ここで私の個人的体験を聞いてほしいと思います。私はこの三月から所属する教会を変えました。ブータンとは全く関係のないある理由からです。今までいたA教会は信徒数1000人を超える教会で新潟狂句三県のうち一番大きい教会でした。今度移ったのはその一割弱の小さいT教会です。日曜日の礼拝に出席する350人から約50人のこじんまりしたコミュニティに身を置いて感じたことは家庭的なあたたかさでした。A教会では顔はわかるけど名前も住む所も職業もほとんどわからない。ごく一握りの人としか交流できなかったのです。(私の内気な性格も原因しますが)
T教会は学校の一クラスの集団規模ですから新入りの私の「初めての顔」にすぐ声がかけられる。色々世話してくださる。中略
物事は表裏一体ですから「小さい共同体」には小さい故のマイナスは当然予想されます。濃密な人間関係はうまく機能している時は喜びをもたらしますが、反転するとうっとうしくなるのが世の常ですから。(覚悟しています。)ブータンの小ささに注目しましたのは自分のこういう体験を重ね合わせたからです。ですから現国王の次の言葉にとても共感しました。
「私は常にわが国のサイズは最高の利点となると信じてきました。なぜなら小さい国と少ない人口は国としてよりうまく管理していけるからです。」
小さい国ゆえのメリットを国王は最大限に活用しておられる様子です。国民との意思疎通をはかるために絶えず顔と顔の触れ合う機会をもつ。昨年ご成婚した若い国王夫妻は式場の町(プナカ)からティンプーまで歩いて沿道の国民に挨拶し祝福を受けたという。オープンカーのパレードではなく徒歩のパレード!昼食も抜きで歩き続け、宮城にたどり着いたのは真夜中だった由。このエピソードに王室と国民の距離が以下に近いかがうかがい知れる気がします。これは「小さい国」だからこそ可能です。「家族国家」ともいえるブータンだからこそ次のような五代国王戴冠式のことばも生まれてくるのでしょう。
「私が在位している間、国王としてあなた方を統治することは、決してありません。
私は子どもたちの手本となるような善き人としての人生を歩んでいきます。
私にとってあなた方の希望と願いを叶えることが人生の目標であります。
私は親切、正義、そして平等の精神をもって、昼夜を問わず、あなた方に仕えるつもりです。」
こういうメルヘン的なメッセージを発信できる国家規模。大国の大統領や首相がまねたら噴飯物でしょう。国の施政の目ざす精神性がブータンでは見事に表現されていることはうらやましいです。日本も国のあり方が複雑になりすぎました。思い切って軌道修正をはかり「小さい政府」「地方自治」の方向に変わることを願うものです。
私がA教会からT教会に移って自分という一人の重みを感じ、義務ではなく主体的にコミュニティに関わって行こうと意識が変えられたように、行政も小さくなった方がいいのではないでしょうか。一人ひとりの参加意識が強まると共に一人ひとりの人間の充足感、満足感が深まっていくはずです。その意味で、私はガンジーの農村共同体という社会構築の考え方に賛同したい。次ぎの文は浅井幹雄監修『ガンディー 魂の言葉』(太田出版)からの引用です。
【夢はいくつもの村から成る共和国】
「農村の未来についてわたしがもつ夢は、村一つひとつが経済的にも政治的にも独立した存在となり、それらが相互に助け合ってひとつの共和国をつくることだ。
村落は食糧や生活必需品の自給自足を基本とし、水資源の管理、基礎教育の施設運営なども自ら行う。(後略)」
