● センターの引き取り拒否
● 保護団体へ無差別譲渡
● 過剰収容によるネグレクト容認
● 譲渡不向きな個体はカウント除外
要は、動物愛護センター内で処分しなければゼロ達成です、数字上は。
でも、これは私たちの求めた殺処分ゼロでしょうか。
私が、思い描いた動物愛護の形とは かけ離れています。
これでは、不幸な悲しむ命を増やしていることにならないでしょうか。
センターの外で、多頭崩壊寸前のシェルターで、路頭に放り出されて...。
不幸な悲しむ命のない世界は、一朝一夕に成し遂げられません。
皆さんが小さな命の存在を認め、社会が共存を目指してから、少しづつ変わっていくのだと思います。
ほんの30年前、猫はネズミ捕り&犬は番犬で家畜カテゴリーでした。
猫の放し飼いは当たり前、犬は屋外に繋がれていました。
「不妊手術しに病院へ連れて行く」なんて言ったら怪訝な顔をされたものです。
増えたら、飽きたら、不要になったら、捨てても良心はとがめない...そんな時代。
その頃の愛護センターの様子を「NPO法人保健所の成犬・猫の譲渡を推進する会」さんの投稿が教えて下さいます。
貴重なお話ですので、是非ともご一読を。
■ 殺処分0の誤解
「命を選択する」ことを忌避される方も多くいらっしゃると思います。
ですが、悪夢のような光景を知っている者にとっては大きな前進、そして不幸な悲しむ命を減らすための道筋でもあるのです。
どうして あの子は殺されるのか
どうして 手を差し伸べられないのか
どうして 不幸な悲しむ命はいるのか
どうして 不幸な悲しむ命はなくならないのか
どうして…と解決の道を探ります。
個々の人が、一団体だけが全てを引き受けるなんて到底無理。
そう限界を認めつつ、救えなかった命へ常に思いを馳せ、未来へ繋げたいと誓っているのだから。
皆さん、本当に ──
残らず生かすため収容施設を増やし続けて良いのですか?
殺処分機が止まったら晴れて動物愛護先進国でしょうか?
自由を与えられない場所で生きていればさえ 動物たちは幸せなのでしょうか?
どうぞ知って下さい ──
動物たちにも私たちと同じように命があり、愛されることを望み、明日を夢見ている
ずっと長い間、人間社会に虐げられていた弱く儚い命なのだ と
どうか考えて下さい ──
せめて小さな命の尊厳を守ってあげたい...
出来ることはあるかな
モノ言わぬ動物に優しい社会は人も生きやすい...
何を変えればいいのだろう
命に格差のない慈しみの国になるため...
私たち人間は どうすればいいのか
身近な命のことを“ 知る“ ”考える ”が、家族間で、ご近所同士で、町内会で、地域でドンドンと広がれば不幸な悲しむ命は減っていくはず、きっと。
そうして、だんだん人々の動物へ対する意識が向上して、真の殺処分ゼロになるんじゃないのかなって思います (^_ _^)
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【 ねこてん 公式HP 】