5月14日からはじまる7GenerationsWalk 2010
今日、代表の山田さんから連絡が来て、僕は11日から長野に行く事になった。
初めて7Generations walkの代表の山田さんを見たのは、もう2年以上前になる。
サンフランシスコ・アルカトラツ島でLongestwalk2の写真を撮る事も禁止していた
オープニングセレモニーでの事だった。
かなり緊張感のある儀式でLongestwalk2の主催者、AIMのデニスバンクスの横に明らかにワクワクしている人物がいた。
それが山田さんだった。
僕はそれからワシントンDCまでアメリカの徒歩で横断する5ヶ月のうち
4ヶ月をデニス・バンクスと共に過ごした。
アメリカ、カナダ、メキシコ、オーストラリア、イギリス、フランス、
いろんな国からの参加者がいて、日本人もその中にたくさんいた。
4ヶ月間参加して、日本人だけが特別扱いされているような気がする場面が何度かあり、
デニスが日本人に遠慮しているようにすら僕には感じられた。
アメリカ横断を終えた翌年に、デニスが日本でウォークをするという話が出ていた。
デニスも日本に来て話し合いがもたれていたが、僕は参加する気はなかった。
ちょうどそのころアメリカで会った大学生が写真の展示をすると言うので
神奈川の大学まで写真の展示会を見に行った時だった。
そこに偶然、山田さんもやってきた。
当然、山田さんは来年のデニスが行なうウォークのサポートすると思っていたが、
話をすると思っていた事とは大きく違った。
「デニスとは別でウォークをする。」
山田さんははっきりそう言った。
その理由を聞いて僕がデニスから感じた違和感が何だったのかが、その時になって
やっとわかった。
常に100人規模の集団がアメリカを横断するのには莫大な費用がかかる。
その費用を出している大金持ちのスポンサーが日本人だった。
山田さんはそんなスポンサーのお金が背後にあって動いていては、絶対にウォークは成功などしないという考えだった。
「シュン君はシュン君のやりたいウォークをやればいい。」
そんな話をして「これで山田さんと会うことはないだろうな。」と思いながら別れた。
しばらくしてデニスの企画していたウォークはスポンサーの
「LongestWalk2でデニスが日本人に失礼だった。日本でウォークはやらせない。」
という、4ヶ月間参加していた僕には全く理解できない理由で話は消えていった。
それから数ヶ月がたったある日。
家の電話が鳴った。
山田さんからの電話だった。
「大阪から東京まで歩く事になったから静岡を案内してほしい。」
正直、どうして僕に頼むのか理解できず気が進まなかったけど、了解をした。
7GenerationsWalkの宿泊先下見や交渉など決めていると、ある事件があった。
LongestWalk2で仲の良かった仲間が線路脇で首と体が離れた状態で発見された。
そんな事があって、ウォークを成功させたいと願い大阪から東京まで
膝を壊しながら1ヶ月半全てに参加した。
ウォークのたった1ヶ月半の中で色んな事を体験した。
富士山の麓、朝霧高原で夜に火を囲みながら歌手のRocomoonちゃんが歌い、
ダンサーのアチコさんがファイヤーダンスをするという、ウォーカーだけの小さな
イベントがあった。
イベントが最後のダンスを迎えるとその日、ずっと空を覆っていた雲が切れ富士山が
雲の向こうに現れ僕らを見つめていた。
それは、いままで毎日のように見ていた富士山とは全く違う姿だった。
最終目的地の東京高尾山でゴールテープを切るとそれまで曇っていた空に穴が開き
光が僕らを照らした。
富士山も空も海も、それらは明らかに意識を持った生き物であるということと、
それらが共通する生き物である僕らと確かに通じ合い、共鳴するという事を
あのウォークで体験した。
7GenerationsWalk→http://www.7gwalk.org/
今日、代表の山田さんから連絡が来て、僕は11日から長野に行く事になった。
初めて7Generations walkの代表の山田さんを見たのは、もう2年以上前になる。
サンフランシスコ・アルカトラツ島でLongestwalk2の写真を撮る事も禁止していた
オープニングセレモニーでの事だった。
かなり緊張感のある儀式でLongestwalk2の主催者、AIMのデニスバンクスの横に明らかにワクワクしている人物がいた。
それが山田さんだった。
僕はそれからワシントンDCまでアメリカの徒歩で横断する5ヶ月のうち
4ヶ月をデニス・バンクスと共に過ごした。
アメリカ、カナダ、メキシコ、オーストラリア、イギリス、フランス、
いろんな国からの参加者がいて、日本人もその中にたくさんいた。
4ヶ月間参加して、日本人だけが特別扱いされているような気がする場面が何度かあり、
デニスが日本人に遠慮しているようにすら僕には感じられた。
アメリカ横断を終えた翌年に、デニスが日本でウォークをするという話が出ていた。
デニスも日本に来て話し合いがもたれていたが、僕は参加する気はなかった。
ちょうどそのころアメリカで会った大学生が写真の展示をすると言うので
神奈川の大学まで写真の展示会を見に行った時だった。
そこに偶然、山田さんもやってきた。
当然、山田さんは来年のデニスが行なうウォークのサポートすると思っていたが、
話をすると思っていた事とは大きく違った。
「デニスとは別でウォークをする。」
山田さんははっきりそう言った。
その理由を聞いて僕がデニスから感じた違和感が何だったのかが、その時になって
やっとわかった。
常に100人規模の集団がアメリカを横断するのには莫大な費用がかかる。
その費用を出している大金持ちのスポンサーが日本人だった。
山田さんはそんなスポンサーのお金が背後にあって動いていては、絶対にウォークは成功などしないという考えだった。
「シュン君はシュン君のやりたいウォークをやればいい。」
そんな話をして「これで山田さんと会うことはないだろうな。」と思いながら別れた。
しばらくしてデニスの企画していたウォークはスポンサーの
「LongestWalk2でデニスが日本人に失礼だった。日本でウォークはやらせない。」
という、4ヶ月間参加していた僕には全く理解できない理由で話は消えていった。
それから数ヶ月がたったある日。
家の電話が鳴った。
山田さんからの電話だった。
「大阪から東京まで歩く事になったから静岡を案内してほしい。」
正直、どうして僕に頼むのか理解できず気が進まなかったけど、了解をした。
7GenerationsWalkの宿泊先下見や交渉など決めていると、ある事件があった。
LongestWalk2で仲の良かった仲間が線路脇で首と体が離れた状態で発見された。
そんな事があって、ウォークを成功させたいと願い大阪から東京まで
膝を壊しながら1ヶ月半全てに参加した。
ウォークのたった1ヶ月半の中で色んな事を体験した。
富士山の麓、朝霧高原で夜に火を囲みながら歌手のRocomoonちゃんが歌い、
ダンサーのアチコさんがファイヤーダンスをするという、ウォーカーだけの小さな
イベントがあった。
イベントが最後のダンスを迎えるとその日、ずっと空を覆っていた雲が切れ富士山が
雲の向こうに現れ僕らを見つめていた。
それは、いままで毎日のように見ていた富士山とは全く違う姿だった。
最終目的地の東京高尾山でゴールテープを切るとそれまで曇っていた空に穴が開き
光が僕らを照らした。
富士山も空も海も、それらは明らかに意識を持った生き物であるということと、
それらが共通する生き物である僕らと確かに通じ合い、共鳴するという事を
あのウォークで体験した。
7GenerationsWalk→http://www.7gwalk.org/