ガンディーの思想は小さいながら、インド各地のアシュラム活動として継続しているという。機械文明からの脱却、西欧中心のグローバル経済の暴力を指弾するガンジーのことばは強い。その行き詰まりの予告は当たって今の世界情勢となっている。
「大切なことを忘れないでほしい。機械が主役の産業文明は悪である。」
「機械が人類の文明を破壊する終末を想像することができる。」
「そんなことは、これまでの歴史にはない。だから起こるはずがない。そう思い込んでいる人は、
人間のもつ大きな可能性を見ない人だ。わたしたちは、まず、そんな思い込みから自由になろう。そして、自分の心が正しいと思うことをやってみればいい。」
ブータンは統治掌握がしやすい小国ゆえに、国民一人ひとりの最大限の充足ある生活という政治の基本を是非貫いて行ってほしい。また、地形の不利な条件ゆえ農業の機械化、送電網の配備も相当むずかしいと予想されますが、かえってそれは他国が陥った轍を踏まない健全な開発成長となるに違いありません。
経済力より幸福力という高い夢をブータンは実現していってほしいと切に願うものです。ただ、人間性の悲しい面があります。「笛吹けども踊らず」ということばのように上の方からの思いが下にそのまま伝わらないという現実です。私の弟のいる会社は社員150人の中規模会社です。経営能力、人徳共に優れたトップに恵まれています。M専務の就任時の挨拶はブータン国王のことばに似て感動的でした。
「私は皆さんがこの会社に勤めて本当に幸せだったと思える会社にすると誓います。」
今の不況で営業成績は伸び悩みながら、150人の社員とその家族を路頭に迷わすことは出来ないと必死の努力をしている。しかし管理職にある弟から見て、社員の就業意識は低い。“わが会社を自分の手で盛りたてる”という気概に乏しいと嘆きます。
先代(4代)国王の戴冠式での演説の一部を引用します。国民一人ひとりへの切なる訴えに心打たれます。この国王の手でブータンは民主体制に移行していきます。
「現在、われわれの前にある最も重要な課題は、将来にわたるわが国の継続的発展を確実なものとするために経済的自立を達成する事である。ブータンの人口は小規模であるが、豊富な土地と豊かな自然資源、健全な計画を以って近い将来にわれわれの目標である経済的自立の達成を実現することができるのである。
あなた方国民においては自身の快適な生活の構築が政府によってすべて行われるべきであるという態度を身につけてはいけない。あなた方のささやかな努力は政府の多大なる努力よりはるかに功を奏すのである。」 1974年
今の5代国王も国民一人ひとりの意識を涵養してやまない。国内の大学で自ら学生たちに語りかける機会を定期的に設けている。そこで発せられる言葉には、国の未来を若者たちとともにつくり上げていこうという姿勢が示されている。
「この国の歴史にとって今は非常に特別な時期と言えます。民主化成功に向けての尽力いかんによって、これからのブータンに安定した未来が訪れるかどうかが決まるのだと思います。そしてそれを担っているのがあなた方なのです。」
「私はあなた方の望みを自分のものとして受け入れ、その達成のために働きかけていきましょう。ですから、あなた方は大きな野望を抱いてください。大きな希望を抱いてください。あなたと、そして私たちの国のために。」
若い国ブータン、小さい国ブータン、これからの人類に希望の灯をかかげてほしいものです。「山紫水明 偉人を生む」という諺がありますが、ブータン王国は名君を生んでいます。王政から民主的な立憲君主制に変えたのも国王自らのリードによります。これは歴史上珍しい変革でした。
