鎌倉時代に加藤景廉が美濃国恵那郡に地頭職を与えられて美濃遠山荘に土着して遠山氏を名乗った。以来、東美濃で発展し、俗に『遠山七家』と呼ばれるようになる。苗木の遠山氏は、『遠山七家』の一つであり、大永6年(1526年)、木曽川の流れに突き出した高さ約426mの天然の要害の高森山に苗木城を築きました。その後、織田信長と武田信玄が対立する時代、遠山氏は双方と縁戚関係を結びます。
しかし、天正10年(1582年)、本能寺の変によって、遠山氏の立場は不安定なものになってしまう。遠山氏は豊臣秀吉の家臣森長可に苗木城を攻め落とされ、徳川家康を頼って落ち延びます。慶長5年(1600年)9月、関ケ原の戦の前に徳川家康の指示で苗木城を奪還し、苗木領1万521石の大名となります。
それから明治維新まで、遠山氏は苗木城主として初代遠山友政から12代遠山友禄にわたりこの地を治めました。だが、小藩ゆえに常に財政は困窮していて、苗木城の壁は赤土がむき出しになっていたので、『赤壁城』の異名を持つが、これは白漆喰を塗る費用がなかったためである。昭和56年(1981年)、戦国時代の面影をとどめている近世城郭であり、貴重であるとして苗木城が国の史跡に指定されました。
【所在地:岐阜県中津川市苗木】
<アクセス>JR中央本線・中津川市駅徒歩約3.5Km(約1時間)
▼中腹より本丸方向を望む
▼苗木城のイラスト図
▼大矢倉 ▼二の丸
▼本丸の石垣 ▼本丸の石垣
▼苗木城天守の概要
▼天守台 ▼帯郭
▼天守台からの眺め
2019/04/13 訪城