大和・高田城は、永亮4年(1432年),室町幕府第六代将軍 足利義教の命により、有井城主當麻為貞によって築かれた平城です。當麻氏(とうまし)は、一乗院方の国民です。高田城は室町時代後期、當麻氏が城主として君臨し、大和西部に大きな勢力を持ち、越智氏と勢力を競ったが、戦国時代になると、織田信長に従った筒井順慶の侵攻により、天正11年8月に高田城主一族は滅ぼされ、城も廃城となった。現在、遺構はないが、城は片塩小学校一帯に築かれ、片塩小学校の南側にある小公園に案内板と石碑が建っている。石碑の傍らには、樹齢計り知れない巨木が鎮座している。公園の南側にある當麻氏ゆかりの常光寺には、高田城主當麻(当麻)三河守為長公之墓がある。
【所在地:奈良県大和高田市旭北町】
<アクセス>JR高田駅から徒歩約6分(500m)
▼大和高田城跡
▼石 碑 ▼公 園
2013/03/03 訪城
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大和・高田城の攻防戦 文安4年(1447年)
文安4年(1447年)、當麻氏の大和・高田城(砦)は、越智・布施氏の軍勢に攻められ、五重の木戸を四重まで攻め落とされながらも撃退させた。