なな色メール 

シュタイナーの勉強会の仲間と始めたニュースレター。ブログでもその一部をご紹介していきたいと思います。

~夢に見る循環型社会~②

2013年09月10日 | ともこ
“つながるあきた地宝づくりプロジェクト”でも第一回目ワークショップを8月末に秋田市上新城の農家民宿“重松の家”で行いました。

スタッフとして関わり、お子さん連れの方が結構いらっしゃっていたのに色々配慮できず、私は自分も話を聞きたくて会場の方にばかりいたり他のスタッフや、せっかく参加していただいたのに厭きてきた自分のお子さんの世話にかかりっきりで会場になかなかいらっしゃれていないお母さんなどおられたようで反省しています。その辺を今後どうするか、改善点が盛り沢山です。下記内容です。

『未来の食のあたりまえ』

〔第一部〕「生産と測定の現場から見えてくるもの~まだまだいけるよ秋田の食べ物~」
午前中は311以降、秋田県能代で市民測定所「すくすく測定室」をされている齋藤範子さん、秋田中央にお住まいで食品の測定結果をブログで発信されている「ベグレデネガ」の斉藤さん、有機農法農家「ファームガーデン黄昏」の菊地晃生さんの三人に食品のじっさい測定したデータの資料を見ながら座談会風にお話いただき、測定に関わった動機や生産者から見た秋田の状況、身近な食材の汚染状況も教えて頂きました。

∵測定方法について。データの見方。数値だけでなく、グラフにして判定。

∵秋田沖の真だらから8ベクレル代の数値が出ている。

∵日本の土にはカリウムがあるので、セシウムを吸収しなかった。中島紀一さんという方が『福島の奇跡』とい著書で福島県の農地について調べて書かれている。

∵秋田県内の食材については山菜や川魚を除けば希望の持てる状況である。

∵県内各地で市民検査体制が出来つつある。

∵測定値の見方の勉強になった。(数値だけ見ず、グラフや、他のものの影響も考えて見る。)

∵大豆については少し高い数値が出ている。(根粒菌の影響か?)


〔第二部〕「あきたをつなげる地の宝」

午後はワールドカフェでした。OST(オープンスペーステクノロジー)という方式で、参加者全員が関心のある事項をかき出し、同じ項目同士でグループになり皆の意見を拾い上げて理想に近づくための具体策を出すというグループワーク行ないました。

出てきたキーワードは“自然との共生(人も自然の一部)”“自然農” “つながり(自然、人)を大切にする”“こども”“予防接種について”“消費を変える→買う~作る/地元の生産者から購入”“玄米菜食”“持続可能な社会”などなど。

一人一人ができる事は小さな事かもしれませんが、「出来る事から始めよう、自然を大切に、感謝して生きたい。」と共感できる人々と出会えてさらにそう思えました。
 
人間だけがこの地球に住んでいるわけじゃぁない。人間の勝手で無関係の野鳥や野生動物たちには放射能を浴びせてしまったのです。慎ましく生きられない私たち人間は傲慢です。

塵に還るものだけで良かったではないですか。

ありがとう。ごめんなさい。許してください。愛しています。

麻製品の普及が待ち遠しいですね。

シンプルな買い物を アズマカナコさんの記事紹介

2013年08月01日 | ともこ
持たない暮らし4 シンプルな買い物を 省エネ生活研究科のアズマカナコさんの記事紹介
秋田魁新報 2013年6月14日  くらし 話題より

この記事を読んでアズマカナコさんという方を初めて知りました。冷蔵庫が無い生活にびっくり!なな色メールで紹介させていただきました。

以下記事本文抜粋


わが家には冷蔵庫がありません。2年前の東日本大震災の後、被災地で必要としている人がいることを知り、思い切って寄付をしました。それから冷蔵庫のない生活をしています。

でも、いきなり冷蔵庫なしの生活をスタートさせたわけではありません。今から6年ほど前に、近所の人から「60年前は家に冷蔵庫がなかった」という話を聞き、当時はどんなものを食べていたんだろう、と興味が湧きました。
その人や近所のお年寄りから詳しく話を聞いているうちに実際に試してみたくなり、まねしてみることにしました。

冷蔵庫をなくす前に、まず中身を減らしてみようと思い、状況を知るために何が入っているのかを書き出してみました。すると、自分が思っていた以上にたくさんの食材が入っていたことに気付きました。多めに買い過ぎていたものや、冷蔵しなくてもよい調味料や乾物までありました。この点検作業だけでも、中身がだいぶ減りました。中身を書き出す習慣ができると、うっかり使い忘れたり、買い過ぎたりすることもなくなりました。買い物も意識してみると、常温で保存可能なものは意外とあることに気付きました。

例えば、野菜は洗ってあるものよりも泥つきのもの、カット野菜よりも丸ごと。乾物や干物、日本の伝統的な調味料の塩、しょうゆ、みそ、みりん、酒、砂糖、油など。冷蔵庫は、あくまで買ってきてから調理するまでの一時保管の場所と考えるようになりました。常温保存できるものを中心に、生鮮品は使い切ることができる分だけを購入するようにしたところ、ロスもなくなり、買い物や料理もシンプルになりました。



!!!

うちの冷蔵庫はもったいないものを取ったままにしているので、もったいないもの製造庫だーーー…。

まめに、丁寧に、家事をやる気にならなくちゃ!と反省しきりです。

ひょうどうともこ

『怒りのダンス』=人間関係のパターンを変えるには=    

2013年08月01日 | ともこ
怒りの感情について良書を見つけました。紹介したいと思います。

「世の中、怒れる女は「あばずれ」と嫌われ、バッシングを受けます。女性は得てして養育者であり、ご機嫌を取る者、平和の作り手、揺れ動くボートを支える台であるとされてきました。意見、怒りを押しとどめ、表現する事にさえ罪悪感を感じ「素敵な淑女」として振舞うことを奨励されます。
ところがこの本では怒りは物事に対する感じ方の一つで、何か理由があり、自分が一体何に対して怒っているのか知ることが大事なのだと書いています。怒りの感情には敬意と注意を払いましょう、と。
「怒りのエネルギー」は、大事に扱うと以前より明瞭で確かな自己を獲得できる素晴らしいスキルです。

<パートナーカップルとの関係改善>

二つの視点:シーソーバランス(上下関係)/ 分離と共同のバランス(偏ると非自立的)が大事

<子供との関係改善>

母親になると自分のコントロールの範疇を超えてコントロールできるし、そうすべきだと信じるように促される。良き母親である事を求められ、自らも世間に証明することを望むが、実際には実現せず、怒りが蓄積。
PET(親業):トマス・ゴードン博士(人間関係づくりモデル)に習って Iメッセージで。
             責めメッセージ「あなたは…」―→「私は…」自助メッセージ

子供のどんな行動なら自分は黙認し、あるいは黙認しないかの区別、子供の不品行にはどう対処するのか、明瞭に決めておく。曖昧な境界やその時の感情任せで行わない。
また、家族メンバーが固執し続けている良くない関係のパターンがある時、自分自身が果たしている役割を変化させて見る事も、出来る事の一つである。過去の子ども時代を過ごした家族の関係を振り返ると、何に不安があって今固執しているのかが判明することもある。

<怒りを効果的に活用するには>

Ⅰ 怒りの真実の源に焦点を当てる―――⇒自己を明確にする(怒り、不安な心に気づく)

Ⅱ 冷静に、素直に伝える(交渉する)

Ⅲ 問題の明確化(問題の状況、自分の立場、何が望みか、責任の所在、変化するべきは何(誰)?)

Ⅳ 卑劣な策略を使わない(非難、解釈、レッテル貼り、説教、論争など)いつものパターン?

