『アレキサンダー・テクニーク入門』
サラ・バーカー 著
北山耕平 訳
片桐ユズル 監修
ビイング・ネット・プレス
テクニークを本から学ぶという革命的な本。
この本を読みながら自分の身体のどこに緊張があるのかなど、
立ったり座ったりしながら読んだ。
身体を意識しながら生活することで自分の変化を確かめようとしたが、
僕の場合、力んで無理な姿勢になってしまう為に初めてすぐに腰が
いたくなった。
腰痛が治ってからは以前と比べて調子がいい気もするし、しない気もする。
正直なところまだよくわからない。
僕がこの本に強く共感したところは、例えるなら日本のヨガ教室のように
ヨガという特別な時間を作り出さないことだった。
とうぜん、ヨガをしている時間を作るということは、ヨガをしていない
時間を同時に作り出してしまうということだ。
このアレキサンダー・テクニークの素晴らしいところは日常の中で行い、
時間という括りを作り出さないところにある。
一日の中に特別な時間をつくらないという考え方に僕は強く共感する。
僕に当てはめて考えるなら、旅をする時の荷物である。
旅をするとき僕は必要と思っている荷物をいかに減らすのかということを考える。
それは自分の「不必要」をどこに見つけるのかということでもある。
僕の考える「必要なもの」の基準は、バックパックに入り、背負ってどこまでも
歩いて行ける荷物の量のことだ。
優先順位はあるものの、バックパックに入らないもの、重くて歩けないものは
「不必要」なもの。
旅をしているときの荷物と旅から帰ってきてからの自分にとっての
「必要」が変化してしまうということは、旅が特別な時間であることを意味し、
どこか遠い場所に旅があるということを意味している。
それでは旅を掴まえることなどできない。
1・2週間家を離れて「旅してきた」なんてことがしたいのではない。
僕は旅がしたいのであって、もし、それが本当に『旅』と呼べるものであるのなら、
旅が旅としてあってはいけない。
『旅するくも』という「最南端」の「人と地球を再び繋ぎあわせる」
という、とんでもなく壮大なテーマのフリーペーパーを企画し始めたころに始めた
このブログ。
上のところにあるブログ概要を何度変えても「決まる言葉」が見つからなかったけど
もうすぐブログ開始から1000日になるというところで、やっと見つかった。
『旅が旅であることを終わらせる為の記録』と、しておこう。
サラ・バーカー 著
北山耕平 訳
片桐ユズル 監修
ビイング・ネット・プレス
テクニークを本から学ぶという革命的な本。
この本を読みながら自分の身体のどこに緊張があるのかなど、
立ったり座ったりしながら読んだ。
身体を意識しながら生活することで自分の変化を確かめようとしたが、
僕の場合、力んで無理な姿勢になってしまう為に初めてすぐに腰が
いたくなった。
腰痛が治ってからは以前と比べて調子がいい気もするし、しない気もする。
正直なところまだよくわからない。
僕がこの本に強く共感したところは、例えるなら日本のヨガ教室のように
ヨガという特別な時間を作り出さないことだった。
とうぜん、ヨガをしている時間を作るということは、ヨガをしていない
時間を同時に作り出してしまうということだ。
このアレキサンダー・テクニークの素晴らしいところは日常の中で行い、
時間という括りを作り出さないところにある。
一日の中に特別な時間をつくらないという考え方に僕は強く共感する。
僕に当てはめて考えるなら、旅をする時の荷物である。
旅をするとき僕は必要と思っている荷物をいかに減らすのかということを考える。
それは自分の「不必要」をどこに見つけるのかということでもある。
僕の考える「必要なもの」の基準は、バックパックに入り、背負ってどこまでも
歩いて行ける荷物の量のことだ。
優先順位はあるものの、バックパックに入らないもの、重くて歩けないものは
「不必要」なもの。
旅をしているときの荷物と旅から帰ってきてからの自分にとっての
「必要」が変化してしまうということは、旅が特別な時間であることを意味し、
どこか遠い場所に旅があるということを意味している。
それでは旅を掴まえることなどできない。
1・2週間家を離れて「旅してきた」なんてことがしたいのではない。
僕は旅がしたいのであって、もし、それが本当に『旅』と呼べるものであるのなら、
旅が旅としてあってはいけない。
『旅するくも』という「最南端」の「人と地球を再び繋ぎあわせる」
という、とんでもなく壮大なテーマのフリーペーパーを企画し始めたころに始めた
このブログ。
上のところにあるブログ概要を何度変えても「決まる言葉」が見つからなかったけど
もうすぐブログ開始から1000日になるというところで、やっと見つかった。
『旅が旅であることを終わらせる為の記録』と、しておこう。