横山城は、 小谷城のある小谷山とは、姉川を挟んで対峙している。南北に横たわる丘陵上に築かれた山城で、標高312mの頂上から三方にのびる尾根上にY字形に築かれました。京極氏の支城であった横山城は、永正14年(1517年)に浅井亮政に攻められ浅井氏の城になり、小谷城の支城として永禄4年(1561年)浅井長政により改築された。元亀元年(1570年),横山城を攻略しょうとした織田軍と救援しょうとした浅井・朝倉連合軍が姉川で戦い(姉川の戦)、この戦で織田軍が勝利し、時の城主三田村氏を降伏させ、横山城を手中にし、木下藤吉郎を城代として入れた。横山城は、天正元年(1573年)9月に浅井氏が滅亡するまで、北近江攻略の基地として、織田軍団の重要な拠点となっていた。木下藤吉郎は、約3年間この城を本拠とし、のちの賤ヶ岳合戦で豊臣秀吉が使用したあと、廃城となった。
[所在地:滋賀県長浜市堀部町・滋賀県米原市朝日町]
<アクセス>JR・東海道線・近江長岡駅下車徒歩約2時間。
▼横山城の概要
▼横山城の縄張り
▼横山城(南城址) ▼井戸
▼横山城(北城址)
▼北城址からの東方の眺め
▼北城址からの西方の眺め
2015/05/15 訪城
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姉川の戦 元亀元年(1570年)
元亀元年(1570年)2月、織田信長軍が越前の朝倉攻めの最中に、浅井氏が突然朝倉氏側に立って挙兵。朝倉攻めの織田信長軍が、京へ、脱出。6月浅井攻め。織田信長軍(23,000騎),徳川家康軍(5,000騎)が姉川で浅井長政軍(5,000騎),朝倉義景軍(8,000騎)と激突。援軍の徳川家康軍の奮闘で織田信長方の勝利。
小谷城の戦 天正元年(1573年)
天正元年(1573年)8月、織田信長軍、越前の朝倉氏攻めの再開と浅井氏の小谷城攻めを開始。織田信長軍、一乗谷の戦で大勝した後、小谷城を猛攻し朝倉氏、浅井氏両家が滅亡。お市の方とお市の娘3人が浅井氏から織田信長に帰される。