Ⅴ Iメッセージで伝える(相手を責めない)

Ⅵ 相手に曖昧な要求をしない。明確に伝える

Ⅶ 人はそれぞれ違うのだと理解する(あなたと私の考えは違って当たり前)、認める

Ⅷ 自分のダンスのステップを変える。相手を変えようとしない(パターンから抜け出せる)

Ⅸ 一人一人の人間は自分の行動に責任を持っていることを認識する

Ⅹ 他者に対してその人がどう考えたり感じたりしているか、どうするべきか宣言しない

Ⅺ 第三者をダシに使って話さない(問題の焦点がぼやけてしまう)⇒Iメッセージに変える

Ⅻ 何度も乗り越える覚悟が必要(元の悪いパターンに内外から戻りたがる)               」

前回のなな色メールでは胆汁気質のSさん、Eさんのお二方が怒りの感情の事を書いていましたね。私も胆汁気質です。前向きな働きかけにこの感情を使うことが出来るようになりたいです。

憲宝と地宝①

2013年08月01日 | ともこ
残暑お見舞い申し上げます。皆様夏本番いかがお過ごしでしょうか?

秋田は良い所ですね。特に私の住むにかほ市象潟は山あり海ありですのでそう感じます。私の夏の日の思い出といえば、広島にある母方の実家に夏休み中ずっと一緒に里帰りし、尾道は向島で一緒くらいの歳の従兄妹たちと毎日海に浸かって夏を満喫したことです。瀬戸内のキラキラと眩しい島と島の間の海がありありと浮かびます。堤防から船着場に飛び込んで泳いだり、引潮の河口で綺麗なガラス片を見つけては宝物にしていたこと、畑のトマトに塩をふってもらってまるかぶりして食べたことが思い出されます。

7月の末から二週間、象潟の浄土真宗のお寺のKさんが代表でされている福島っ子たちの保養プロジェクトがありました。私は3日程海遊びのところ限定ボランティアとして参加をしました。子供たちの良く遊ぶこと。いわきでは目の前に海があっても海水浴が安心して出来ないのですから、こっちでははじけているのでしょう。そう思うと切ないです。曇り空だと油断してせっかく買い揃えていた日除けグッズを持参せずいたら午後からの照りに既に潮にまみれていたしでまたまた赤く日焼けてしまい、「走るー、走るー!」状態に。(広島弁で、ヒリヒリと痒い時に言う)これまた従兄妹たちとの思い出ですが。毎年夏休みが明けて大阪に帰ると学校中で一番黒く日焼けしていました。実際、桃の葉エキス入りローションを薬局に買いに走る事に…。ホメオパシーのレメディ、ベラドナとカンサリスも交互にとりました。

母の旧姓は村上といいます。先祖は広島の村上水軍です。(海賊として栄え、有力な勢力として毛利元就の時代に協力をした)今年参議院議員に緑の党から出馬した三宅洋平氏も村上水軍の子孫と彼のスピーチを知人のフェイスブック内の動画で知り、急に親近感がわきました。彼の正直な意見に感動してぎりぎり終焉に応援させてもらっていました。彼の老若男女を問わない人気ぶりは凄かったですね。17万代という票が集ったのに落選したなんて驚きの事実です。とある有力な政党であれば14位で入選だったそうです。選挙のシステムの意味がわかりません。これでは大きい政党が有利な仕組みに作られていて、疑問符?です。参議院議員選挙では、自民が圧勝でしたね。この四月に知人の誘いで憲法について学ぶ機会を持ちました。人権を謳った稀にみる素晴らしい憲法を誇り、そして護るべきと今はっきりと思っています。山本太郎氏が参政することになって、うやむやにされている問題にメスを突き立ててくれることを期待していますが、もうテレビ番組では被ばくというワードを出したとたんにCMカットや話題をすりかえられたり、ネット上で誤解を招く解釈で、発言した言葉を使われたり、ネガティブな風当たりを受けていてとっても心配です。

宮崎駿氏の新しい映画は関東大震災、第二次世界大戦という日本にとってとても苦難の時期だった時が舞台ですね。彼とその他『ほたるの墓』の高畑監督のスタジオジブリが毎月発行している小冊子『熱風』に掲載の文章が選挙直前にネット上で話題になりました。

宮崎駿氏の「憲法を変えるなどもってのほか」より
 ・ 最大の問題は国民の無関心。憲法を変えようなんてもってのほか論議が必要。
 ・ 「戦前の日本は悪くなかった」と言いたいのかもしれないけれど、悪かったのだ。
 ・ 慰安婦の問題もそれぞれの民族の誇りの問題だからきちんと謝罪して賠償すべき。
 ・ 憲法は目標であって、条文をよくしたら貧乏人がいなくなるとかそんなのあり得ない。今やっている仕事が
   おもしろいとか、友人とホッとするいい時間を持つだとか、好きな亭主の顔見たらうれしいとか、これからは   そういうことで生きていかないといけない。」 (高畑監督の記事は後日紹介させていただきます。)

憲宝と地宝②

2013年08月01日 | ともこ
「女性の権利が守られない社会は、人も生きられない社会だ。」アメリカの民生委員として日本国憲法の女性の人権の条項を作成してくれたベアテ・シロタ・ゴードンさんの言葉です。彼女はアート(芸術文化)をアジア、日本からアメリカへと紹介するという天職に就く中で「アートは世界共通の心(ハート)を持っている。世界をアートでつなぎたいという夢を亡くなるまで抱いていました。そして、世界中を廻って感じたことの中に、どこの国の女性も家族の幸せを願って生きているので平和が大切だと理解している。今の世界を平和へと導くのは女性だと言っていました。

仕事をレギュラー勤務でしていると「主婦って毎日お休みのようでいいなぁ。」となるのですが、(専業主婦の方々、ごめんなさい!)主婦業をきちんとするといくら時間があっても足りず、休んでいる暇なんてありません。女の敵は女ではありません。先月お昼のテレビ放送で自民党が三年の育児休暇を女性に保障する政策について話題にし、主婦と働く女性にインタビューをしていましたが、お互い対立の意見でした。


以下は上野千鶴子さんの活動ネットアクション“WAN” に掲載の記事

安部政権は景気回復のための切り札として「女性の活用」を唱え上場企業の役員ひとり以上を女性にとか言い出している。働いてももらいたい他方で子どもも生んでもらいたい、というので「女性手帳」だの「3年抱っこしほうだいの育休」を提案してもいる。

女性の労働参加がなければ少子高齢化がすすむ日本の未来はありえないから動機は不純だが方向は正しい。

しかし方法がまちがっている。

「女性手帳」は各方面から批判を浴びて、ひっこめた。「3年育休」のほうはどうか。

3年育休と突然言われて、女性のあいだからはとまどいの声が生まれた。

これまでそんな要求を女性の側からしたことがなかったからだ。

3年間も仕事を休みたくない、そのあいだにすっかり取り残される、それに長期にわたる育休は、その後の昇進や昇給、退職金や年金にまで影響する。それより現在の働く女性のあいだでは、職場復帰の時期が早期化している。

ほしいのは育休明け保育だ。3歳児保育なら充足率は高い。足りないのはゼロ歳児、1-2歳児、病児、夜間、一時保育だ。そこに

「3年育休」なんて言われたら、ははあーん、これは3歳児未満の保育の充実にお金を使う気がないのだなと解釈するのが正しい。

女を3年家に閉じこめておいて子育てに専念してもらうほうが安上がりだからだろう。

それ以前に現在の育休制度の点検をすべきだろう。

1年育休だって期間を切り上げて早めに職場復帰するひともいるご時世だ。

昔にくらべれば職場復帰の保証があって、育児に専念できるのは福音といってよいが、だからといってまるで自分が授乳タンクのような気分で孤立育児を強いられる状況は変わらない。

期間限定だと思えばこそがまんできる。それに出産の原因をつくったもうひとりの当事者である男親の育休取得はいっこうに進まない。

1991年に育休法ができたあと取得経験者に調査をしたところ、以下のようなことがわかった。まず第1にまるまる1年の休みよりも、時短や在宅勤務のようなかたちで職場となんらかのつながりを保ち続けていたいと思う女性が多かったことだ。

