黒沢清監督「LOFT」をテアトル新宿で観る。若い観客ばかりで四分の入りというところか。
亡霊役の安達祐実がすばらしい。その声は、ころころと鈴がなるようで、まるで肉体から発せられている声とは思えない。実に幽霊向きの声なのだ。埋められた土の中から復活し(特撮やCGではない)、豊川に「一緒に地獄へ行きましょう」と誘うシーンなどは、他の出演者がクールに演技するなかで、演技が前に出て違和感はあるものの見事なお化け役者ぶりだった。湖の桟橋に仕掛けられたボートを吊り上げるものと思われるジャッキとか中谷美紀の殺害を企てる西島秀俊が使う殺人と自殺共用のロープなど、不可思議な装置を使ったシーンが秀逸だ。女のミイラや亡霊、家は森の中の古い木造の洋館で、隣にコンクリート作りの廃墟のような建物。森を抜けると湖があり、桟橋にボートを吊り上げるジャッキがある。風に揺れるカーテンや過剰な風に波打つ草むらなど、ホラーとしての舞台装置は十分だがホラーであろうとしない。
「LOFT」は、一軒の家にまつわる殺人と男女の愛憎をサイドストーリーとして、千年前の女性ミイラにひかれた男をめぐる女とミイラの愛の物語だ。さらにいうなら、大学教授豊川悦司をめぐる女流作家中谷美紀という現実の女と女性ミイラ、作家志望の女子学生の亡霊安達祐実との愛と死の物語である。実に盛りだくさんな映画だ。物語は、豊川と中谷が大げさすぎるほど激しく抱擁しあい愛を誓い合うことで、ミイラの呪いからも亡霊の怨念からも解放され収束しようとするのだが、亡霊の安達祐実がただの土佐衛門になって吊り上げられる代わりに、豊川はミイラの沈んでいた湖の底に沈んで消え、ミイラは焼却されて煙となる。残った中谷はおそらく愛の亡霊と化すだろう。ラストでそれぞれのキャラクターが本来の意味を解体され、映画そのものも内にしかけられた自爆装置によって消滅してしまうような映画なのだった。
亡霊役の安達祐実がすばらしい。その声は、ころころと鈴がなるようで、まるで肉体から発せられている声とは思えない。実に幽霊向きの声なのだ。埋められた土の中から復活し(特撮やCGではない)、豊川に「一緒に地獄へ行きましょう」と誘うシーンなどは、他の出演者がクールに演技するなかで、演技が前に出て違和感はあるものの見事なお化け役者ぶりだった。湖の桟橋に仕掛けられたボートを吊り上げるものと思われるジャッキとか中谷美紀の殺害を企てる西島秀俊が使う殺人と自殺共用のロープなど、不可思議な装置を使ったシーンが秀逸だ。女のミイラや亡霊、家は森の中の古い木造の洋館で、隣にコンクリート作りの廃墟のような建物。森を抜けると湖があり、桟橋にボートを吊り上げるジャッキがある。風に揺れるカーテンや過剰な風に波打つ草むらなど、ホラーとしての舞台装置は十分だがホラーであろうとしない。
「LOFT」は、一軒の家にまつわる殺人と男女の愛憎をサイドストーリーとして、千年前の女性ミイラにひかれた男をめぐる女とミイラの愛の物語だ。さらにいうなら、大学教授豊川悦司をめぐる女流作家中谷美紀という現実の女と女性ミイラ、作家志望の女子学生の亡霊安達祐実との愛と死の物語である。実に盛りだくさんな映画だ。物語は、豊川と中谷が大げさすぎるほど激しく抱擁しあい愛を誓い合うことで、ミイラの呪いからも亡霊の怨念からも解放され収束しようとするのだが、亡霊の安達祐実がただの土佐衛門になって吊り上げられる代わりに、豊川はミイラの沈んでいた湖の底に沈んで消え、ミイラは焼却されて煙となる。残った中谷はおそらく愛の亡霊と化すだろう。ラストでそれぞれのキャラクターが本来の意味を解体され、映画そのものも内にしかけられた自爆装置によって消滅してしまうような映画なのだった。
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