皆さん、お久しぶりです。前回に続いて今日は私がお世話になっている先生を紹介します。
私が予防接種に動物病院へ行ったときのことだった。
「こんなに悪いのなら安楽死も考えたいと思います。」
その言葉を聴いた途端、背筋が凍る気持ちになった。
「えっ。まだ生きるよ。あれはまだ生きる目をしている。まだ生きたい顔をしているよ。何もしないでそうするよりも、食べさせて少しでも何かしてあげたほうが気持ちが違うでしょ。」
即答したのは奥さんだった。そして追うように先生が
「他ではするかもしれないけれども、うちでは今の状態ではしない。まだだって生きるもの。あれだけ暴れることが出来るんだから、まだ生きる。あの顔は行きたい顔だもの。ごはんを食べないって言っても、食べさせるんだよ。口の中にいれてあげるんだよ。治るとは約束できないけれど、まだ生きたいって言っているんだから食べさせてあげないと。」
待合室のないとても小さな病院。個人情報保護など全くない。「こんにちは」とドアを開ければ診察台がある。青空待合室。寒かったり雨だったりすれば車の中で順番を待つ。お天気のいい日は偶然出会ったみんなで四方山話をしながら玄関前で順番を待つ。2~3人の飼い主さんたちが私たちを連れて入ればもうぎゅうぎゅう。犬猫関係なく一緒になる。スタッフは先生と奥さんの二人だけ。保健所を退職してから自宅に開院したそうだ。二人で間に合わないときは飼い主さんがにわか看護師や電話番までする。私が避妊の手術をしてもらいに行ったとき、お父さんが連れて行ってくれた。先生は「これからやるから、もし電話がかかってきたり、誰か来たら手術してるからって言っといて。」と言い残して二階の手術室へと私を連れて行った。
その日は注射を終えて診察台でぶるぶる震える私をよそにお母さんは奥さんが会計をしているところを待っていた。そこに飼い主さんだけ呼ばれて入ってきた。検査結果を聞かされ「安楽死」を口にした。先生と奥さんは自分から食べようとしないのならば口の中に入れてやればいい、少し元気になってくれば自分から食べるようになるだろう、治るかどうかはわからないけれど、尽くしてあげないと、と必死に説いていた。そして飼い主さんから頼まれもしないのに、病気の猫ちゃんのために食事の仕度をしていた。聞く気がなくても耳に入ってくる話。お母さんは私をなでながら、先生たちの言葉をしっかりと聞き、感動しているのがわかった。
犬友達のけんたママから「とてもいい先生だよ。」と聞いたのが出会いだった。私が佐藤家に来て少ししたとき、お腹が痛くなった。にいにとねえねがとても心配して「病院に早く連れて行ってあげて。」と頼んでくれた。その時私はまだ生まれて5ヶ月ぐらいだったと思う。奥さんが私を見て歓声を上げたことを覚えている。「あらあら。まぁ、小さくてかわいいこと。」先生はスピッツと聞いてとても私を珍しがった。先生のところにスピッツは当時私一人しかいなかったとか。薬をもらって帰るときに奥さんが言った。「まだ小さいから、いつ具合が悪くなるかわからない。だから、いつでも電話してきてね。夜中でもいいから。留守番電話になっているかもしれないけど、後で聞くから。」お母さんはどんなに安心したことか。
それから7年が経った。特別大きな病気をしなくても、予防接種やフィラリア予防の薬をもらいにと年数回はお世話になる。先生ったら初めて私に注射をするときに、お母さんに抱っこさせて私にこう声をかけた。「ピース、俺じゃねえぞ、お前の母さんが痛いことしてるんだからな。」その痛かったこと。声も出なかった。以来、車に乗せられ、大体の方向がわかるから、もう体ががたがた震えて「先生さようなら」と言うまで怖くて怖くて。そんな私を見て先生はいつも豪快に笑う。「お前はめんこいな~、ピース。弱虫で。」となでてくれる。愛想笑いで尻尾を振るけど、耳はもうぺたりと下がったまま上がらない(だって怖いんだもん)。
今までいろんなことがあった。以前お母さんが話したけれど、キャップを連れて行ったとき、どこのどんな犬かわからない、それが大前提。視触診をし、「血液検査をしなければわからないけれど、見た感じはどこも悪くない。犬猫ネットワークにやるのならば、そこで予防接種など全部してくれる。ノミ取りの薬だけつけてやればいい。子どもが小さいし(ねえねが一緒だった)、どんな犬かもわからないから気をつけるように。」と言われてノミ取りの薬代だけをお母さんは支払った。
この先生のお宅にも犬がいた(最近亡くなったそうだが)。聞けば、ある環境の悪いペットショップで売られていたが病気にかかって処分されるために保健所へやってきた。その犬を先生が引き取った。「まず、あれはひどかった。あちこち病気で。腹は切らなきゃいけないし、ほんとにあちこち悪くてよ。でも、今ではうちのばあさんのいい話し相手になってる。」と話してくれたことがあった。奥さんが白い犬を散歩に連れて行くところを見かけたことがある。