第2に実際に育休をとった女性たちが例外なくこぼしたのは、子どものいない夫婦だけの時代に夫と培った暮らしの協力体制が1年間の「専業主婦」生活のなかですっかり役割分担体制に変わってしまうことだ。

妻が家にいれば夫はとめどなく妻の負担の上にあぐらをかく。

育休前より育休あけのほうが子育ての負担がどっと来るのに夫のほうは手抜きが身についている。

その夫をふたたび協力体制に持っていくまでにたいへんな苦労をした、と多くの女性がこぼした。

なかには夫を変えるのをあきらめて自分で何もかも背負ってしまうスーパーウーマンもいる。

女性を「活用」したいという政治がほんとうに女性の思いを大事にしてくれているかどうかについては、警戒したほうがよさそうだ。

(『京都新聞』「現代のことば」2013.6.10付け)

育児を家でゆったりと出来るのはいい事です。それを授乳タンクと言い放っている文章には賛同しかねますが、ただ家庭内に閉じ込められていると感じてしまう時にはそんな風に考えてしまう事もあります。そういう人は社会に出て働くなど何かするべきです。ただ、母性を子どもに注ぐ必要がなくなるというのでは良くありませんよね。母性を大切にしてもOKな社会、大事なのは母性と仕事の両立です。

ベアテさん;「女性は家庭を守る役割はあるとしても、家の中にずっといないで、自立心を持ち、社会と関わるべきです。そうでないと、世間知らずでは育児においても十分な大人としても意見を提供できないし、何かに夢中になっている人のほうがはつらつとしていられる。反対に職業に就いているならそれはそれで、家計の為だけでなく自分を大切にして自分磨きもしようというつもりでいるべき。

NPOの活動に関わった社会貢献もいい活動で、日本はまだ初期段階の展開であり、手作り感があって、きっとやりがいを見出すものとなる。」

武田邦彦氏のツイッターにあった見解を拝借・・・             

「第二次世界大戦後、女性の社会進出が進み、男性社会に飛び込んだ女性の大半は差別を受け、苦しみ、挫折した。

その原因を「男性」に求めたのは失敗で、理由は〔男性社会はもともと男性の論理でできている/男性は女性のために自分たちが不利になる改良をしない/女性のための社会は女性が作らなければならない〕と。

「男性と女性は同じなのだから同じ取り扱いを受けるべきだ」と女性は言った。

それは正しい。

でも、そう言うと男性は「同じ取り扱いをしているよ」と素っ気ない。

「同じ取り扱い」が「女性に不利」になるのは、男性社会だから・・・。戦後の女性の辛さ、悔しさを見ていると、私には「作戦不足」という感じがする。勝つためには正義を主張するだけでは無く、作戦が必要なのでは無いだろうか?」        (H.25/4/13)


もう成人した姪っ子が子どもの頃に「女は損だ」と仕事と家事をこなしていたお義姉さんを見ていて話していました。本当のジェンダーフリーの社会にしないと、結婚して子どもを育てたいという女性がいなくなるのでは?秋田では封建的な家父長制度の考えが根強いと感じます。我が家は当にその葛藤と確執が起きている現場です。面白がるしかないです。




憲宝と地宝③

2013年08月01日 | ともこ
今、私は“つながるあきた地宝づくりプロジェクト”というグループに入り、田中優さんのトークイベント(9/29)に向けて協力の呼びかけ、協賛金集めを行っています。この活動の中で講演会だけに終わらず、つながった人、店舗、農産業家と協力し合い秋田の良いものを紹介し、交流、流通させる活動をワークショップなどと共に行っていきたいとメンバーの意識が高まってきており、とっても充実しています。

メンバーも素敵な人ばかりで良い刺激を受けています。こども未来ねっと秋田の若いママさんたちの素直で自然体なところ、潟上で農薬や化学肥料に頼らない稲づくり、野菜づくりをしている青年(『ファームガーデン黄昏』のKくん、太陽光発電機器会社の青年実業家『エナジーイノベーション』のOくんなどなど。


以下に“つながるあきた 地宝づくりプロジェクト”を紹介します。

わたしたちは、3.11大震災による東電福島第一原発の深刻な大事故を経験し、これまでの「原発はクリーンエネルギー」という認識が過去のものとなり、反原発、脱原発の道へと舵取りが求められるようになった。原子力政策の論点が、経済性、利便性からの出発であったのに対し、反原発、脱原発提案については、根本的に人間が制御することのできない核融合についての正義的問いからのはじまりであることが重大なポイントであり、これまでの政策がたどり着いた壁は、この近代文明にとっての袋小路のようにも見える。
 
事故を契機に、関心を高めることになった「身の回りのエネルギー」やわたしたちの身体をつかさどっている「食」について、従来の認識ではなく、新しい発想による意識の転換が必要な時にきたのではないだろうか。すなわち、これまでの社会が優先してきた経済、利便性が母なる地球であり自然を犠牲にしてきたのに対し、未来はその地球、いのち、循環をもとに再生・循環のフィードバックが連動する自然循環型・共生型社会へと向かうべきである。

年間3万人もの自殺者を出してしまう社会は異常だと思う。私たちの意図するところは、身の周りの暮らしを身近な自然と共に満ち足りて、鳥たちが唄えば自分たちも笑っていられる。そんなあたりまえの暮らし、真の豊かさを取り戻すことである。わたしたちはまた、これからの未来を担うこどもたちを育てる世代でもある。わたしたちにはこどもたちに明るい未来を手渡す義務がある。地球、いのち、循環、地域、自然などを基礎とした循環的で優しく、支え合うような社会の入り口をつくって、彼らに渡すまでがわたしたちに課されたミッションである。

エネルギー政策について、原子力に賛成、反対という対立軸をつくるのではなく、「なんだ電気だってやってみたら自給自足できるんだ」というもうひとつの選択肢を提示したい。一方、食については、「生きる」と同義的な自然根本的な営みであることを再認識し、今、もっとも無防備な状態にある子どもを守っていくという観点から、最良の選択ができるようなしくみを構築したい。そのような新しい視点で県内地域を見渡すとき、実に豊かでユニークな自然の循環と資源が備わっている事に気づかされる。海や山々、田畑、人々が織りなしてきた暮らしすべてが私たちの貴重な宝、「地宝(ちほう)」であり、この未来のエネルギーを最大限引き出し、暮らしの中で 活用できるようにすることを目標としたい。


秋田を離れられたSさん(「こども未来ねっと」、元「ママの願いネットワーク秋田中央」)がメンバーを揃えてくださいました。感謝しています。

なな色サロン開催しました。

2013年05月17日 | ともこ
先日とても久しぶりのなな色シスターズの会、なな色サロンを持ちました。

交流、とても刺激になりました。

爽やかな五月に、私たちの原点の場所、遊学舎で会えて嬉しかったです。

昼からは、山猫軒へランチを。午後から読み聞かせボランティアで忙しいSさん以外の三人で行ってきました。
地元産の有機野菜や、玄米ご飯で作った春巻きランチ、美味しかったです。

山猫軒を提案してくれたEさんありがとう。
蕗の葉の佃煮をわけてくれたIさんありがとう。
甘酒ほっとをプレゼントしてくれたSさんありがとう。
私は、会議の合間に飲もうと、生姜紅茶(ベニシアさんの作り方)を持って行ったり、移動図書館をキャリーバッグに詰め込んで。


詳細はこちらに。興味がありましたらご覧下さい。

通販生活2013年春号記事紹介[ドイツ現地ルポ]原発のない暮らしは可能か?

