉氏の居城となってからである。永正年間には浅見城主浅見氏が詰城としていた。浅見氏は、一時浅井長政と反目したが、のち浅井氏の勢力下に組み込まれ、浅井長政の頃、阿閉貞征が城主となり小谷城防衛の最重要支城となった。天正元年(1573年)阿閉貞征が浅井氏を見限り織田方に下った結果、小谷城は孤立しついに落城した。天正10年(1582年)、本能寺ので織田信長が横死すると、阿閉貞征は明智光秀に与して、山崎の戦で羽柴秀吉が明智光秀を破ると、阿閉一族も豊臣秀吉に滅ぼされ、山本山城も廃城となった。現在、山頂尾根部に土塁をともなう細長い長方形状の曲輪と堀切が連続した状態でしっかりと残されています。
[所在地:滋賀県長浜市湖北町山本・高月町西阿閉]
<アクセス>JR北陸本線・河毛駅から山本山登山口まで徒歩約70分。山本山登山口から山頂まで約40分。
*JR「河毛」より「山本山登山口」まで、湖北町コミュニティバスがあるが本数が少ない。
▼山本山・・・ 標高324m ▼朝日山神社・・・山本山登山口である。
▼山本山城の縄張り図
▼三の丸 ▼二の丸
▼二の丸からの眺め ▼本丸(主郭)
▼堀切と土橋 ▼二番馬場跡
▼馬の蹴跡
*[補足]JR北陸本線・「河毛」より、湖北町コミュニティバスで「山本山登山口」下車 登山口まで徒歩5分。
登山口から山頂まで徒歩約40分。地方の路線バスなので本数が少ない。
2015/05/31 訪城