「ブータンは小さいが強い国です。」(4代国王)
(一) 政教一致だからできる
ブータンはチベット仏教の一つドック派を国教とする仏教国です。国王とジェ・ケンポ(大僧正)の地位は同格。GNHという理念、価値観にはこの宗教的背景があるといわれます。
田中敏恵氏のことば・・・
「ブータンではかつて家族からひとり僧侶として出家させるのが不文律のようになっていたという。今ではそこまでの割合で割合ではないにせよ、親戚まで含めた一族には僧侶になった者が必ずいるそうだ。寺院以外でも僧侶の姿はあちこちで見かけるし、彼らと一般大衆の距離も非常に近い。僧侶たちの生活がブータンの人々の生活のお手本であり、価値観に大きく影響を与えているのだ。」
今枝氏・・・
「ここが日本と一番大きく異なるところだと思うのですが、ブータンの僧侶は皆無所有で独身なのです。誰ひとり自分が所有する家屋を持っていません。持ち物といったら、腕時計とラジオ、懐中電灯に携帯電話、その程度でしょうか。他は着替えを2・3着、そんなものです。しかし、人々に尊重され同時に人々を感化する存在でもある。ブータンの人々は、たとえ豪華なものを所有していなくても、人は尊敬される存在になれるし、心の充足を得ることもできるのだということを実感しているのでしょう。身近な存在である僧侶たちを一つの手本として実質社会において生きる哲学や幸福について理解しているのだと思います。自分の一族に僧侶というお手本となる人がいる。そのことが精神的に大きな支えとなるのだと思います。
田中敏恵氏著書より
「仏教の教えがリアルであるということ。それは人々の暮らしを律し、人生観に影響を与えるのも確かであろう。ブータンでは、国王や首相の演説にも仏教の教えや用語が出てくることが非常に多い。身近な存在の僧侶、そして国を牽引する存在の王や首相もまた、信仰心の篤い仏教徒である。輪廻転生を信じる民は、来世での幸せを願い、現世で努めて善い行いをしようとし、進んで人を助け、徳を積む。そのような人生観は若者たちの心境にも大きく影響するだろう。」
国民の幸福という理念はどんな国家もそれを精神的柱にしているはずです。ただ、その実現を物質的豊かさ、経済成長に力を注いで来ているのが大半の国の現状です。その中で過度な経済発展に偏することなく、人間性の深い精神的な充足という幸福観を掲げるブータンは異色な存在だと思います。それは仏教という国教がバックボーンにあるからだと私は思うのです。
西田先生の講演のあと、個人的に二、三お伺いしました。
① 総人口における僧侶・尼僧の割合(資料がなく残念ながら不明とのこと)
② 僧侶と民衆の距離が近いということですが?
「はい、ブータンではしょっちゅう何かあるとお坊さんを呼んで集まりをしています。子供が生まれた、誰々が結婚した・・・色んな出来事があるとお坊さんに法会を営んでもらい村人みんなで会食をするんです。」
③ 一般の人も読経とかするのですか?
「はい、皆さんまじめです。仏壇を飾ることにお金をたくさんかけています。」
④ 小学校とか学校で仏教のことを教えているのですか?
「はい、宗教の時間が設けられています。」
⑤ ブータン語(ゾンガ語)で「ありがとう」とはどう言われますか?
「“カディンチェ(ラ)”といいます。」
(私は合掌しながら西田先生にお礼を申し上げました。
先生、今日はとてもよい勉強をしました。カディンチェラ!)