2013年04月01日 | ともこ
通販生活という通信販売のカタログ雑誌をご存知ですか?
通販商品を載せているだけでなく、社会派の記事が入っています。私たちなな色シスターズも大注目をしています。これまでの季刊誌でも記事を挿入させてもらっていました。
今回は何と“シェーナウ”へ取材に行った記事が!
少し紹介させていただきます。

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[市民の力で脱原発を果たしたシェーナウを訪ねて。]

いま一つのドキュメンタリー映画『シェーナウの想い』が静かに話題になっている。
ドイツの南西のはし、スイスのバーゼルからも近いシュバルツバルト(黒い森)の中に2500人が住むシェーナウ市がある。
ドイツでは一つの行政単位をシュタート(市)と呼ぶが、そこは小さな村だ。
1986年、チェルノブイリ事故の後ここの住民は「親の会」をつくり子供の未来を守ろうと活動してきた。そして二度の住民投票を勝ち抜き、KWR(ラインフェルデン電力会社)から電力網を買い取って、町に再生可能エネルギーを供給する市民の電力会社を作ってしまったのである。原発は怖い、という映画をしこたま見た後、この映画は一番希望の持てる明るい映画だった。


取材し、ルポを書いたのは森まゆみさんです。『シェーナウの想い』にも出演の「シェーナウ電力会社」(EWS)代表ウルズラ・スラーデックさんを映画の翻訳に関った熊崎実佳さんの同行の元、訪ねました。
そこで彼女一家がシェーナウに移り住んだ話、チェルノブイリ事故後の政府の対応に不満を持ち、運動を始めた事、住民運動は町を二分させ、店に今まで来てくれていた客が来なくなったという商店も。それでも市民電力会社を運営するまでに運び、町に新たな雇用を生み出し成功した事など聞き、ウルズラ・スラーデックさんより、福島の事故に苦しむ日本人へ向けてのメッセージも受け取っています。
「大切なのは福島の事故を過去のものとしないこと。そしてこれまでの道とは別の道を進むことです。政府は快く思わないかも知れませんが、下から政治家に影響を与えていく。電力の地方分散は市民にしか出来ません。ソーラーパネルをつけたり、再生可能エネルギーに投資したり、省エネ改修をして地域の工務店に仕事をふやしたり、やれることはたくさんある。それが地域が豊かになる道でもあるのです。」

最後に森さんは、「原発だけを云いするよりエネルギー全体を考えなくてはいけない、ということも今回身にしみた。ドイツは暖房に使うオイルは北海油田から、天然ガスはロシアから買っている。それだけの金が外国に流れてしまう。ソーラーや小水力、風力などの地域分散型のエネルギー生産と省エネ改修、地域集中暖房などは地域でお金を循環できる。
 それに加えていまエネルギーの4割は交通に使われている。「車に乗らず自転車に乗ることだよ」という言葉を何人もから聞いた。ソーラーも風力もしょせん近代技術、より取り組むべきは省エネと人力、馬力などに光を当てることかもしれない。」と締めくくっています。

[現地ジャーナリストに聞く、ドイツのエネルギー政策]今泉みね子さんのお話
 ドイツでは02年に脱原発法ができましたが、電力会社との合意のなかで安全のための改築は高くつくのでしないなど骨抜きにされた点があります。
 00年、再生可能エネルギー法を作ったヘルマン・シェアは素晴らしい政治家で、再生可能エネルギーを『第四の革命』にと提唱しました。買い取り価格を上げたお陰で普及しました。
311後、メディアは連日、福島を伝え、毎日のようにドイツ各地の大都市を中心にデモがありました。メルケル首相は脱原発を唱えました。そして、温暖化を考えればCO2も出せないので石油や天然ガスなどの化石燃料ではなく、自然エネルギーに変えなくてはならない。(中略)
教会、企業、学者、政治家などで構成された中立なエネルギー倫理委員会を立ち上げ、22年までに原発はやめるという結論を出しました。
 その後ドイツは原発8を止めましたが、風力や太陽光が活発に発電しているときには余った電力を近隣国に輸出しています。石炭発電や原発は、急に運転を止められないからです。天候に左右される再生可能エネルギーの発電量に対応できるガス発電の整備と電力の地域分散が今後の課題です。
 EUでは、白熱電球は09年から段階的に販売を禁止しています。我が家の電球のほとんどもLEDに変えて、照明コストを8分の1に落としました。

通販生活のサイトでもご覧になれます。コチラ



 ”脱肉食(アンチミートイーター)” のすすめ Ⅰ  まずはミートフリーデイをつくってみませんか?

2013年04月01日 | ともこ
このなな色メールの執筆者である私たち、なな色シスターズは、生活、食べること、人間関係、社会問題への取り組みなどをなんと前向きに模索しながら生きているのでしょう。私なんてはへこたれそうな時この原稿を書く事で心の整理がつき、忙しない毎日の中に他のメンバーの記事から刺激や気づきを得ることで埋没されずにセルフエスチュームを保っていられるのです。なな色シスターズの皆さんありがとう!ひかりの場所をつくってくれて!(なな色メールVol.21掲載の詩から引用)

秋田で暮らし始めて15年の月日が経とうとしています。私はひかりの場所を周りの人たちにどれくらいつくってあげられたのだろうか?とふと考えます。私は自分の考えが一番正しくて正当で、それが通らないと不満を感じてしまう所があります。そしてともすると感情的になり人目を気にせず声高になってしまいます。自分本位では人の苦労や悲しみを受け入れる余裕もあるはずがなく後悔は沢山あります。周りの人たちに嫌な思いをさせない素敵な女性でありたいと思っているのですが・・・。

最近、ネットで新しい大豆加工製品の通信販売ショップを見つけました。そこで、『Veggy』というベジタリアンのための雑誌を知り、定期購読することにしました。その雑誌の別冊創刊号に放射能シリーズがあります。(『被ばくからカラダを守る』には映画監督の鎌仲ひとみさんが載っていました。)

Veggyより…

「脱原発とベジタリアニズムについて、食の安全性と原発問題など環境問題は切り離せない関係性があり、自然食の専門家は放射能や農薬、化学肥料などが人間や自然に及ぼす影響を昔から知り、警告をしていました。多くの人々は気づくタイミングを逃してきたが、今、気づき始めています。「食」は“人を良くする”と書く。食を変えることで、一人ひとりの心に平和が取り戻せると、世界は平和を取り戻せることでしょう。この雑誌の主旨として、植物性食品のメリットや必要性を様々な観点から伝えること、ハッピーになるヒントを届けたい」
すてき!


看護科の高校を卒業してすぐ勤めたカトリック系の病院は総婦長室の前に本棚があり、私はそこにあった本を時折借りて読んでいました。遠藤周作さんの本、犬飼道子さんの本…。中でも犬養さんの『人間の大地』はボートピープルが遭遇した残虐な体験にはとてもショックを受けました。当時、私が19歳の頃はバブル絶頂期、そんな日本にいる自分とのギャップに動揺しました。酷い現実を生きた人のことを思うと自分が何をどうすればいいのかわからず、ただ夜な夜な目を腫らして泣きました。それから、何度もボートピープルたちのことを考えました。ですが自分の日々の生活にその思いは霞んでいってしまっていました。今一度、あの時投げ出したものを手にとって消化したい。そう思い『人間の大地』を二十年近い年月を経て、また手にとっています。

“難民はどうしてできるのか?暮らしを、住処を奪われるとは?争いは何故生じるのか?”女史の本には戦争が飢餓をつくり、飢餓が戦争を呼びおこすことが書かれていました。「まず食べさせよ」と。“生が、どん底のきびしさに追いこまれるとき、たったひとつの道具だけが、生の保障となってゆく。それは人手である。ひとりよりはふたり、ふたりよりは三人、五人、十人。集って力をあわせたときにだけ、いかに乏しいみいりも増えるのだと。牛の糞を集めて叩いて燃料にする仕事も、ひとりと三人では結果が違う。子を産みつづけて多人口となる理由・原因は、先進国の人々がしばしば言うような無知からなどではない。考えぬかれたあげくの「生の知恵」の所産なのである。母体がどれほど弱っても産まねばならぬ。世界にはおしなべてひとりの飢餓者も出さずにすむだけの食べものがある。「遠い国の赤の他人の問題」と時に考えていた飢えは私たち自身も一端以上の責を負う「われわれの問題」である”と。

