今を生きる  MOMENTARY 

草の輝く時 花美しく咲く時 
再びそれは帰らずとも嘆くなかれ 
その奥に秘められし力を見出すべし
 ワーズワース

アサヒビール 先人の碑

2007-02-04 01:21:05 | 家族
 

お義父さんが亡くなってちょうど五年の月日が流れました。





大阪府吹田市にあるアサヒのビール工場(見学できます)の
向かえに迎賓館があり(階段正面)左中程に見えるのが下の画像。
この左中央の石碑の前の小道を登ってゆくと先人の碑がお目見えする。

      


  
回想・・・・

家業の酒屋はもう五十年以上続いているが、
最近はディスカウント等の出店で廃業している酒屋さんも多い。

嫁いだ頃は、男ばかり三人兄弟が全員家業に従事し、
人も雇っていた時代。
立ち呑みも盛況で
深夜11時、12時までも開けていたこともあった。

支店を出している次男は先を見越し、
今は違う業種に付き奥さんが自分の小遣い稼ぎに
お店を細々と切り盛りしている。

当時の勢いはかなりな凄さで
年商3億以上の商いをする、
地域でもダントツの繁盛店であったと思う。

年号が平成に変わりしばらくした頃
家業も節目を迎える時期に入るのだが、
まだ、年齢は三十代、
何かでもうひと頑張り、と家屋の立替え計画を検討。

当時、総工費3億を超える大工事を思い切り、
コンビ二業に踏み切ったのが15年前。

家族は酒屋があるので、
女一人、アルバイトに支えられ、
死にもの狂いで働いた時期もあった。
幸い、先見の目があったか、
そこそこいい感じでスタートした。
が、満了を迎える頃には
相次ぐコンビ二の出現もあり、下火になりつつある状況、
十年の契約満了を迎え終了させる決心をつけた。

こう書けば、凄いと驚かれるかもしれないが、
実は凄いのは姑で、私達はずっとサラリーを頂いている。
七十六歳で今だ社長に君臨されている(笑)

そして、コンビ二を終了させるその月に義父が他界。
生涯において、こんなに目まぐるしい日々を過ごすことは
もうないだろうと思う。

その昔、印象的な言葉を聞いたことがあった。

現在、別の業種をしている次男の弟が言った言葉、
その当時の弟は家業の一番の担い手であった頑張り屋さん!
「俺達を鵜飼いの鵜のように働かせてこうして現在があるのだ」と。
これはいいい意味、本当にその通りだと思う。
後継者がいるという当たり前の構図は
最近では通用しなくなりつつある。

私達に子供が居ないということも幸いしているのか、
些細なそれぞれのいい分はあるが、どうにか家族仲良く
過ごしている方だと感じる。

話しは横道にそれてしまって
読んで下さっている方は少々退屈かもしれません(笑)


 これは有名な彫刻家のデザインだとか、
 左右の石はこま犬に見立てているそうです。






今日のメインテーマの「先人の碑」について

酒類業界についての話しなるのですが
今、「アサヒスーパードライ」と言えば全国的に人気商品ですが
キリンビールが独占している時代、
その昔は関西地区でも中々売れないメーカーだったのです。

義父達の年代の人達が、「アサヒ会」というものを作り
アサヒビールを拡販するのに随分貢献し、
大阪の酒屋があったからこそ、
今のアサヒの新時代が生まれたと言っても過言ではありません。


アサヒビール拡販に貢献した者へと
「先人の碑」というのが作られていて
この流れから、
ここに名前を入れて頂く事が出来、
家族行事としてお参りが恒例になりつつ、
今日は吹田まで、お参りに行くことになりました。

もちろん、その後のホテルバイキングも行ってきました♪
2700円にしては、結構美味しかったですよ☆





 退屈な話を最後までお読み頂きありがとうございました^^



コメント (6)
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