終わりに
私がブータンに心魅かれるのは個人的な理由も加わっています。私は終戦後外地(今の中国・天津市)から父の郷里である男鹿半島の加茂青砂という躃村に移り住みました。そこで3才から9才までの六年間暮らすことになります。当時加茂は前に日本海、後ろには険しい山がせまり近くの町に出るのは難業で「陸の孤島」といわれていました。学校は複式学級で二学年合わせて15~16人。学校の先生は小さい船に乗って赴任してきました。それを村の人が全員で浜辺に立って出迎えたものです。夏は海で泳ぎ、春秋には野山をかけめぐり、冬はそり遊びに興じた私の子ども時代は今思うと天国のようでした。村の生活は豊かではありませんでしたが、人の交わりは濃く、さまざまな人間ドラマに彩られていたと思います。加茂青砂という名のごとく海水の透明度は深く美しい岩砂の村です。今道路が整備され、街の人がこの地に第二の人生を求めて移り住む人も増えているとか。(私もお金があればセカンドハウスを建てたい。)
ブータンの人は自分たちを「天国に住む者たち」と言うそうですが、私はその気持ちがわかる気がします。大自然は時として苦しみをもたらしますが、その懐は深く、人の心を大きく抱擁してくれます。幸せの真髄がそこにあります。
まだ行ったことも、また、これからも行く可能性は全くありませんが、私の中にはブータンがありありと想像できるのです。
ポルカこと いしかわようこ
T教会は学校の一クラスの集団規模ですから新入りの私の「初めての顔」にすぐ声がかけられる。色々世話してくださる。中略
物事は表裏一体ですから「小さい共同体」には小さい故のマイナスは当然予想されます。濃密な人間関係はうまく機能している時は喜びをもたらしますが、反転するとうっとうしくなるのが世の常ですから。(覚悟しています。)ブータンの小ささに注目しましたのは自分のこういう体験を重ね合わせたからです。ですから現国王の次の言葉にとても共感しました。
「私は常にわが国のサイズは最高の利点となると信じてきました。なぜなら小さい国と少ない人口は国としてよりうまく管理していけるからです。」
小さい国ゆえのメリットを国王は最大限に活用しておられる様子です。国民との意思疎通をはかるために絶えず顔と顔の触れ合う機会をもつ。昨年ご成婚した若い国王夫妻は式場の町(プナカ)からティンプーまで歩いて沿道の国民に挨拶し祝福を受けたという。オープンカーのパレードではなく徒歩のパレード!昼食も抜きで歩き続け、宮城にたどり着いたのは真夜中だった由。このエピソードに王室と国民の距離が以下に近いかがうかがい知れる気がします。これは「小さい国」だからこそ可能です。「家族国家」ともいえるブータンだからこそ次のような五代国王戴冠式のことばも生まれてくるのでしょう。
「私が在位している間、国王としてあなた方を統治することは、決してありません。
私は子どもたちの手本となるような善き人としての人生を歩んでいきます。
私にとってあなた方の希望と願いを叶えることが人生の目標であります。
私は親切、正義、そして平等の精神をもって、昼夜を問わず、あなた方に仕えるつもりです。」
こういうメルヘン的なメッセージを発信できる国家規模。大国の大統領や首相がまねたら噴飯物でしょう。国の施政の目ざす精神性がブータンでは見事に表現されていることはうらやましいです。日本も国のあり方が複雑になりすぎました。思い切って軌道修正をはかり「小さい政府」「地方自治」の方向に変わることを願うものです。
私がA教会からT教会に移って自分という一人の重みを感じ、義務ではなく主体的にコミュニティに関わって行こうと意識が変えられたように、行政も小さくなった方がいいのではないでしょうか。一人ひとりの参加意識が強まると共に一人ひとりの人間の充足感、満足感が深まっていくはずです。その意味で、私はガンジーの農村共同体という社会構築の考え方に賛同したい。次ぎの文は浅井幹雄監修『ガンディー 魂の言葉』(太田出版)からの引用です。
【夢はいくつもの村から成る共和国】
「農村の未来についてわたしがもつ夢は、村一つひとつが経済的にも政治的にも独立した存在となり、それらが相互に助け合ってひとつの共和国をつくることだ。
村落は食糧や生活必需品の自給自足を基本とし、水資源の管理、基礎教育の施設運営なども自ら行う。(後略)」