世界人口の20%に満たない富む国々が年間に棄てるまだ食べられるであろう食糧は70億ドルに換算されます。家庭教育において子供に食というものの意味と価値を教えたなら、これほどの数字にならないとあります。家庭から、母親が余分に作って捨てることのない工夫は必要でしょう。ですがもっと社会ぐるみで地産地消、動・植物のことを思った生き方(ビジネス、工業発展第一主義ではない)に変わらなくては。TPPで関税が撤廃されるということは、外資系の大手企業がどんどん入ってくることになり、全く逆の動きになります。心配です。(因みに犬養さんの本は初版が1983年)

私が肉食をやめている理由は初め長女のためでした。長女が動物愛護の気持ちからベジタリアンになったことによって私も感化されました。今では料理を研究できて楽しんでいます。苦労もあるものの思い切って食事を変えられて良かったと思っています。昨年秋ごろより11歳の長男も私と長女だけが食べている大豆製品のベジものを食べたがり義理の両親と夫には更に反対意見を言われて討論しましたが、放射能汚染の心配もあるのでいいタイミングだったと思います。まだ長男はいわゆる“ゆるベジ”で、たまにはお肉を食べたがり、安全な産地のものや日本海側のものであれば小さい魚だと食べさせています。二月は地元では“鱈祭り”(隣町、金浦の伝承祭)もありましたが今年は残念ですが控えました。鱈は回遊魚で大きい魚であるので放射能も濃縮されているとのこと。「日本海でとれたものだから大丈夫だ。」と義父などは言いますが、北海道では鱈から40ベクレル程の検出データがあるという情報もあるのです。それにしても食べるかどうか考える前に人間の利便のために被曝させたことを「ごめんなさい。」と先に魚たちにも言うべきですね。

測定してハッキリさせたい!近くに測定室あったらな。

秋田県北、大館のママたちで作っている測定室、ちょっとここで紹介しておきます。「すくすく測定室」です.

へつづく

ひょうどうともこ

”脱肉食(アンチミートイーター)”のすすめ Ⅱ  まずはミートフリデイを作ってみませんか?

2013年04月01日 | ともこ
ベジタリアンフードのネットショッピングサイト『自然菜食ハーモニーガーデン』より

菜食すると、人も地球も健康に。そのわけは

最近の研究では、人類の祖先の食事は木の実や茎、根、種子、そして果物などが主であったことが解明されています。今は砂漠が広がっている土地も、太古の昔は青々と緑が繁り人々は果実や青菜、穀物を食べて生活をしていました。人類はもともと、動物や鳥、魚をとって食べていたのではなくこれらのさまざまな生き物と共存していました。人間は動物よりも智慧がありますが、それは他の生物をしのいだり征服するためではなく生きる者たちの命を大切にし、慈しみと愛の心で、地球上の世界を平和に保つためでした。    

菜食は、健康の妙薬

お肉やお魚を食べないと健康を保てないのではないかと考える方もいらっしゃいますが、ご心配はいりません。2003年6月、アメリカとカナダの栄養士会が共同でベジタリアン食についての新しいガイドラインとして、次のような発表をしました。
「適切に準備されたベジタリアン食は、健康に有益であると同時に必要な栄養素を満たしており、いくつかの疾患の予防や治療にも利点がある」

地球のため、未来のために

現在、世界の穀物総生産量の約3分の2は、家畜の飼料であるといわれています。人間が農作物から摂取しているエネルギーをすべて動物の肉から摂取しようとすると家畜を養うために約10〜20倍の飼料を与えなければならずそのために必要な水は、約100倍であるとも言われています。ジョン・ロビンズはその著作『エコロジカル・ダイエット』の中で、こう書きました。
「カリフォルニアの肉1ポンドを食べないでいることは1年間シャワーを浴びないことよりも、水資源の節約になる」
動物の中で、もっとも力持ちと言われているゴリラは、菜食です。隆々としたたくましい筋肉は、肉食によって得たものではありません。多くのスポーツ選手も菜食家です。陸上界ではカール・ルイスやアベベ、テニス界ではテニスの女王と言われたナブロチロワや、イワン・レンドルなどが有名です。これらの選手たちの姿を見れば、菜食が健康を保つに充分であることが一目瞭然です。ベジタリアンの語源は、ギリシャ語の「ベジトゥス(健全な、生き生きとした)」です。菜食は心を穏やかにし、肉体的にも精神的にも生命体本来の真の力強さを与えてくれます。

世界全土でミートフリーデー

近年では世界中で、菜食は人の健康や地球環境の保全などのために非常に重要であることが、広く認められてきています。ポールマッカートニーの提案などによって、週に1度、月曜日や木曜日などに肉を食べないようにしようという「ミートフリーデー(ミートフリーマンデー)」はヨーロッパ各国や南北アメリカ、アジア、アフリカ、中東など全世界にその潮流が及び日本でも2007年より「日本ベジタリアン協会」が中心となって週に一度肉を食べない日を設けることや、菜食の意義を環境省に呼びかけるなどの動きがみられるようになってきています。


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栄養面では牛乳、肉製品よりも大豆の方が(害もない上に)よほど良質の蛋白質でカルシウムも含んでいます。本来、脂肪は肉類など動物性の食べ物から大量にとる必要は無いとマクロビオティックの考え方でもいわれています。人間の体はよくできていて、炭水化物やたんぱく質からちゃんと脂肪を作り出すことが出来るのです。むしろその方がずっと自然なことで、穀物をまるごと食べることによって、たんぱく質と脂肪の両方をバランスよく適量に取り入れられるのです。穀物にも植物、種子類にも脂肪はあります。玄米など穀物をまるごと食べる食生活を続けていると、こってりした肉料理を以前ほど食べたいと思わなくなり、変化を感じます。(もしかして年頃もあるのかしらん?!)

料理も大豆製品の豆腐、おから、厚揚げを駆使していますが、厭きないように「大豆のお肉」という大豆の肉代替製品であたかも肉のような見かけのものを使用したりしています。てんぺという大豆の発酵食品やひよこ豆やその他の豆類もたまには食感が変わり料理もレパートリーが豊富になりました。レシピ、調理法を考えるのが楽しくて仕方がありません。ただ、最近ベジタリアンに仲間入りした二番目(長男)は、玄米食を嫌がり白米が多くなりがちなのでミネラル不足にならないか心配です。十七穀米の炊く際に混ぜるものを使用しています。


へつづく

ひょうどうともこ

“脱肉食(アンチミートイーター)”のすすめ Ⅲ  まずはミートフリーデイをつくってみませんか?