私がいつだったか予防接種に行ったとき、皮膚病に罹っているのを見つけてくれたことがあった。「これ、痒かっただろ、ピース。」と薬を出してくれた。「お金いらない。そこの犬猫ネットワークの募金箱に入れていってくれればいい。」「この薬(塗り薬)もう使わないから持って行っていい。」「早起きして来てくれたからほら(お母さんが先生に診察代を支払うとそこからねえねにお小遣いをくれるのだった)。」診察代を取らないのを他に見たことがある。子どもにお小遣いをくれるのはねえねだけに限らないらしい。薬をもらってきたことがあるとけんたママも言ってたことがある。こういう先生なのだ。病院によっては不要と思われる栄養の点滴をするのが得意なところもある。でも先生は恐らく最低の診察代しかもらわないのではないだろうか。正義感が強く、私たちの立場になって診てくれる。奥さんは優しい。そして肝心の腕もすごい。けんたくんが耳の病気に罹って近所のお医者さんにしばらく通院しても治らず、先生のところに行ったら間もなく治ったとお母さんたちが話していたのを聞いた。似たような話は他にも聞いたことがある。ある病院に通院しても治らない病気が先生のところに変えたら治ったそうだ。その話を先生にお母さんがしていたことがあった。「そんなの、俺が治したんじゃない。治る時期に来たから治ったんだろ。」と言っていた。
私がいたペットショップは、とても古くて臭いがきつい、良い環境とはいえないようなところだった(今はない)。先生がお母さんに「どこから買った?」とお腹をこわして初めて行ったときに聞いた。店の名前を告げると冷静だった先生が「それなら、予防接種をきちんと受けさせないとだめだ。あそこから来た犬が病気にかかっていて、治すのに大変だったことがある。あそこのオヤジとけんかしたことがある。あんな風になるまでして。」と過去を思い出しヒートアップしていくのを奥さんが「まずまず、お父さん。」と手綱を引いていた。私たちのことを思えばこそ、心無い人に対しては容赦ないのだろう。
この間の先生は本当に素敵だった。お母さん、先生のすごさを帰宅してからねえねに話していた。安易に安楽死なんて飼い主の都合で口にするものではないとお母さんは思ったのだろう。私もいずれ老いていく。どんな風になるかは誰にもわからない。だけど、あの先生なら私のことを思って最善を尽くしてくれるに違いない。豪快で優しく、心から尊敬できる先生だと改めて思った出来事だった。
私が予防接種に動物病院へ行ったときのことだった。
「こんなに悪いのなら安楽死も考えたいと思います。」
その言葉を聴いた途端、背筋が凍る気持ちになった。
「えっ。まだ生きるよ。あれはまだ生きる目をしている。まだ生きたい顔をしているよ。何もしないでそうするよりも、食べさせて少しでも何かしてあげたほうが気持ちが違うでしょ。」
即答したのは奥さんだった。そして追うように先生が
「他ではするかもしれないけれども、うちでは今の状態ではしない。まだだって生きるもの。あれだけ暴れることが出来るんだから、まだ生きる。あの顔は行きたい顔だもの。ごはんを食べないって言っても、食べさせるんだよ。口の中にいれてあげるんだよ。治るとは約束できないけれど、まだ生きたいって言っているんだから食べさせてあげないと。」
待合室のないとても小さな病院。個人情報保護など全くない。「こんにちは」とドアを開ければ診察台がある。青空待合室。寒かったり雨だったりすれば車の中で順番を待つ。お天気のいい日は偶然出会ったみんなで四方山話をしながら玄関前で順番を待つ。2~3人の飼い主さんたちが私たちを連れて入ればもうぎゅうぎゅう。犬猫関係なく一緒になる。スタッフは先生と奥さんの二人だけ。保健所を退職してから自宅に開院したそうだ。二人で間に合わないときは飼い主さんがにわか看護師や電話番までする。私が避妊の手術をしてもらいに行ったとき、お父さんが連れて行ってくれた。先生は「これからやるから、もし電話がかかってきたり、誰か来たら手術してるからって言っといて。」と言い残して二階の手術室へと私を連れて行った。
その日は注射を終えて診察台でぶるぶる震える私をよそにお母さんは奥さんが会計をしているところを待っていた。そこに飼い主さんだけ呼ばれて入ってきた。検査結果を聞かされ「安楽死」を口にした。先生と奥さんは自分から食べようとしないのならば口の中に入れてやればいい、少し元気になってくれば自分から食べるようになるだろう、治るかどうかはわからないけれど、尽くしてあげないと、と必死に説いていた。そして飼い主さんから頼まれもしないのに、病気の猫ちゃんのために食事の仕度をしていた。聞く気がなくても耳に入ってくる話。お母さんは私をなでながら、先生たちの言葉をしっかりと聞き、感動しているのがわかった。