ガンディーの思想は小さいながら、インド各地のアシュラム活動として継続しているという。機械文明からの脱却、西欧中心のグローバル経済の暴力を指弾するガンジーのことばは強い。その行き詰まりの予告は当たって今の世界情勢となっている。
「大切なことを忘れないでほしい。機械が主役の産業文明は悪である。」
「機械が人類の文明を破壊する終末を想像することができる。」
「そんなことは、これまでの歴史にはない。だから起こるはずがない。そう思い込んでいる人は、
人間のもつ大きな可能性を見ない人だ。わたしたちは、まず、そんな思い込みから自由になろう。そして、自分の心が正しいと思うことをやってみればいい。」
ブータンは統治掌握がしやすい小国ゆえに、国民一人ひとりの最大限の充足ある生活という政治の基本を是非貫いて行ってほしい。また、地形の不利な条件ゆえ農業の機械化、送電網の配備も相当むずかしいと予想されますが、かえってそれは他国が陥った轍を踏まない健全な開発成長となるに違いありません。
経済力より幸福力という高い夢をブータンは実現していってほしいと切に願うものです。ただ、人間性の悲しい面があります。「笛吹けども踊らず」ということばのように上の方からの思いが下にそのまま伝わらないという現実です。私の弟のいる会社は社員150人の中規模会社です。経営能力、人徳共に優れたトップに恵まれています。M専務の就任時の挨拶はブータン国王のことばに似て感動的でした。
「私は皆さんがこの会社に勤めて本当に幸せだったと思える会社にすると誓います。」
今の不況で営業成績は伸び悩みながら、150人の社員とその家族を路頭に迷わすことは出来ないと必死の努力をしている。しかし管理職にある弟から見て、社員の就業意識は低い。“わが会社を自分の手で盛りたてる”という気概に乏しいと嘆きます。
先代(4代)国王の戴冠式での演説の一部を引用します。国民一人ひとりへの切なる訴えに心打たれます。この国王の手でブータンは民主体制に移行していきます。
「現在、われわれの前にある最も重要な課題は、将来にわたるわが国の継続的発展を確実なものとするために経済的自立を達成する事である。ブータンの人口は小規模であるが、豊富な土地と豊かな自然資源、健全な計画を以って近い将来にわれわれの目標である経済的自立の達成を実現することができるのである。
あなた方国民においては自身の快適な生活の構築が政府によってすべて行われるべきであるという態度を身につけてはいけない。あなた方のささやかな努力は政府の多大なる努力よりはるかに功を奏すのである。」 1974年
今の5代国王も国民一人ひとりの意識を涵養してやまない。国内の大学で自ら学生たちに語りかける機会を定期的に設けている。そこで発せられる言葉には、国の未来を若者たちとともにつくり上げていこうという姿勢が示されている。
「この国の歴史にとって今は非常に特別な時期と言えます。民主化成功に向けての尽力いかんによって、これからのブータンに安定した未来が訪れるかどうかが決まるのだと思います。そしてそれを担っているのがあなた方なのです。」
「私はあなた方の望みを自分のものとして受け入れ、その達成のために働きかけていきましょう。ですから、あなた方は大きな野望を抱いてください。大きな希望を抱いてください。あなたと、そして私たちの国のために。」
若い国ブータン、小さい国ブータン、これからの人類に希望の灯をかかげてほしいものです。「山紫水明 偉人を生む」という諺がありますが、ブータン王国は名君を生んでいます。王政から民主的な立憲君主制に変えたのも国王自らのリードによります。これは歴史上珍しい変革でした。
「ブータンは小さいが強い国です。」(4代国王)
(一) 政教一致だからできる
ブータンはチベット仏教の一つドック派を国教とする仏教国です。国王とジェ・ケンポ(大僧正)の地位は同格。GNHという理念、価値観にはこの宗教的背景があるといわれます。
田中敏恵氏のことば・・・
「ブータンではかつて家族からひとり僧侶として出家させるのが不文律のようになっていたという。今ではそこまでの割合で割合ではないにせよ、親戚まで含めた一族には僧侶になった者が必ずいるそうだ。寺院以外でも僧侶の姿はあちこちで見かけるし、彼らと一般大衆の距離も非常に近い。僧侶たちの生活がブータンの人々の生活のお手本であり、価値観に大きく影響を与えているのだ。」
