さて、その「日本のお父さん」達が身につまされる話ですけど(苦笑)
甲斐さんのような九州男児に限らず
昔々「男は外で闘い、女は家を守る」というのが「普通」の時代がありました
それは「亭主関白」「男尊女卑」というより
家庭における「役割分担」だった訳ですが
ただ、奥様方が家庭のことで何か相談したくとも
「それはお前の仕事だろう」とか
「俺はお前たちを養うために毎日働いて疲れてるんだ」とか
ひどくなると「風呂!メシ!寝る!」しか言わないようになったりする内に
ますます家族との繋がりが希薄になり
いちばん居心地の良い場所は職場と化して
家族との関係は、更に悪化の一途をたどり
子供たちの独立を期に、あるいは定年を迎えた日に、差し出される三下り半
…といった本末転倒状態を招く原因となりかねないんじゃないかと…?
で、この映画の主人公アール・ストーンは
「デイリリー」という、咲いて1日で枯れてしまう百合を栽培し
毎年のように品評会で優勝している、その道のレジェンド的存在
…が、それだけ仕事に打ち込み、家庭を省みなかったために妻と離婚
品評会で、観客にデイリリーを1輪ずつプレゼントするシーンで
あまりの人気に「バイアグラを配ってるんじゃないぞ」とアールじいちゃん(笑)
この日も優勝を飾り、大勢の人々に祝福され
同業者やスタッフに気前よく飲み物を振る舞っている内に
娘の結婚式をすっぽかしてしまい…(汗)
年月は流れ、アールの仕事もインターネットに奪われ
あっという間に廃業に追い込まれ、家も農園も差し押さえられ
行くあてもなく、おんぼろトラックに身の回り品を積んで
訪れた先は、結婚を間近に控えた孫娘のブランチパーティー
ちょうど来合わせた元妻と娘に罵倒され、会場を追い出されたアールに
付き添い人の友人と名乗る男が「車を走らせるだけで金になる仕事」を持ちかけ
家族との関係を修復するには金が必要だと思ったアールは
最初はそうとは知らず「運び屋」になってしまう
…って、確かに孫娘の結婚式の援助をして感謝されたとはいえ
お金で愛情を買える訳がないですよねぇ…
というか、他にどうすればいいのか判らなくなっていたことが哀しく…
その後も「ドライブ」を重ね、トラックを買い替えたり、農園を取り戻したり
ついに「運び屋」だと自覚してからも
自分が所属する退役軍人会に大金を寄付したりして
かつての「栄光」をもう一度味わおうとする様子がまた哀しく…
イーストウッドは…「アールはずっと家族とうまくやって来れなかったんだが
同時に、それに対して、ずっと自分をごまかして来ていた
家の外にいれば楽しく過ごせるんだが
家に帰ってみると、自分は家族が望む夫、父親ではないことをひしひしと感じるという
よくいるタイプの男なんだ」と語り
また「私も家族を犠牲にして来た
家族と共に過ごした時間が、あまりに短すぎた」と自身の私生活に触れ
「だから、彼はデイリリーを栽培する農園の経営と販売に熱中した
そして、その大事な商売さえも失い、財政的に逼迫している
そして、ひとたび金の味を知ってしまうと彼は衝動に負け
他の人たちに善を施し、自分の行為を正当化しようとするんだ
だが、彼は法的に悪い側にいることは確かであり
それは、彼にとっても、他の人々にとっても危険だということが判って来る」…
として、単なるピカレスクロマンには終わらせず…(苦笑)
アンディ・ガルシア演じるカルテルのボスが手下に暗殺され、世代交代が行われて
アールの仕事ぶりにも厳しさが求められるようになったんだけど
それまでアールが寄り道したりして、決まったルートを走らなかったことが
DEA捜査官たちに対する目くらましになっていたのが
カルテルの一員をスパイに仕立て上げたり
電話を傍受したり、Nシステムで該当車種をピックアップしたりと
徐々に「運び屋・タタ」に迫りつつあった捜査官たちにとっては
逆に仕事がやりやすい状態に…(苦笑)
その捜査官(ブラッドリー・クーパー)とアールがコーヒーを飲みながら話すシーンは
二重の意味で味わい深いものがあり
クーパー自身も「アメリカン・スナイパー」では叶わなかった
俳優・イーストウッドとの共演に涙が止まらなかったらしく
「体の向きを変えて涙を隠した」んだとか…
アールは、自分は家族と向き合うことから逃げ続けて来たくせに
捜査官に「仕事」と「家族」についてのアドバイスをしたり
若い衆には「自分の人生を生きろ」などと説教したりしていたのが
元妻が病に倒れたと知ってからやっと
「運び屋」の仕事を放り出して駆けつけたものの、あまりに遅い「帰宅」…
妻は「あなたはずっと外に生きて来た
