観音寺城は、湖東平野の中心部にある独立丘陵、標高432.9m、南北に伸びる繖山(きねがさやま)の南半分を中心に築かれた日本最大規模をほこる山城です。本格的に城郭としての整備を行うのは応仁の乱以降で、南腹の斜面に多くの廓(曲輪)を造り、家臣や国人領主の屋敷を配置した。天文年間には、城下町・石町も置かれ、日本最初の楽市令が敷かれた。さらに鉄砲の伝来による戦術の変化に対応し、1550年代には石垣を整備し、今日見られるような総石垣の城構えとなった。しかし、城の大きさの割に防御施設というほどのものが無く、それは六角氏が地元の有力国人の連合政権の上に成立していたためである。永禄11年(1568年)六角承禎が、織田信長の攻撃を受け、戦わず城を放棄したことにより、観音寺城は、落城。その後、永禄11年(1568年)廃城となった。、本丸、落合丸、平井丸、池田丸以外の郭は、ほとんど草木に覆われている。現在、観音寺城跡は、国の史跡になっています。
[所在地:滋賀県近江八幡市安土町大字石寺]
<アクセス>JR琵琶湖線・安土駅下車徒歩70分
安土駅⇒(徒歩約40分)⇒桑實寺⇒(徒歩約30分)⇒観音寺城本丸跡
*(注)安土駅から、近くまでタクシーで行く方法、他のアクセスもあります。
▼観音寺城の概要
▼観音寺城跡略図
▼本丸の石垣 ▼本丸跡碑 ▼本丸跡中心部分
▼本丸の石垣 ▼本丸跡中心部分
▼本丸石垣
▼落合氏屋敷跡碑 ▼平井丸虎口
▼食い違い虎口 ▼平井丸角の石垣
▼平井氏屋敷跡碑 ▼立派な石垣
▼池田氏屋敷跡碑 ▼本丸からの石垣の階段
▼観音正寺への道 ▼観音正寺境内
現在の観音正寺の場所は、上御用屋敷であった。
▼観音正寺本堂
2014/06/01 訪城