今枝氏・・・
「ここが日本と一番大きく異なるところだと思うのですが、ブータンの僧侶は皆無所有で独身なのです。誰ひとり自分が所有する家屋を持っていません。持ち物といったら、腕時計とラジオ、懐中電灯に携帯電話、その程度でしょうか。他は着替えを2・3着、そんなものです。しかし、人々に尊重され同時に人々を感化する存在でもある。ブータンの人々は、たとえ豪華なものを所有していなくても、人は尊敬される存在になれるし、心の充足を得ることもできるのだということを実感しているのでしょう。身近な存在である僧侶たちを一つの手本として実質社会において生きる哲学や幸福について理解しているのだと思います。自分の一族に僧侶というお手本となる人がいる。そのことが精神的に大きな支えとなるのだと思います。
田中敏恵氏著書より
「仏教の教えがリアルであるということ。それは人々の暮らしを律し、人生観に影響を与えるのも確かであろう。ブータンでは、国王や首相の演説にも仏教の教えや用語が出てくることが非常に多い。身近な存在の僧侶、そして国を牽引する存在の王や首相もまた、信仰心の篤い仏教徒である。輪廻転生を信じる民は、来世での幸せを願い、現世で努めて善い行いをしようとし、進んで人を助け、徳を積む。そのような人生観は若者たちの心境にも大きく影響するだろう。」
国民の幸福という理念はどんな国家もそれを精神的柱にしているはずです。ただ、その実現を物質的豊かさ、経済成長に力を注いで来ているのが大半の国の現状です。その中で過度な経済発展に偏することなく、人間性の深い精神的な充足という幸福観を掲げるブータンは異色な存在だと思います。それは仏教という国教がバックボーンにあるからだと私は思うのです。
西田先生の講演のあと、個人的に二、三お伺いしました。
① 総人口における僧侶・尼僧の割合(資料がなく残念ながら不明とのこと)
② 僧侶と民衆の距離が近いということですが?
「はい、ブータンではしょっちゅう何かあるとお坊さんを呼んで集まりをしています。子供が生まれた、誰々が結婚した・・・色んな出来事があるとお坊さんに法会を営んでもらい村人みんなで会食をするんです。」
③ 一般の人も読経とかするのですか?
「はい、皆さんまじめです。仏壇を飾ることにお金をたくさんかけています。」
④ 小学校とか学校で仏教のことを教えているのですか?
「はい、宗教の時間が設けられています。」
⑤ ブータン語(ゾンガ語)で「ありがとう」とはどう言われますか?
「“カディンチェ(ラ)”といいます。」
(私は合掌しながら西田先生にお礼を申し上げました。
先生、今日はとてもよい勉強をしました。カディンチェラ!)
終わりに
私がブータンに心魅かれるのは個人的な理由も加わっています。私は終戦後外地(今の中国・天津市)から父の郷里である男鹿半島の加茂青砂という躃村に移り住みました。そこで3才から9才までの六年間暮らすことになります。当時加茂は前に日本海、後ろには険しい山がせまり近くの町に出るのは難業で「陸の孤島」といわれていました。学校は複式学級で二学年合わせて15~16人。学校の先生は小さい船に乗って赴任してきました。それを村の人が全員で浜辺に立って出迎えたものです。夏は海で泳ぎ、春秋には野山をかけめぐり、冬はそり遊びに興じた私の子ども時代は今思うと天国のようでした。村の生活は豊かではありませんでしたが、人の交わりは濃く、さまざまな人間ドラマに彩られていたと思います。加茂青砂という名のごとく海水の透明度は深く美しい岩砂の村です。今道路が整備され、街の人がこの地に第二の人生を求めて移り住む人も増えているとか。(私もお金があればセカンドハウスを建てたい。)
ブータンの人は自分たちを「天国に住む者たち」と言うそうですが、私はその気持ちがわかる気がします。大自然は時として苦しみをもたらしますが、その懐は深く、人の心を大きく抱擁してくれます。幸せの真髄がそこにあります。
まだ行ったことも、また、これからも行く可能性は全くありませんが、私の中にはブータンがありありと想像できるのです。
ポルカこと いしかわようこ