本日、天皇陛下は中国の習近平国家副主席をご引見になった。http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/091215/imp0912151035002-n1.htm鳩山内閣及び民主党が、多くの反発がある中でこのことを強行したのは、極めて遺憾であり厳重に抗議したい。
この件に関する昨日の民主党の小沢幹事長の記者会見http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091214/stt0912142034013-n1.htmは、以下の観点からふざけているとしか言いようがない。
まず、そもそも何故政府の人間でない者が、まるで政府を代表するかのように発言したのか。小沢氏は、自身が陛下による習氏のご引見を要請したことは否定している。しかし、一方であのような高圧な態度で会見したということは、実は本音が出てしまったのではないだろうかとも忖度できる。まるで、おとり質問に引っかかって、アリバイが崩れてしまった容疑者のように見えた。
また、「陛下の体調がすぐれないなら、優位性の低い行事はお休みになればいい」とまで語っている。羽毛田宮内庁長官のことは「内閣の方針…についてどうだこうだというのは、日本国憲法の精神、理念を理解していない」と言っているが、政府内で議論の相違はあり得る。内閣の一員でもない人間がそのようなことにまで干渉していいものか。これは民主党の公式見解なのか。
次に、上記のように、小沢氏は羽毛田宮内庁長官のことを「日本国憲法の精神、理念を理解していない」と批判しているが、この発言によって、実は同氏自身がそれを理解していないことが明るみになったといえる。このことについて、詳しく述べてみたい。
第一に、小沢氏は「国事行為は内閣の助言と承認で行われる」、「国民が選んだ内閣の助言と承認で行われるんだ、すべて。それが日本国憲法の理念」と述べた。確かに憲法3条や7条にはそのことが書かれてある。しかし、3条の最後には「内閣が、その責任を負ふ」とあり、7条には「国民のために」(英文は”on behalf of people”である)という文言がある。また、4条には「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」とも明記されている。意図的かどうかは定かでないが、小沢氏の発言には肝心な文言が省かれているのだ。ではその文言も含めると、本当の「日本国憲法の精神、理念」はどうなるか。それは、国事行為は時の内閣のためにあるのではなく、「国民のため」にあり、断じて政治色があってはならない。そして、その責任は内閣が取らねばならないということであろう。小沢氏の言うように「国事行為は全部、政治利用になっちゃうじゃない」というのは見当違いと思われ、むしろ政治利用にならないことこそが、憲法の要請である。
第二に、そもそも習氏のご引見は「国事行為」なのか。憲法7条には制限列挙的に「国事行為」の具体的な項目が10個書かれてあり、その9番目に「外国の大使及び公使を接受すること」とある。小沢氏はこの文言の事を言いたかったのだろう。しかし、特命全権大使と外国の賓客とは異なるし、「国事行為」という解釈には無理があるのではないか。通説的には、「国事行為」と「私的行為」の間に「公的行為」が存在し、「外国元首」を「接受ないし接待」するのは「公的行為」であると解されている(芦部信喜『憲法』、岩波書店)。国家元首でない国家副主席なら、なおさら「公的行為」であろう。また現在の政府(宮内庁)も、HPhttp://www.kunaicho.go.jp/activity/activity/01/activity01.htmlを見る限り、「外国要人…のためのご引見」は国事行為とは位置づけてはいない。小沢氏論は、少なくとも憲法の通説や政府見解とは矛盾しているわけだ。なお、共産党の志井委員長も同様の批判をしているhttp://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091215/stt0912152055009-n1.htm
以上のことから、小沢氏の発言を聞く限り、民主党は新たな憲法解釈をしていると考えるのが必然となろう。鳩山首相もこのことに異論を唱えぬということは、政府自身が憲法解釈を変更したととられても仕方あるまい。
さらに述べたいのは、「政治利用」についての自家撞着である。政治利用を否定しながら、「天皇陛下ご自身に聞いてみたら『手違いで遅れたかもしれないけれども会いましょう』と必ずおっしゃると思うよ」という発言をした。この様な発言で批判の声を抑えようとすることこそ、まさに政治利用の典型ではないか。天皇陛下はかつてご自身のご訪中への反対意見があることに関して、「言論の自由は,民主主義社会の原則」と述べられた。http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/gaikoku/gaikoku-h04-china.html政権与党の幹部が、天皇陛下のお気持ちを勝手に忖度して批判の声を抑えようとする行為は、絶対看過されてはならない。今後、権力者が勝手に天皇の意思を忖度ないし捏造して、「これは天皇陛下の御心である!」といって横暴をふるうことになっては困るからだ。
なお、福山外務副大臣は「今後なるべく『今回は例外』ということで対応した方が良いと思います」http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/fuku/f_0912.html#3-Eと述べているが、何故「例外」なのかは明らかにしなかった。一見、政府批判派に同調しているように見せて良識派ぶりをしているが、実は自ら「中国は特別な国」と認めてしまったようなものなのだ。
日本政府は大変なジレンマに陥ってしまった。今後「1ヶ月ルール」を厳格に守ると、その国と中国の間に差をつけることを意味してしまう。一方、政治利用批判を避けようとするならば、「1ヶ月ルール」を無視するほかなくなってしまい、天皇陛下のご負担が増えてしまう。鳩山内閣は、本当にとんでもない罪を犯してしまったのだ。
同内閣は、基地、献金、経済の「3K」が問題とされてきたが、今回の件によって、「皇室の政治利用」も含めた「4K」となってしまった。
