
ふくみ笑ひ
トルソーの大胸筋や風光る
朧夜を蹴り上げ踊るタンゴかな
花曇身の上話とめどなく
阿部定のふくみ笑ひや心太
夏の蝶水の匂ひのただ中に
蚊遣火の向かふ三軒一斉に
ステテコに黒革靴で回覧板
秋の蚊や往生際に妻を刺す
裏返すジャズのレコード秋の風
頬杖の石の菩薩や秋の声
言の葉の満つる白露のインク壷
よろめきと不倫のあはひ憂国忌
漱石忌湯船の妻はオフィーリア
雪原を踏むバルザックバルザック
冬椿心字の池に迷ひゐる
(「俳句大学」2号/2016年掲載)
福耳
江戸文字のはためいてをり寒四郎
咆哮の舌に溶けゆく六花
戦ふな抱き合へそこに置炬燵
春立ちぬシュークリームをはんぶんこ
在りし日へあとずさりせり春嵐
料峭の夜はG線上にをり
口笛は夜にひよろろと啄木忌
福耳の女のつがふ月朧
夏蝶を追へばニライカナイヘと
戦ありし夏野を鳥はピースピース
風死すや二重らせんの交はらず
白桃の傷つかぬうち手紙書く
西瓜切るための包丁研がれをり
もういいかい風の花野に隠れたる
秋愁のティッシュペーパーへなへなと
(「俳句大学」3号/2017年掲載)
霧深し
墓守と名に負ふ枝垂桜かな
花の雨ひとつずらしてミサの席
いま生きてゐれば二十歳か鳥帰る
字幕長きゴダール映画亀鳴けり
すめろぎのろくよん分けや聖五月
堅魚木を腹光らせて夏燕
榕樹の月の重さや夏岬 ※榕樹=ガジュマル
鳳梨の熟れて島唄爪弾けり ※鳳梨=あななす
目打ちまでうの字うの字の鰻かな
ぐわんぐわんと非常階段雁渡る
秋天へ飛び出してゆく握り飯
霧深し電信柱ぬうと立ち
常念岳の尾根より晴れて根深汁
着膨れて昭和の夜を恋しがり
薬喰して月光を浴びにゆく
(「俳句大学」4号/2020年掲載)
時雨より
時雨より棒のやうなるをとこ来る
温燗といへば熱燗置かれをり
落ちかかる月の遠さよ薄氷
青狼の声か木霊か冴返る
花の雨ラヂオに雨のやうな音
深呼吸みな青になる聖五月
ががんぼやびんずるさまの膝撫でて
キュクロプスの眼球落ちて昼寝覚
雛罌粟酒場にルドンの眼球かな ※雛罌粟=アマポーラ
群衆の次第に解けて送舟
野分来て電信柱といふ孤独
磨かれて林檎一つの影もてり
鶏頭花微熱の残る硝子窓
無花果を割る腑分するやうに割る
はららごを抜かれし腹の赤くあり
(「俳句大学」5号/2020年掲載)
裏声のアリア
はやぶさの棲まう森へと青田波
神といふ文字を紙魚の喰ひ散らし
蛍狩デウスを祀る村と聞く
金盥尻から沈む蕃茄かな
おいしいつくだにおいしいと蝉鳴けり
脱衣婆が胸をはだけて神の留守
マスクして姿勢正しく泣いてをり
大蒜を叩きつぶして虎落笛
裏声のアリア駆けゆく冬銀河
生憎と妻は留守です竃猫
転生の世界はからつぽ憂国忌
寄鍋の進化論めく大家族
凍月の魚吐く泥のあぶくかな
花街のいしぶみ牡嵩かな
ピアニスト死す二ン月の空真青
(「俳句大学」6号/2021年掲載)
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