先日、つくば実験植物園の中で、ひょうたんが木になっているところを見つけました。 実に2017年9月の初石テニスクラブ以来、6年ぶりに出会ったひょうたんです。
<ひょうたん(瓢箪)> 2017/9 初石テニスクラブ
私の記憶では、夏の日よけとして、青葉にひょうたんの実が下がる光景が、昭和時代の夏の風物詩でした。しかし、最近ではほとんど見かけることがなくなりました。
<ひょうたん(瓢箪)> 2023/4 つくば実験植物園
ひょうたんは熱帯アジアまたはアフリカを原産とするウリ科の一年生草本。くびれのある独特な果実を携帯用容器として用いるため、紀元前から中国などで栽培され、日本にも紀元前に伝わったとされます。
<ひょうたんの花> wikipediaより
今回、2017年9月に投稿した「ひょうたんにびっくり」の内容に、加筆修正したリメイク版を作成してみました。
<ひょうたん(瓢箪)> 2023/4 つくば実験植物園
ひょうたんは、日本では古くからとても縁起の良いものとされ、お守りや魔除けとして用いられてきました。また、蔓が伸びて果実が鈴なりになる様子から、家運興隆・子孫繁栄のシンボルともされています。
<ひょうたん(瓢箪)> 2017/9 初石テニスクラブ
ひょうたんは大きさにより、ミニひょうたん、千成、百成、中成、大成などの種類に分かれます。他に立姫、鶴首、ダルマなどの変形したものもあります。
<ミニひょうたん> ぐんま愛ひょう会の作品展より
<大長ひょうたん> ぐんま愛ひょう会の作品展より
ひょうたんで思いつくのは、豊臣秀吉の馬印です。秀吉は合戦の馬印として千成ひょうたんを使用し、天下を取りました。その発端は、美濃の斎藤竜興攻めだったと言われます。
<長浜町人の家に伝わった豊臣秀吉公像> 長浜城博物館所蔵
主君・織田信長が、稲葉山城(岐阜城)を攻めていた時のこと。少数の部下を連れて裏口から城内に忍び込んだ秀吉。
その作戦の成功を城外の味方に知らせるため、酒器に使っていたヒョウタンを竹の先に結んで、高々と掲げました。
戦に勝利した信長は「ヒョウタンの印は面白い趣向だ。馬印に用いよ」と大いに喜んだといいます。
以来、秀吉は戦に勝つごとに小さなヒョウタンを一つずつ増やし、やがてこれが千成瓢箪と呼ばれるようになりました。
<千成ひょうたん> ぐんま愛ひょう会の作品展より
秀吉は姉川合戦の後、その功によって湖北三郡を与えられました。
その後、小谷(湖北町)から琵琶湖に面した今浜(現 長浜市)に城下町を移しました。
そして、地名を長浜と改め、ここに城を築いて数年間居城としました。
<長浜城(昭和58年:1983年復元)>
秀吉がはじめて自らの城を築き、城下町を形成した地である滋賀県長浜市。
今でも、長浜市の市章はひょうたんをデザインしています。
<長浜市役所>
また、ひょうたんをあしらった橋の欄干なども、市内のあちこちで目にすることができます。ひょうたん愛好家の全国組織である全日本愛瓢会の本部も、長浜市内に置かれているそうです。
<長浜駅東側の架道橋>
長浜市同様に、ひょうたんゆかりの地として岐阜県養老町がよく知られています。
<養老公園> 養老町HPより
老いた父親のために懸命に働いていた木こりの「源丞内(げんじょうない)」が、ある日養老の山奥で見つけた滝の水をひょうたんに汲んだところ、滝の水がお酒に変わり、その酒の力で父親がたちどころに若返ってしまった、というものです。
<養老の滝> 養老町HPより
この出来事にいたく感激された当時の元正天皇が、実際に養老を訪れたのちに年号を西暦717年に「養老」と改められたということが史実として残っています。
日頃は目にする機会の少ない”ひょうたん”ですが、岐阜県養老町の吉田商店さんで栽培・加工・販売をされています。
<吉田商店さん店内> 吉田商店HPより
千成ひょうたんで忘れてならないのは、豊臣秀吉公出生の地、名古屋です。秀吉公は尾張国愛知郡中村郷中中村(現在の名古屋市中村区)で生まれました。
<豊國神社 太閤まつりの「千成瓢箪御輿」>
千成ひょうたんのお菓子もあるんです。
名古屋の老舗和菓子店 両口屋是清(創業1634年)の千なりです。
どら焼きの中に紅粒あんが入っています。ふんわりとしっとりしていますが、きめは粗めでカステラのような感じです。
最後は懐かしい”ひょっこりひょうたん島”の歌をお聴きください。(1分53秒)
1960年代、NHKで5年間にわたりカラーで1244話作られ、絶大な人気を誇った人形劇です。