犬友達のけんたママから「とてもいい先生だよ。」と聞いたのが出会いだった。私が佐藤家に来て少ししたとき、お腹が痛くなった。にいにとねえねがとても心配して「病院に早く連れて行ってあげて。」と頼んでくれた。その時私はまだ生まれて5ヶ月ぐらいだったと思う。奥さんが私を見て歓声を上げたことを覚えている。「あらあら。まぁ、小さくてかわいいこと。」先生はスピッツと聞いてとても私を珍しがった。先生のところにスピッツは当時私一人しかいなかったとか。薬をもらって帰るときに奥さんが言った。「まだ小さいから、いつ具合が悪くなるかわからない。だから、いつでも電話してきてね。夜中でもいいから。留守番電話になっているかもしれないけど、後で聞くから。」お母さんはどんなに安心したことか。
それから7年が経った。特別大きな病気をしなくても、予防接種やフィラリア予防の薬をもらいにと年数回はお世話になる。先生ったら初めて私に注射をするときに、お母さんに抱っこさせて私にこう声をかけた。「ピース、俺じゃねえぞ、お前の母さんが痛いことしてるんだからな。」その痛かったこと。声も出なかった。以来、車に乗せられ、大体の方向がわかるから、もう体ががたがた震えて「先生さようなら」と言うまで怖くて怖くて。そんな私を見て先生はいつも豪快に笑う。「お前はめんこいな~、ピース。弱虫で。」となでてくれる。愛想笑いで尻尾を振るけど、耳はもうぺたりと下がったまま上がらない(だって怖いんだもん)。
今までいろんなことがあった。以前お母さんが話したけれど、キャップを連れて行ったとき、どこのどんな犬かわからない、それが大前提。視触診をし、「血液検査をしなければわからないけれど、見た感じはどこも悪くない。犬猫ネットワークにやるのならば、そこで予防接種など全部してくれる。ノミ取りの薬だけつけてやればいい。子どもが小さいし(ねえねが一緒だった)、どんな犬かもわからないから気をつけるように。」と言われてノミ取りの薬代だけをお母さんは支払った。
この先生のお宅にも犬がいた(最近亡くなったそうだが)。聞けば、ある環境の悪いペットショップで売られていたが病気にかかって処分されるために保健所へやってきた。その犬を先生が引き取った。「まず、あれはひどかった。あちこち病気で。腹は切らなきゃいけないし、ほんとにあちこち悪くてよ。でも、今ではうちのばあさんのいい話し相手になってる。」と話してくれたことがあった。奥さんが白い犬を散歩に連れて行くところを見かけたことがある。
私がいつだったか予防接種に行ったとき、皮膚病に罹っているのを見つけてくれたことがあった。「これ、痒かっただろ、ピース。」と薬を出してくれた。「お金いらない。そこの犬猫ネットワークの募金箱に入れていってくれればいい。」「この薬(塗り薬)もう使わないから持って行っていい。」「早起きして来てくれたからほら(お母さんが先生に診察代を支払うとそこからねえねにお小遣いをくれるのだった)。」診察代を取らないのを他に見たことがある。子どもにお小遣いをくれるのはねえねだけに限らないらしい。薬をもらってきたことがあるとけんたママも言ってたことがある。こういう先生なのだ。病院によっては不要と思われる栄養の点滴をするのが得意なところもある。でも先生は恐らく最低の診察代しかもらわないのではないだろうか。正義感が強く、私たちの立場になって診てくれる。奥さんは優しい。そして肝心の腕もすごい。けんたくんが耳の病気に罹って近所のお医者さんにしばらく通院しても治らず、先生のところに行ったら間もなく治ったとお母さんたちが話していたのを聞いた。似たような話は他にも聞いたことがある。ある病院に通院しても治らない病気が先生のところに変えたら治ったそうだ。その話を先生にお母さんがしていたことがあった。「そんなの、俺が治したんじゃない。治る時期に来たから治ったんだろ。」と言っていた。
私がいたペットショップは、とても古くて臭いがきつい、良い環境とはいえないようなところだった(今はない)。先生がお母さんに「どこから買った?」とお腹をこわして初めて行ったときに聞いた。店の名前を告げると冷静だった先生が「それなら、予防接種をきちんと受けさせないとだめだ。あそこから来た犬が病気にかかっていて、治すのに大変だったことがある。あそこのオヤジとけんかしたことがある。あんな風になるまでして。」と過去を思い出しヒートアップしていくのを奥さんが「まずまず、お父さん。」と手綱を引いていた。私たちのことを思えばこそ、心無い人に対しては容赦ないのだろう。
この間の先生は本当に素敵だった。お母さん、先生のすごさを帰宅してからねえねに話していた。安易に安楽死なんて飼い主の都合で口にするものではないとお母さんは思ったのだろう。私もいずれ老いていく。どんな風になるかは誰にもわからない。だけど、あの先生なら私のことを思って最善を尽くしてくれるに違いない。豪快で優しく、心から尊敬できる先生だと改めて思った出来事だった。