今年は黒沢明没後10年、2010年は生誕100年になる。「椿三十郎」がリメイクされたりするのも、そんな背景があるのだろうか。「プレイボーイ」も特集を組んでいる。ぼくは、「別に!」黒沢明のファンではない。同じ黒沢なら、黒沢清だろう。まるで、アキラとキヨシのズンドコ対決みたいだけれど。
晩年の「影武者」や「乱」は退屈だったが、そうはいっても、『七人の侍』や『蜘蛛巣城』などは面白く観た。「トラ・トラ・トラ」を黒沢が撮るというのも中学のとき話題になったので記憶しているが、いつの間にか監督が変わっていたくらいの認識しかなかった。その降板劇のことが再び話題になったのは、「影武者」で勝新太郎とトラブルがあったときではなかったか。あのときも僕は当然ながら勝新びいきだった。
「トラ・トラ・トラ」の監督をなぜ黒沢は解任されたのか。その真相をまとめた『黒沢明vsハリウッド「トラ・トラ・トラ!」その謎のすべて』(田草川弘著)は出色のドキュメンタリーだ。その面白さは伝え聞いていたものの、買ったまま書棚の飾りになっていたのを気が向いて読んでみたのだが、評判どおりの面白さだった。現場での黒沢の奇行の数々、はては癲癇もちであったとか、黒沢がアメリカ側監督のリチャード・フライシャーを格下に見ていたといったエピソードやら、撮影日誌による撮影現場のドラマはもちろん、スタジオ外の日米の駆け引きも含め、当時の日本映画界の現場の雰囲気がよく分かるドキュメントではないかと思う。なんといっても仁侠映画全盛の東映京都撮影所で撮影されたというのが面白い。撮影所内をやくざ姿の俳優たちが往来していることに、黒沢は嫌悪感をもっていたらしい。喧嘩別れした加藤泰もいたらしいし。
アメリカに保管されていた資料を丹念に集め、さあ、皆さんはこの解任劇をどう思いますかと読者に提示する作者のストイックな姿勢には、本音をいったら、といいたくもなるのだが、それはそれで好感がもてる。おそらく、もっと日本側のプロデューサーがフォックス側との契約内容をしっかり伝えていたら、黒沢監督そのものがこの仕事を請けていなかったのではないかと思う。何も知らないバカ殿のご乱心ぶりをこれでもかと提示されると、このテーマはそれほどまでに黒沢にとって魅力的だったのだろうかと思ってしまうのだった。
晩年の「影武者」や「乱」は退屈だったが、そうはいっても、『七人の侍』や『蜘蛛巣城』などは面白く観た。「トラ・トラ・トラ」を黒沢が撮るというのも中学のとき話題になったので記憶しているが、いつの間にか監督が変わっていたくらいの認識しかなかった。その降板劇のことが再び話題になったのは、「影武者」で勝新太郎とトラブルがあったときではなかったか。あのときも僕は当然ながら勝新びいきだった。
「トラ・トラ・トラ」の監督をなぜ黒沢は解任されたのか。その真相をまとめた『黒沢明vsハリウッド「トラ・トラ・トラ!」その謎のすべて』(田草川弘著)は出色のドキュメンタリーだ。その面白さは伝え聞いていたものの、買ったまま書棚の飾りになっていたのを気が向いて読んでみたのだが、評判どおりの面白さだった。現場での黒沢の奇行の数々、はては癲癇もちであったとか、黒沢がアメリカ側監督のリチャード・フライシャーを格下に見ていたといったエピソードやら、撮影日誌による撮影現場のドラマはもちろん、スタジオ外の日米の駆け引きも含め、当時の日本映画界の現場の雰囲気がよく分かるドキュメントではないかと思う。なんといっても仁侠映画全盛の東映京都撮影所で撮影されたというのが面白い。撮影所内をやくざ姿の俳優たちが往来していることに、黒沢は嫌悪感をもっていたらしい。喧嘩別れした加藤泰もいたらしいし。
アメリカに保管されていた資料を丹念に集め、さあ、皆さんはこの解任劇をどう思いますかと読者に提示する作者のストイックな姿勢には、本音をいったら、といいたくもなるのだが、それはそれで好感がもてる。おそらく、もっと日本側のプロデューサーがフォックス側との契約内容をしっかり伝えていたら、黒沢監督そのものがこの仕事を請けていなかったのではないかと思う。何も知らないバカ殿のご乱心ぶりをこれでもかと提示されると、このテーマはそれほどまでに黒沢にとって魅力的だったのだろうかと思ってしまうのだった。
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