2013年04月01日 | ともこ
ハワード・F・ライマンという元カウボーイの菜食主義者の方の本『まだ、肉を食べているのですか』はショッキングでした。彼は四代続いた酪農家でした。その本によると牛が屠蓄されると、その半分ほどは食用にならない。腸とその内容物、頭部、ひづめ、角など。血と骨も。それらはレンダリング・プラント(動物性脂肪精製工場)というところに運ばれる。病気で死んだ牛はまるごと!!野犬やノラ猫、ひき逃げされた死体などの動物管理局に保護された動物も混ざっているとか。この身の毛もよだつ混合物はミンチに刻まれ、高温蒸気で調理される。浮き上がった軽い脂肪分は化粧品や潤滑油、せっけん、ろうそく、ワックスに。より重いたんぱく原料等は乾燥され、茶色の“肉骨粉”に加工される。言いたくありませんが糞便含むそれは家畜の安い飼料として、酪農家に買うように流通されているのです。私たちがステーキを食べたとします。そのステーキに、紛れ込んでいるものの正体がこれです。驚愕の事実です。これを知ったハワード・F・ライマンはオプラのテレビ番組に出演して真実を語り、テキサスの家畜業者より訴えられたのです。(オプラもテレビ番組も訴えられたらしいです。)

ハワード氏は彼の父親たち世代が行ってきた有機農業を軽蔑し、新しい科学農業に心酔しやり方を代えて行きます。ところが、抗生物質、成長ホルモンをどんどん使い、牛の体にはハエを殺すために殺虫剤をふりかける、牛のエサに牧草をやめて穀物にする。そして不自然なものにまみれた牛が体調不良となる。彼は問題をかかえながらの経営で資金繰りに喘ぎながら病気を発症(脊髄の腫瘍)。その後レイチェル・カーソンの『沈黙の春』と出会います。農業をやめる決心をした頃にこの本を読んだ彼は、どうして始める前に出会えなかったのかと残念に思ったと書いています。

昔のように、たまに “ご馳走として肉を感謝して摂る”のではない今の食生活は脂肪のとりすぎとなっています。 “食べる時期にだけ覚悟を決めて自分で殺した動物の命をその動物と神様に感謝していただく”、これが本当の食肉の姿勢だと思います。

1ポンドの牛肉を得るために16ポンドの穀物を与える。環境面、エネルギー面のコストは?人類がまかないきれない贅沢をしているのは明らかです。料理の雑誌には肉料理レシピの多いこと!こんなに毎日食べるのを皆でやめれば、環境にも被害の及ばない消費のままでいられたでしょう。日本はアメリカにとっていい商い相手とまんまとなっていったのです。

高校時代、UKミュージックに夢中だった私は、ファンだったとあるアイドルミュージシャンがベジタリアンだと知り、自分もそうあろうとしたことがありました。ところが、街でのコロッケ、ささみチーズフライの買い食いの誘惑に負けて一週間で挫折。ミーハーな理由ではこんなもんですね。

先日、デビッド・ボウイの「Where are We Now?」という新譜のビデオクリップを深夜放送のMTVで見ました。人間社会に投げかけられた問いのようでもあり、何でしょう、御年66歳になるボウイの音楽に涙がこぼれました。切ないセクシーさを感じさせる曲でした。そういえば、パティ・スミスが主な都市部の他、仙台や広島でも公演に来たとか。彼女も66歳って言っていました!彼女は福島の現状にとても同情し、毎日思い続けているとメッセージをくれています。若かった時に好きだったアーティストたちがまだまだ活躍しているのを見ると嬉しくなりますね。それぞれ年期が入って歴史を感じます。容貌は老いてしまっても精神的、霊的な成長があると思います。年をとっても堂々としていてかっこいいです。


へつづく

ひょうどうともこ

 “脱肉食(アンチミートイーター)”のすすめ Ⅳ まずはミートフリーデイをつくってみませんか?

2013年04月01日 | ともこ
次に菜食のススメというサイトから拾った詩を一部紹介します。覚悟してから読んでみてください。もし、心の準備が出来ていないのであれば、今はよしておいて貰ってもかまいません。

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「こんにちわ。私はもと、牛だったのです。日本のある牧場で生まれました。産まれて5日目のこと、かあさんと一緒にいた場所から遠く離れた暗い木の檻の中へ移されて、もうかあさんの乳は飲めなくなりました。かあさんは毎日、毎日大量の乳をしぼられます。わたしを産んですぐに人工授精させられたのです。そして、わたしにはおかあさんの乳首からではなく、バケツから肉や骨の匂いのした乳があたえられました。

わたしには弟がいたのですが、産まれて1週間でいなくなりました。おとこの子は、仔牛のうちに殺されるそうです。そのうちかあさんも、いなくなりました。 乳が出にくくなったのです。まだ3歳でした。かあさんが殺されて、何の用途に使われたのかはわかりませんが、ここにいるほかの牛たちも、いずれ殺されるんだということがなんとなく、雰囲気でつかめました。そういう運命なんだようです。そしていずれわたしも殺されるようなんです。お願い!たすけて。

死にたくない。生きているという事は、どういうことなの?わたしたちは天寿をまっとうする資格なんてないの?(中略)いつも突然、何頭かの仲間たちが連れて行かれます。そして二度とここ(牧場)へ は戻ってきません。連れて行かれる仲間は、突然その日に決まります。だからお別れを言う間もないのです。ロープで引っ張っていかれる仲間たちは、殺されることを知っているので、動こうとしません。でも、何度も何度もたたかれて、どんなに抵抗してもトラックにのせられます。

私達はいつも運動不足です。日光にあたる機会もなく、歩き回る事すらできません。ある日、太りすぎた仲間が、体重をささえきれなくなってとうとう立てなくなってしまいました。骨折したんだと思います。そして、すぐ(とさつ)場で殺されました。骨折した牛はもう、人間の食用にはなれないそうで、医者にも見せず、骨折しただけで殺され、ペットフード用の肉になりました。

いよいよ、私にその日がきました。あの、血のにおいのする小屋へ行くことになりました。覚悟は、全然できていませんでした。ただ、ただ、悲しかった。目から涙があふれ、この世に思い残すことがいっぱいです。死にたくない!私は、まだ若いのです。 お願い!だれか助けて!!
人間達は、これから殺す動物に慈悲の心はありません。最後まで鬼のようなこの人間たち!恐怖と恨みで涙がいっぱいになりました。首のあたりにナイフを入れられて血がだんだんと下に落ちていく。

・・・数時間のうちに私のからだはばらばらに解体されていきました。

・・・私は死にました。でも魂はちゃんとその光景を見ていました。私の体・・・。何人の人間たちが食べるの?私は人間を襲ったり食べたりしたことないのに、私は人間に食べられる。私と人間との間に、どんなちがいがあるのだというの?」           

 …以上、詩、牛たちの心の声…
  全文はこちら


※ここでは乳牛のは3歳で行われた事になっていますが、実際は24ヶ月ぐらいでされます。今まででBSEが発見された牛のなかで一番若年で21ヶ月だったことから、BSE検査は21ヶ月すぎないと検査できません。アメリカでは18ヶ月でされます。ですので、アメリカの牛はほとんどの牛がBSE検査をしていません。  

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つづきは

”脱肉食(アンチミートイーター)” のすすめ Ⅵ  まずはミートフリーデイをつくってみませんか?

2013年04月01日 | ともこ
牛乳も人間にとっては体に良いものではないのです。実は私は幼少の頃より牛乳大好きで育ちました。もともと小柄だった私は背が高くなりたくて風呂上りにはコップ一杯ゴクゴクと一気に飲んできました。10年前に自然育児友の会に入会したママ友にその会員の中に「牛乳は飲まない」と言っている人がいると聞き、「じゃあ、何を飲めばいいの?」と驚いた覚えがあります。そこで私は豆乳なるものの存在を知りますが、早速のトライも味が受け付けられず遠ざかっていて、その後今のように牛乳を完全にやめたのは4,5年前だったと思います。つまり6年ほど切り替えられずにいたのです。

牛乳の害についての本をやっと最近読みました。以下に内容を要約、転記します。

「近年では、アメリカで多くの医師が牛乳、乳製品の被害に警鐘を鳴らしています。『責任ある医療のための医師の会』というものを約5千人の医師たちが作っています。そして、
「動物性たんぱく質は血液を酸性に傾けるので、体はそれを中和するためにカルシウムを骨から引き出す」と説明し、
「牛乳のように動物性たんぱく質を多く含むものをのんでカルシウムを摂取しても骨粗鬆症の予防に役立つという科学的根拠はない」と明言しています。

カルシウムの吸収率は牛乳ではわずか32%であるのに対し、緑黄色野菜では、50%を超えていることを指摘し、少量でも効率的にカルシウムを摂取できると植物性食品を推奨しています。

厚生労働省研究班が2008年に発表した調査では牛乳やヨーグルトなどの乳製品を多く摂取すると、飽和脂肪酸が血中ホルモンの濃度を上げて、前立腺癌リスクが高まる可能性が指摘されています。

