平野郷は、平安時代に開かれ,戦国時代には、自衛のため、まちを環濠と土塁をもって二重に囲み、外敵の侵入を防いだ。出入り口13ケ所に構えられた門は、明治12年(1879年)まで存続していた。その規模は堺に次ぐ規模です。これが「環濠自治都市・平野郷」の成立である。町民会議でまちを運営する自治都市として栄えた。中世より、近世にかけて各地と交易した平野商人の活躍は、末吉家のように朱印船によって、海外に雄飛する大商人を生み出した。また、在郷町として綿、特に操綿の生産として全国になをはせた。幸い、今次大戦の戦火を免れ、現在も大都市大坂の中にあって、今なお環濠都市の面影が残る地域です。
[所在地:大阪市平野区]
<アクセス>JR大和路線・平野駅南口下車南へ
▼平野環濠概略図
▼杭全神社
▼平野環濠跡碑(杭全神社境内) ▼環濠の濠(杭全神社の東側)
▼全興寺(せんこうじ)
▼坂上氏の屋敷跡 ▼泥堂口地蔵
▼大念仏寺
日本仏教13宗の1つの融通念仏宗の総本山
▼平野郷絵図
2014/11/11 訪問