今回はパワースポットではなく、
古代ミステリーの投稿です。
【スサノオの墓】
出雲大社から車で30分ほど。稲佐浜から海岸線を北上する。
日御崎神社方面、隠れが丘と言う地にひっそりとある。
鳥居をくぐり、暫し緑の参道をゆく。
スサノオ様の神魂がいつき祀られるところ。
もともと、美佐伎神社と言い日御碕神社と合わせ
⛩️『日御碕大神宮』と称せられていたのが、
明治時代に日御碕神社に改名されたらしい、、
【日御碕神社】
スサノオの墓については奈良説もあるが、出雲ではまずこちらが候補にあがる。
日本神話ではスサノオは、
高天原(新羅)を追放され出雲にやってきて、ヤマタノオロチに差し出されそうになっていた櫛稲田姫(稲田姫)と出会った。
【稲田神社】
稲田姫の生誕の地に祭られている。
島根県仁多郡奥出雲町稲原2128-1
スサノオはヤマタノオロチを退治して姫を守り、二人は結ばれてスサノオは出雲の王となった。
⛩️出雲大社も、スサノオに命じられた大国主が建てた宮であり、古代出雲の起源はスサノオ無しでは語れない。
【八重垣神社】
スサノオが櫛稲田姫をかくまった場所に祭られる
【須我神社】
スサノオと妻・稲田姫と結ばれた神社
〒699-1205 島根県雲南市大東町須賀260
日本初の宮
スサノオが稲田姫に詠った
日本初の和歌。
古事記では、スサノオは出雲の王になったと記されるが、
通説では、スサノオは初代『大国主』になったとされている。
出雲は、
方々の国々と婚姻合併を繰り返し連邦王国となって勢力を拡大した国であり、
出雲連邦王国の盟主の事を
『大国主』と言う。
四方を海に囲まれた日本列島では、
『海峡を制する者が日本列島を制する』
と言われた程で、
日本海の制海権を持てるかどうかが、
地上の支配にも大きく影響していた為、
日本海側にこうした連邦国ができるのは当然の成り行きだった。
朝鮮半島から日本列島へ向かう船は、
リマン海流で南下し対馬海流と合流すると、海流に乗って日本海沿岸の何れかに到着する事になる。
この日本海沿岸ラインの国々が、大国主により結ばれて連邦国となったお陰で、着岸地である出雲や越の国の人々は、大陸側半島からの最新式の武器や技術を手に入れられる恩恵を授かっていた。
出雲はその日本海勢力の中心国だった。
大国主(出雲連邦の盟主)と
九州の多紀理姫と湍津姫、
新潟の奴奈川姫、
東西との婚姻による大型合併がかなった事で、
九州→朝鮮半島
朝鮮半島→日本海沿岸の
海上ルートは、確実で強固なものになった。
八千矛神、大己貴命、大穴牟遅、宇都志国玉、葦原醜男、など
大国主命には沢山の名がある。
これは大国主命とは一人の人物の固有名詞ではなく連邦の盟主をさして言う王号であり、初代大国主のスサノオの様に、幾人かの王たちの呼び名ではないかとみられている。
大国主命には70人以上の兄弟と、150人にも及ぶ息子がいることからも、
一人の人物ではなく、歴代の人物と思われる。
最後の大国主命が、
天孫族に対して出雲を譲ったと言う
『国譲り』の場所。
出雲大社の西、稲佐浜の近くにひっそりとある。
出雲連邦王国は大和王朝に先駆けた前王朝である為、
大和王朝の歴史書である日本書紀には記されず、
古事記の神話の中に描かれている。
その描き出しは、征服王朝らしい正当性で勇ましい書き方をしているが、
出雲から大和へと、政権が譲られた
「出雲の国譲り」とは、実際は、
同族・同盟の中のお家騒動であり、嫡系争いによるクーデターの様なものだったようだ。