あなたは家から外に帰って行く
そばにいてくれるのが何より嬉しい
そばにいるために、お金なんて必要ないわ」と
その愚かさを責めるのではなく、静かに過ちを諭して息を引き取り
娘とは和解できたとはいえ、失われた時間を取り戻すことは出来ないし
アール自身の「私は許されるに値しない人間だった」という言葉が
その「救いのなさ」を痛感させます
ちなみに、このアールの娘役は
クリントの実の娘アリソン・イーストウッドが務めていて
ここにもクリント自身の私生活が投影されているのかも知れません
イーストウッドは…「人生で一番難しいことは
結局シンプルな2つのことに絞られる
『家族』そして『許すこと』だ
私たちはいつも、まだ時間があると考える
だが、ないのかも知れない、あるのかも知れない
アールにさえもあるのかも知れないね」…と語っていますが
ボクにとっての「救い」は、収監されたアールが
デイリリーの世話をしているカットでエンディングを迎えたこと
パンフレットによれば…レオ・シャープは自ら有罪宣言をし
3年の実刑判決を受けたものの、司法取引で申し出た
「デイリリーの畑を維持すること」は認められたようです
それにしても「デイリリー」という
その日1日しか咲かない花、たった1日で枯れてしまう花に
人生の大半の時間を注ぎ込んだ主人公が
たとえ1週間に1日だけでも家族との時間を作っていたら…と考えると
偶然とはいえ、あまりにも象徴的だなあと…
イヤイヤ、他人事じゃないですね(苦笑)
甲斐さんのライブみたいに、ワンナイト・スタンドで生きて行かないと…(笑)
余談ですが…美術監督のケビン・イシオカによれば
このデイリリーの畑でロケを行う際
前の週からほとんど毎日雨が降っていたのが
「クリントが到着した途端に、冗談抜きで太陽が輝いた(笑)」らしく
「イーストウッドも晴れ男なのか(笑)」と思ったら
「撮影前夜に、花が全部枯れてしまった…私のストレス、想像つくだろう?
ところが翌朝、また咲いた!クリント・イーストウッド効果だね」と…(笑)
でも、イーストウッドは…
「前の晩、美術監督が全ての花を切るって言い出したんだ
翌朝、新しい花が咲かせるためにね
もし、うまく咲かなかったら、大変な事態になるところだったよ」…と明かしていて
やっぱり「持ってる」人なのかなあと…(笑)
甲斐さんのような九州男児に限らず
昔々「男は外で闘い、女は家を守る」というのが「普通」の時代がありました
それは「亭主関白」「男尊女卑」というより
家庭における「役割分担」だった訳ですが
ただ、奥様方が家庭のことで何か相談したくとも
「それはお前の仕事だろう」とか
「俺はお前たちを養うために毎日働いて疲れてるんだ」とか
ひどくなると「風呂!メシ!寝る!」しか言わないようになったりする内に
ますます家族との繋がりが希薄になり
いちばん居心地の良い場所は職場と化して
家族との関係は、更に悪化の一途をたどり
子供たちの独立を期に、あるいは定年を迎えた日に、差し出される三下り半
…といった本末転倒状態を招く原因となりかねないんじゃないかと…?
で、この映画の主人公アール・ストーンは
「デイリリー」という、咲いて1日で枯れてしまう百合を栽培し
毎年のように品評会で優勝している、その道のレジェンド的存在
…が、それだけ仕事に打ち込み、家庭を省みなかったために妻と離婚
品評会で、観客にデイリリーを1輪ずつプレゼントするシーンで
あまりの人気に「バイアグラを配ってるんじゃないぞ」とアールじいちゃん(笑)
この日も優勝を飾り、大勢の人々に祝福され
同業者やスタッフに気前よく飲み物を振る舞っている内に
娘の結婚式をすっぽかしてしまい…(汗)
年月は流れ、アールの仕事もインターネットに奪われ
あっという間に廃業に追い込まれ、家も農園も差し押さえられ
行くあてもなく、おんぼろトラックに身の回り品を積んで
訪れた先は、結婚を間近に控えた孫娘のブランチパーティー
ちょうど来合わせた元妻と娘に罵倒され、会場を追い出されたアールに
付き添い人の友人と名乗る男が「車を走らせるだけで金になる仕事」を持ちかけ
家族との関係を修復するには金が必要だと思ったアールは
最初はそうとは知らず「運び屋」になってしまう
…って、確かに孫娘の結婚式の援助をして感謝されたとはいえ
お金で愛情を買える訳がないですよねぇ…
というか、他にどうすればいいのか判らなくなっていたことが哀しく…
その後も「ドライブ」を重ね、トラックを買い替えたり、農園を取り戻したり
ついに「運び屋」だと自覚してからも
自分が所属する退役軍人会に大金を寄付したりして
