前回、東京に行った時に神保町へ行き古本を買いあさった。
あそこは宝の山だ。
神保町を歩いていると前から気になっているサンカについて再び読みたくなった。
それで「サンカ 幻の漂泊民を探して」河出書房新社を買った。
2005年に出た最近の本だ。
サンカについて書いている主な人は三角寛さんや柳田國男先生八切止夫さんだろう。
特に三角さん八切さんは色んな話がありすぎて何を信じていいのか
さっぱり僕にはわからない。
きっと学者も大混乱しているにちがいない。
三角さんに関しては娘まで三角寛という人物について書いているくらいだ。
と別にサンカについて書きたいのではない。(僕には書けない。)
思いついたものをぱっと書いてみる。
インディアン・ナバホ・エスキモー・サンカ・土人・蝦夷。
これらは全て自称ではなくて他称(総称)だ。
確か600?ほどあった部族を一言で「インディアン」と一言で呼ぶことは
とても便利な気がする。
その呼び方にはその人達との距離を縮めようという思いが感じられない。
むしろ「俺たちとは違う奴ら」という差別の対象をひとまとめにして
遠ざけるようだ。
差別するにはとても便利な言い方だと僕は思う。
他称で呼んでいる限りその人達の事を知ることなどできるわけがない。
そんな事を思ってサンカの本を読むのをやめてしまった。
あそこは宝の山だ。
神保町を歩いていると前から気になっているサンカについて再び読みたくなった。
それで「サンカ 幻の漂泊民を探して」河出書房新社を買った。
2005年に出た最近の本だ。
サンカについて書いている主な人は三角寛さんや柳田國男先生八切止夫さんだろう。
特に三角さん八切さんは色んな話がありすぎて何を信じていいのか
さっぱり僕にはわからない。
きっと学者も大混乱しているにちがいない。
三角さんに関しては娘まで三角寛という人物について書いているくらいだ。
と別にサンカについて書きたいのではない。(僕には書けない。)
思いついたものをぱっと書いてみる。
インディアン・ナバホ・エスキモー・サンカ・土人・蝦夷。
これらは全て自称ではなくて他称(総称)だ。
確か600?ほどあった部族を一言で「インディアン」と一言で呼ぶことは
とても便利な気がする。
その呼び方にはその人達との距離を縮めようという思いが感じられない。
むしろ「俺たちとは違う奴ら」という差別の対象をひとまとめにして
遠ざけるようだ。
差別するにはとても便利な言い方だと僕は思う。
他称で呼んでいる限りその人達の事を知ることなどできるわけがない。
そんな事を思ってサンカの本を読むのをやめてしまった。