本件に関して鳩山内閣及び民主党からは、明確な説明責任が全く果たされていない。それができないのなら、鳩山首相や小沢幹事長は、自らの過ちを認め、最低でも謝罪、できれば辞任すべきである。
この件に関する昨日の民主党の小沢幹事長の記者会見http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091214/stt0912142034013-n1.htmは、以下の観点からふざけているとしか言いようがない。
まず、そもそも何故政府の人間でない者が、まるで政府を代表するかのように発言したのか。小沢氏は、自身が陛下による習氏のご引見を要請したことは否定している。しかし、一方であのような高圧な態度で会見したということは、実は本音が出てしまったのではないだろうかとも忖度できる。まるで、おとり質問に引っかかって、アリバイが崩れてしまった容疑者のように見えた。
また、「陛下の体調がすぐれないなら、優位性の低い行事はお休みになればいい」とまで語っている。羽毛田宮内庁長官のことは「内閣の方針…についてどうだこうだというのは、日本国憲法の精神、理念を理解していない」と言っているが、政府内で議論の相違はあり得る。内閣の一員でもない人間がそのようなことにまで干渉していいものか。これは民主党の公式見解なのか。
次に、上記のように、小沢氏は羽毛田宮内庁長官のことを「日本国憲法の精神、理念を理解していない」と批判しているが、この発言によって、実は同氏自身がそれを理解していないことが明るみになったといえる。このことについて、詳しく述べてみたい。
第一に、小沢氏は「国事行為は内閣の助言と承認で行われる」、「国民が選んだ内閣の助言と承認で行われるんだ、すべて。それが日本国憲法の理念」と述べた。確かに憲法3条や7条にはそのことが書かれてある。しかし、3条の最後には「内閣が、その責任を負ふ」とあり、7条には「国民のために」(英文は”on behalf of people”である)という文言がある。また、4条には「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」とも明記されている。意図的かどうかは定かでないが、小沢氏の発言には肝心な文言が省かれているのだ。ではその文言も含めると、本当の「日本国憲法の精神、理念」はどうなるか。それは、国事行為は時の内閣のためにあるのではなく、「国民のため」にあり、断じて政治色があってはならない。そして、その責任は内閣が取らねばならないということであろう。小沢氏の言うように「国事行為は全部、政治利用になっちゃうじゃない」というのは見当違いと思われ、むしろ政治利用にならないことこそが、憲法の要請である。
第二に、そもそも習氏のご引見は「国事行為」なのか。憲法7条には制限列挙的に「国事行為」の具体的な項目が10個書かれてあり、その9番目に「外国の大使及び公使を接受すること」とある。小沢氏はこの文言の事を言いたかったのだろう。しかし、特命全権大使と外国の賓客とは異なるし、「国事行為」という解釈には無理があるのではないか。通説的には、「国事行為」と「私的行為」の間に「公的行為」が存在し、「外国元首」を「接受ないし接待」するのは「公的行為」であると解されている(芦部信喜『憲法』、岩波書店)。国家元首でない国家副主席なら、なおさら「公的行為」であろう。また現在の政府(宮内庁)も、HPhttp://www.kunaicho.go.jp/activity/activity/01/activity01.htmlを見る限り、「外国要人…のためのご引見」は国事行為とは位置づけてはいない。小沢氏論は、少なくとも憲法の通説や政府見解とは矛盾しているわけだ。なお、共産党の志井委員長も同様の批判をしているhttp://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091215/stt0912152055009-n1.htm
以上のことから、小沢氏の発言を聞く限り、民主党は新たな憲法解釈をしていると考えるのが必然となろう。鳩山首相もこのことに異論を唱えぬということは、政府自身が憲法解釈を変更したととられても仕方あるまい。
さらに述べたいのは、「政治利用」についての自家撞着である。政治利用を否定しながら、「天皇陛下ご自身に聞いてみたら『手違いで遅れたかもしれないけれども会いましょう』と必ずおっしゃると思うよ」という発言をした。この様な発言で批判の声を抑えようとすることこそ、まさに政治利用の典型ではないか。天皇陛下はかつてご自身のご訪中への反対意見があることに関して、「言論の自由は,民主主義社会の原則」と述べられた。http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/gaikoku/gaikoku-h04-china.html政権与党の幹部が、天皇陛下のお気持ちを勝手に忖度して批判の声を抑えようとする行為は、絶対看過されてはならない。今後、権力者が勝手に天皇の意思を忖度ないし捏造して、「これは天皇陛下の御心である!」といって横暴をふるうことになっては困るからだ。
なお、福山外務副大臣は「今後なるべく『今回は例外』ということで対応した方が良いと思います」http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/fuku/f_0912.html#3-Eと述べているが、何故「例外」なのかは明らかにしなかった。一見、政府批判派に同調しているように見せて良識派ぶりをしているが、実は自ら「中国は特別な国」と認めてしまったようなものなのだ。
日本政府は大変なジレンマに陥ってしまった。今後「1ヶ月ルール」を厳格に守ると、その国と中国の間に差をつけることを意味してしまう。一方、政治利用批判を避けようとするならば、「1ヶ月ルール」を無視するほかなくなってしまい、天皇陛下のご負担が増えてしまう。鳩山内閣は、本当にとんでもない罪を犯してしまったのだ。
同内閣は、基地、献金、経済の「3K」が問題とされてきたが、今回の件によって、「皇室の政治利用」も含めた「4K」となってしまった。
本件に関して鳩山内閣及び民主党からは、明確な説明責任が全く果たされていない。それができないのなら、鳩山首相や小沢幹事長は、自らの過ちを認め、最低でも謝罪、できれば辞任すべきである。