<ひょっこりひょうたん島テーマソング> 唄 前川陽子
<ひょうたん(瓢箪)> 2017/9 初石テニスクラブ
私の記憶では、夏の日よけとして、青葉にひょうたんの実が下がる光景が、昭和時代の夏の風物詩でした。しかし、最近ではほとんど見かけることがなくなりました。
<ひょうたん(瓢箪)> 2023/4 つくば実験植物園
ひょうたんは熱帯アジアまたはアフリカを原産とするウリ科の一年生草本。くびれのある独特な果実を携帯用容器として用いるため、紀元前から中国などで栽培され、日本にも紀元前に伝わったとされます。
<ひょうたんの花> wikipediaより
今回、2017年9月に投稿した「ひょうたんにびっくり」の内容に、加筆修正したリメイク版を作成してみました。
<ひょうたん(瓢箪)> 2023/4 つくば実験植物園
ひょうたんは、日本では古くからとても縁起の良いものとされ、お守りや魔除けとして用いられてきました。また、蔓が伸びて果実が鈴なりになる様子から、家運興隆・子孫繁栄のシンボルともされています。
<ひょうたん(瓢箪)> 2017/9 初石テニスクラブ
ひょうたんは大きさにより、ミニひょうたん、千成、百成、中成、大成などの種類に分かれます。他に立姫、鶴首、ダルマなどの変形したものもあります。
<ミニひょうたん> ぐんま愛ひょう会の作品展より
<大長ひょうたん> ぐんま愛ひょう会の作品展より
ひょうたんで思いつくのは、豊臣秀吉の馬印です。秀吉は合戦の馬印として千成ひょうたんを使用し、天下を取りました。その発端は、美濃の斎藤竜興攻めだったと言われます。
<長浜町人の家に伝わった豊臣秀吉公像> 長浜城博物館所蔵
主君・織田信長が、稲葉山城(岐阜城)を攻めていた時のこと。少数の部下を連れて裏口から城内に忍び込んだ秀吉。
その作戦の成功を城外の味方に知らせるため、酒器に使っていたヒョウタンを竹の先に結んで、高々と掲げました。
戦に勝利した信長は「ヒョウタンの印は面白い趣向だ。馬印に用いよ」と大いに喜んだといいます。
以来、秀吉は戦に勝つごとに小さなヒョウタンを一つずつ増やし、やがてこれが千成瓢箪と呼ばれるようになりました。
<千成ひょうたん> ぐんま愛ひょう会の作品展より
秀吉は姉川合戦の後、その功によって湖北三郡を与えられました。
その後、小谷(湖北町)から琵琶湖に面した今浜(現 長浜市)に城下町を移しました。
そして、地名を長浜と改め、ここに城を築いて数年間居城としました。
<長浜城(昭和58年:1983年復元)>
秀吉がはじめて自らの城を築き、城下町を形成した地である滋賀県長浜市。
今でも、長浜市の市章はひょうたんをデザインしています。
<長浜市役所>
また、ひょうたんをあしらった橋の欄干なども、市内のあちこちで目にすることができます。ひょうたん愛好家の全国組織である全日本愛瓢会の本部も、長浜市内に置かれているそうです。
<長浜駅東側の架道橋>
長浜市同様に、ひょうたんゆかりの地として岐阜県養老町がよく知られています。
<養老公園> 養老町HPより
老いた父親のために懸命に働いていた木こりの「源丞内(げんじょうない)」が、ある日養老の山奥で見つけた滝の水をひょうたんに汲んだところ、滝の水がお酒に変わり、その酒の力で父親がたちどころに若返ってしまった、というものです。
<養老の滝> 養老町HPより
この出来事にいたく感激された当時の元正天皇が、実際に養老を訪れたのちに年号を西暦717年に「養老」と改められたということが史実として残っています。
日頃は目にする機会の少ない”ひょうたん”ですが、岐阜県養老町の吉田商店さんで栽培・加工・販売をされています。
<吉田商店さん店内> 吉田商店HPより
千成ひょうたんで忘れてならないのは、豊臣秀吉公出生の地、名古屋です。秀吉公は尾張国愛知郡中村郷中中村(現在の名古屋市中村区)で生まれました。
<豊國神社 太閤まつりの「千成瓢箪御輿」>
千成ひょうたんのお菓子もあるんです。
名古屋の老舗和菓子店 両口屋是清(創業1634年)の千なりです。
どら焼きの中に紅粒あんが入っています。ふんわりとしっとりしていますが、きめは粗めでカステラのような感じです。
最後は懐かしい”ひょっこりひょうたん島”の歌をお聴きください。(1分53秒)
1960年代、NHKで5年間にわたりカラーで1244話作られ、絶大な人気を誇った人形劇です。
<ひょっこりひょうたん島テーマソング> 唄 前川陽子