牛乳は完全栄養食品の名に値しません。乳幼児のアレルギーの原因になり、成人には下痢と胃痙攣を引き起こし、場合によっては心臓発作と脳卒中の危険因子となる恐れすらあるからです。牛乳は子牛にとっての完全栄養食品である。哺乳動物は生まれてから離乳するまで他の種の乳を飲まず、いったん離乳したら二度と乳を飲まないのが生物学の法則である。自然の摂理に反して牛の乳を飲んでいるうちに人体にとって有害な各種成分が生理機能を乱し、子どもでは主に消化器官、アレルギー、小児糖尿病、大人では三大疾患(癌、心筋梗塞、脳卒中)を含むさまざまな生活習慣病を引き起こすおそれがある、といいます。

戦後、栄養失調を多くの国民が保有していたので、日本では国策として牛乳を奨励し、今も「食生活指針」の中で牛乳、乳製品の摂取を国民に呼びかけています。テレビや新聞ではカルシウムが足りていないことに対し、牛乳のカルシウムが吸収がいいと宣伝しています。しかし、牛は草からカルシウムを摂取しています。植物は土や水の中のカルシウムを吸い上げて蓄えていますから、私たちも穀物や豆類、野菜、果物、海藻などの植物性食品からカルシウムを摂取できることになります。実際、日本人は太古の昔からそうして健康に暮らしてきました。」


ネット上のコミュニケイトサイト、face bookにて見つけた話題に、日本で食事の前に手を合わせて「いただきます」と言うことの意味を外国人に訊かれたら何と答えるか?というものがありました。多くの日本人は「食べ物の命を頂くことに感謝するのだ」そう答えると思うとそこでも書かれていました。文中に紹介された『自炊男子』という本の中で主人公が出会った素敵な大学生女子の小学校の時に朝礼で校長先生が話してくれたといういい話。

「いただきます」「ごちそうさま」をなぜ言わなければならないのか分かりますか? 
「いただきます」の意味の一つは作ってくれた人の命をいただくということです。 
命とは時間です。 
ある人が八十歳で亡くなったとしましょう。 
ということは八十年間という時間がその人の命だということです。
今朝、皆さんのお母さんは三十分かけて朝ごはんを作りました。 
今日の夕方、お母さんは一時間かけて夕ご飯を作ります。 
その朝ご飯にはお母さんの三十分ぶんの命、夕ご飯には一時間ぶんの命が込められているのです。
皆さんが生まれてからこれまでの間、お母さん、お父さんは、自分の命の時間を使って、皆さんを食べさせてきたのです。 
(中略) 
心を込めて「いただきます」「ごちそうさま」を言いましょう。 
食べ物と作ってくれた人に感謝の気持ちを忘れないようにしましょう。

料理をしてくれた人の時間(命)への感謝。これ、嬉しいですね。時間を割いて “ままざめ”をしている身としては。子どもたちにも自炊をさせなくては!今、長男の学校の家庭科の宿題で週末には食材を買って作って家族に食べてもらうというものもあって、親から子へと食について教えるきっかけや、生活の知恵を伝える機会が出来ています。

もう一つその話題では『いのちをいただく』という絵本のお話もつづきに紹介されています。食肉センターに勤めている男性のお話です。牛を殺すのが仕事です。毎日辞めたいと思っていたSさん。それでも彼の息子は嫌な仕事でも誰かがやらなくては食べられないからと尊敬をしているとあります。そしてある日、今まで家族同様にして暮らしてきた牛を売った家の子どもと出会うのです。経済力と食糧に変えたその一家の子どももお金のほかにその牛の肉ももらって感謝を寄せるというお話が載せられていました。結論的には人間のために仕方ない。だから、感謝をして“いただきます”という事でした。何も考えずに切り身になった肉を当たり前のように料理して食べ、多いと残す(捨てる)ということよりは、いいお話だと思います。牛を育てた人の思い、牛を殺す人の思いもあるのだと思っていただく…。牛の命に対しても感謝をする。

昨年秋ごろに東京「賢治の学校」主催の鳥山敏子さんの本を読みました。1996年に行った授業について描かれた物です。今から16年前くらいに、原発労働について、肉食について、性(命)について突詰めて小学校の授業に取り入れた記録です。画期的です。賛否両論あったようです。原発内で働いてきたという男性をゲストに呼び子供たちに体験を話してもらいます。するとその差別的な労働者の待遇の悪さ、ずさんさ、危険さが浮き彫りにされていました。あの頃にこんな事を子ども達と考える授業をしていたとは!肉食については、鶏に始まって、豚を丸ごと一匹全て残さずにありがたく殺して料理をして食べて食べないところも有効に利用するという人間が生きるための作業を通して人間の生きることを経験でき、子どもたちも成長できたと思いますが、今は 肉を“食べない”という選択もあり得るし、栄養学的に問題ないことが言われているので、これは新たに考え直すべきだと思います。

“食べたものが行動、容姿に現れる。動物たちの殺される時の恐怖、悲しみの感情はネガティブなエネルギーとして肉に残っていて、それを食べた人の中に取り込まれまれる。”これはマクロビオティックスの世界的リーダー久司道夫氏の言葉です。(アボリジニの本でも聞いたことが・・・!)

皆さんが、まだすぐには今までの食の習慣を変える事に抵抗があって、また、他の家族との関係においての不安からすぐには変われないということは理解できます。なので、責めはしません。最後まで読んでもらえ、感謝しています。そして、読んでいただけたならば、皆さんなら少しは今の食肉文化の問題が多大なものである事を理解してもらえたと思っています。そして、ひとつお願いしたい事があります。一週間の中のたった一日、肉をとらない日を作ってみることから始めてみませんか?
 
私は料理をする時、今までのように手早さばかりに気をとられず、心をこめて作りたいと思います。お礼を言ってくれたらそれでいいから。昔、若い頃観た映画『赤い薔薇ソースの伝説』では料理をする女性の感情が、食べた村人や家族に変化を起させたという逸話がありました。本当かも!?

人間だけが偉いと思っていると天罰が下ります。宮沢賢治もベジタリアンだったようですよ。全ての者が幸せに、には生きとし生けるもの全てが含まれていたのだと思います。鳥も動物も山も森も海も川も風も星も花も…。


参考文献:
「人間の大地」「今あなたにできること」 犬養道子著
「わたしが肉食をやめた理由」 ジョン・ティルストン著
「10代からのマクロビオティックス」 久司道夫著
「まだ、肉を食べているのですか」 ハワード・F・ライマン、グレン・マーザー著
「なぜ「牛乳」は体に悪いのか(医学界の権威が明かす牛乳の健康被害)」 フランク・オスキー著
「いのちに触れる」 鳥山敏子著

雑誌:
 「Veggy」

Webサイト:
 菜食のススメ
 ベジタリアン食材通販ショップ<ハーモニー・ガーデン大地のたより>
 ベジタリアンのための菜食食材ショップ かるなあ
 マクロビオティックマルシェ
 BIOKURA

原発のない世界へ  ①  (シェーナウ編)

2013年04月01日 | ともこ
『シェーナウの想い』という映画をご存知ですか?日本の各地で上映され秋田でも昨年遊学舎や由利本荘市民交流学習センターで上映会がありました。私も由利本荘市での上映会には携わりました。

この映画は、ドイツ南西部、黒い森の中にある小さなまちシェーナウ市の住民グループが、チェルノブイリ原発事故をきっかけに「自然エネルギー社会を子どもたちに」という想いから、ドイツ史上初の「市民の市民による市民のための」電力供給会社を誕生させるまでの軌跡を綴るドキュメンタリーです。

