台風は去ったはずなのに、午前中は降ったり止んだりを繰り返しました。そして午後からは風が吹き出して、どんどん強く吹いて来て、夜になってもおさまりません。
妹の家では皇帝ダリアが元から折れてしまったそうです。
これからかなりの雨量の雨が降りそうな予報も出ています。
そしてビックリは、明日の気温!
37 °の予報が出たのです。
学童では窓を開けて冷房しているので、かなり暑いのです。子どもと一緒にいると暖かいんです。どうなることやら… 。
台風は去ったはずなのに、午前中は降ったり止んだりを繰り返しました。そして午後からは風が吹き出して、どんどん強く吹いて来て、夜になってもおさまりません。
妹の家では皇帝ダリアが元から折れてしまったそうです。
これからかなりの雨量の雨が降りそうな予報も出ています。
そしてビックリは、明日の気温!
37 °の予報が出たのです。
学童では窓を開けて冷房しているので、かなり暑いのです。子どもと一緒にいると暖かいんです。どうなることやら… 。
今、テレビで長崎平和記念式典が放送されています。先程92 歳の岡 信子さんが、おみ足の衰えもなく進み出て、立派にお話しされました。
92歳と聞いて、私の母と同年齢だった事に引きつけられて、聞き入りました。
大阪で看護学生だったが、空襲により、実家の長崎に帰省していての被曝。ご自身も爆風で半身に怪我をされたが、救護に当たったとの事。
今は大学に招かれて被曝体験を語る。
岡さんが、ご高齢にもかかわらず、ちゃんと歩けて、滑舌良くお話しできた事に、拍手👏👏👏。
私は昭和31 年の生まれ。
父は霞ヶ浦の予科練に16 歳で志願。商業科の生徒だったのに。
母は女学校で、工場に働きに行き、旋盤?の金属屑が目に入り、目が不自由に。その事を少しも、うらまないで生きていた母が、凄いなぁと思う。
私自身は戦後の生まれでも、戦争の影響を大いに受けて育ったと思う。
父の頑固さや、こだわりを思い出すにつけ、戦時下に生きたからこそと思う。
父も母も、よく働いて、1964年の東京オリンピックには白黒ながらも2台目のテレビ。
1970年の大阪万博には、まず父が行き、これは良いと、夏休みに母が親類の子ども達8 人を連れて、新幹線に乗った。
東京駅で新幹線に乗り込む前に、2班位に分かれてトイレに行ったのを、見ていた人が「よく訓練されている」と。まるで全てが母の子と思ったみたいで… 。