かつての「栄光」をもう一度味わおうとする様子がまた哀しく…
イーストウッドは…「アールはずっと家族とうまくやって来れなかったんだが
同時に、それに対して、ずっと自分をごまかして来ていた
家の外にいれば楽しく過ごせるんだが
家に帰ってみると、自分は家族が望む夫、父親ではないことをひしひしと感じるという
よくいるタイプの男なんだ」と語り
また「私も家族を犠牲にして来た
家族と共に過ごした時間が、あまりに短すぎた」と自身の私生活に触れ
「だから、彼はデイリリーを栽培する農園の経営と販売に熱中した
そして、その大事な商売さえも失い、財政的に逼迫している
そして、ひとたび金の味を知ってしまうと彼は衝動に負け
他の人たちに善を施し、自分の行為を正当化しようとするんだ
だが、彼は法的に悪い側にいることは確かであり
それは、彼にとっても、他の人々にとっても危険だということが判って来る」…
として、単なるピカレスクロマンには終わらせず…(苦笑)
アンディ・ガルシア演じるカルテルのボスが手下に暗殺され、世代交代が行われて
アールの仕事ぶりにも厳しさが求められるようになったんだけど
それまでアールが寄り道したりして、決まったルートを走らなかったことが
DEA捜査官たちに対する目くらましになっていたのが
カルテルの一員をスパイに仕立て上げたり
電話を傍受したり、Nシステムで該当車種をピックアップしたりと
徐々に「運び屋・タタ」に迫りつつあった捜査官たちにとっては
逆に仕事がやりやすい状態に…(苦笑)
その捜査官(ブラッドリー・クーパー)とアールがコーヒーを飲みながら話すシーンは
二重の意味で味わい深いものがあり
クーパー自身も「アメリカン・スナイパー」では叶わなかった
俳優・イーストウッドとの共演に涙が止まらなかったらしく
「体の向きを変えて涙を隠した」んだとか…
アールは、自分は家族と向き合うことから逃げ続けて来たくせに
捜査官に「仕事」と「家族」についてのアドバイスをしたり
若い衆には「自分の人生を生きろ」などと説教したりしていたのが
元妻が病に倒れたと知ってからやっと
「運び屋」の仕事を放り出して駆けつけたものの、あまりに遅い「帰宅」…
妻は「あなたはずっと外に生きて来た
あなたは家から外に帰って行く
そばにいてくれるのが何より嬉しい
そばにいるために、お金なんて必要ないわ」と
その愚かさを責めるのではなく、静かに過ちを諭して息を引き取り
娘とは和解できたとはいえ、失われた時間を取り戻すことは出来ないし
アール自身の「私は許されるに値しない人間だった」という言葉が
その「救いのなさ」を痛感させます
ちなみに、このアールの娘役は
クリントの実の娘アリソン・イーストウッドが務めていて
ここにもクリント自身の私生活が投影されているのかも知れません
イーストウッドは…「人生で一番難しいことは
結局シンプルな2つのことに絞られる
『家族』そして『許すこと』だ
私たちはいつも、まだ時間があると考える
だが、ないのかも知れない、あるのかも知れない
アールにさえもあるのかも知れないね」…と語っていますが
ボクにとっての「救い」は、収監されたアールが
デイリリーの世話をしているカットでエンディングを迎えたこと
パンフレットによれば…レオ・シャープは自ら有罪宣言をし
3年の実刑判決を受けたものの、司法取引で申し出た
「デイリリーの畑を維持すること」は認められたようです
それにしても「デイリリー」という
その日1日しか咲かない花、たった1日で枯れてしまう花に
人生の大半の時間を注ぎ込んだ主人公が
たとえ1週間に1日だけでも家族との時間を作っていたら…と考えると
偶然とはいえ、あまりにも象徴的だなあと…
イヤイヤ、他人事じゃないですね(苦笑)
甲斐さんのライブみたいに、ワンナイト・スタンドで生きて行かないと…(笑)
余談ですが…美術監督のケビン・イシオカによれば
このデイリリーの畑でロケを行う際
前の週からほとんど毎日雨が降っていたのが
「クリントが到着した途端に、冗談抜きで太陽が輝いた(笑)」らしく
「イーストウッドも晴れ男なのか(笑)」と思ったら
「撮影前夜に、花が全部枯れてしまった…私のストレス、想像つくだろう?
ところが翌朝、また咲いた!クリント・イーストウッド効果だね」と…(笑)
でも、イーストウッドは…
「前の晩、美術監督が全ての花を切るって言い出したんだ
翌朝、新しい花が咲かせるためにね
もし、うまく咲かなかったら、大変な事態になるところだったよ」…と明かしていて
やっぱり「持ってる」人なのかなあと…(笑)