1986年チェルノブイリ原子力発電所の事故でドイツ南西部に位置する小さなまちシェーナウも放射能による影響を受けました。不安を抱いた10人の母親が「原子力のない未来を求める親の会」を結成。自宅等で勉強会、チェルノブイリの子どもたちへの支援、村全体で「節電キャンペーン」や「節電コンテスト」を行いました。さらに住民グループは、原発に頼らない電力供給、エコ電力の買い取り価格の引き上げ、そして節電を促すために、シェーナウ電力会社(EWS:Elektrizitätswerke Schönau)を発足させます。

当時独占電力企業のKWRが所有していた電力網を買い取る必要がありました高額な金額を提示されましたが住民グループは諦めず、社会目的に積極的に融資をするGLS銀行や広告会社の無償の協力、さらには人々の善意の寄付のおかげで無事電力網を手にするに至りました。1997年、EWSは念願の電力供給を開始します。チェルノブイリ事故をきっかけにした親の会の発足から、操業に至るまで実に10年もの歳月が流れていました。今日では10万人以上がEWSから自然エネルギー電力を買っています。
「母親は、子どもを守るためにライオンのように戦わなければなりません」ウルズラ・スラーデクさん(シェーナウ電力代表・5人の子どもの母親)の言葉です。一人ひとりの努力が無ければこのような奇跡的な変化は無かったと思います。シェーナウのような実績があったからこそ、ドイツ政府はいち早く脱原発へと舵をきれたのでしょう。
日本でも上映会の開催や、EWSがドイツで発行した『原発をやめる100の理由』という本の日本版を311後に全国からの有志で作成しています。

上映会の後は参加した全員で思いをシェアしたり、情報交換、雑誌や書籍の紹介をしました。

∵食品の放射能汚染について、食事についてベクレル表示をすればいいのではという話もあるが、どうすればいいのか決まっていない。食べて応援は本当の支援ではない。国に保障を求めるべき。今は基準値以下は(100ベクレル)OK。これは今までなら放射能廃棄物として隔離されていたものと同じレベルのもの、それを食べても大丈夫とされ食卓に上がっているのだということを解っているべきである。練り物の中の魚の産地はわからない。その前に硝酸塩を使うそうです。

∵エネルギーのこと、原発を止めるとして、次のエネルギーを考えていくにも、問題を調べてクリアしていく必要がある。風力発電はフランスから取り入れていて、フランスの企業にお金が流れる。そうではなく、地元の企業(マイクロビジネス)ができること、小水力や波力だと秋田に合っている。それと、電力網のパート分けの必要性。太陽光発電ではエアメタルの採掘の場、鉱山で被害がある・・・。風力は、電磁波やセメントの埋め立て、渡り鳥の被害があるとのこと。

∵エネルギーの生産方法を違うもの(エコな再生可能エネルギー)に変えればいいというものではない。暮らし方も無駄をなくした節約的なものに変えていくことを考えないといけないと思う。

∵今の問題としては、作業員の保障をきちんとしたものにしていく必要がある。

∵TPPについて:アメリカの貿易、ビジネスを促進するものである。ビジネスに支障があれば、他国のものでも法を変えられる。原発や遺伝子組み換え作物もアメリカの企業の言いなりになる。(モンサント、シンジェンタなど)日本は今までは食物安全保障というもので守られていたがそれも危うい。シェールオイルは劇物、毒物を使って採取する。日本は塩酸だけだが、アメリカでは多くの薬剤を使ったので、アメリカでは周辺地区の地下水が汚染されて飲めなくなった。日本では水質汚濁防止法があるがこれもTPPでアメリカの企業が来ると制限できなくなる。…etc.

<書籍紹介>

Actio』 日本国内での環境、食に対する取り組みが紹介されているえこ&ぴーすな雑誌

週刊金曜日』 学校給食への働きかけや食品の汚染を減らす方法についての工夫掲載

ママ・レボ』 主婦たちが作り出した冊子

100人の母たち』 九州へ避難した亀山のの子さんという女性カメラマン(自身も親子避難)が100人の親子の写真を綺麗に撮ったもの。エッセイとともに子供への愛情がつづられています。

ひょうどうともこ

原発のない世界へ  ②  (樋口健二さん編)

2013年04月01日 | ともこ
2月には『報道写真家の樋口健二さんの講演会』も秋田市で知人が企画していました。残念ながら私は足を運べませんでしたが彼女が紹介してくれた樋口さんの本“クレヨンハウスのブックレット『原発被爆労働を知っていますか?』”を読んだのでここで紹介したいと思います。

樋口さんはずっと昔から原発被爆労働の被害者を撮り続けてこられた方です。写真家として労働公害問題をテーマに選んだのは彼の生い立ちによるもので信州の寒村の農家で生まれ戦中戦後の貧しい時代に育ち、成人してからは川崎の製鉄所で起重機の運転手として24時間操業の過酷な労働を体験したことから。農民も工場労働者も社会の底辺にいると感じたとあります。

高度経済成長時代の社会にいても「豊かさ」の裏にはいつも産業公害があり、公害によってからだを壊す市民や差別に苦しみながら働く労働者の姿というものをしっかりと彼は捉えていました。樋口さんの言葉「公害問題は人権問題でもあるのです。“労働者を犠牲にしながら国が栄える”という考えはまちがっています。誰も犠牲にならない社会でないと本当に「豊か」とは言えません。」

彼の写真家人生は四日市公害の取材でスタートし、原発労働者の被爆隠蔽の実態、告訴しても政府がらみで潰されている現実を取材してきました。日本国内だけでなく、台湾でも同じでした。

樋口さんは最後に、日本人の心について語っています。「目の前の生活に慣れ過ぎて保身に走っています。日本人から「人間を大事にしよう」という思想がなくなっているのです。経済最優先、利潤追求のシステムは、一度全部壊してしまってもいいと思います。国民一人ひとりが過去を学び、本当の教養を身につけること、裏の見えないものを追求する姿勢、新聞を読んで、疑問に思う力がないといけません。」とくくっています。


東日本大震災から二年が経ちました。最近ネット上の情報で知りましたが、メーカーの製造者たちの責任も問われるべきなのに何一つ全く追求されておらず、しかも、グリンピースによると、欠陥品だと当初テストでわかったものを使っていたと言うではないですか。社内隠蔽です。以下にグリンピースのホームページの文を掲載します。

「今年2月、福島第一原発4号炉の原子炉圧力容器を製造した元パブコック日立の設計技師・田中光彦氏が、当時、製造中の圧力容器に欠陥があったにも関わらず、社内で隠蔽された事実をグリーンピースに告白しました。違法だとわかっていても、法に従えば企業の利益に反するという理由で隠されたこの問題を、今回の原発事故と直接関連づける証拠はありません。しかし、何よりも安全が重視されるべき原発関連ビジネスにこのような隠蔽体質が存在することが、原発の安全性を根底から揺らがせていると いえます。

ボパール事故という大惨事の影響で原賠法にメーカー責任が明記されたインド。(1984年12月3日未明、インドのボパールで操業していたアメリカのユニオンカーバイド社の化学工場から強い毒性のある有害ガスが、50万人の住む住宅街に流れ出しました。事故直後だけでも8000あまりの人々が亡くなり、失明や呼吸困難など後遺症に苦しむひとをたくさんだしました。史上最悪の産業事故といわれたこの事故は、多国籍企業に事故の責任を取らせる仕組みが重要という教訓を残し、インドの原子力損害賠償法に大きな影響を与えました。2009年、原発にもメーカー責任を問うための法律がつくられました。)

日本でも、いまだに16万人が故郷に帰れず避難生活を送り、それ以上の人々が日々苦しみの中で生活を送っています。福島原発事故を経験した日本こそ、原賠法を変え、メーカー責任を問えるようにすべきです。原発を推進するなら、責任も伴うべきでは?その責任を引き受けることができないならば、原発をつくったり、動かしたりする資格はないのではないでしょうか? グリーンピースでは原発にもメーカー責任を問うためのオンライン署名を実施中です。」

ひょうどうともこ