「で、このアルバム(REPEAT & FADE)の発売記念パーティーというのがありましてですね
その席上で甲斐バンドの解散を発表したんですね
この時の甲斐さんのセリフが、カッコ良かったですね
『(とにかく、消えるとか、なくなるとか、そういう)トーンダウンした展開はイヤなんで
真夏の夜の花火のように、パーッと夜空に舞い上がって燃焼したい
甲斐バンドは解散します』って言ったんですね
最後のツアー、この『PARTY』は、50本あったんですけども
この『PARTY』のステージではですね、ひと言も『解散』という言葉を使わなかった」
…と話されてましたが、前述のアルバム発売記念パーティーと
当時の甲斐さんのラジオ番組「サウンドストリート」以外では
ツアー初日の四日市で「ファッションやスタイルは消えても、生き方は残ります
バンドはなくなっても、曲は残ります」とおっしゃったのが
唯一の「解散」に関するコメントだったみたいです
ただ、現在のようにSNSがない時代に、ツアー初日の会場でだけ話されたことが
全国のファンに伝わるまでには、ずいぶん時間がかかったんじゃないかと…?(苦笑)
「武道館5日間の最後のセリフ『サンキュー、じゃあね』…カッコ良かったですね」と田家さん
でも、そのおかげで?、件のラスト曲だった「ラブ・マイナス・ゼロ」は
その後、ライブで取り上げられるたびに「サンキュー、じゃあね」までが
歌詞の一部みたいになっているんだとか…(苦笑)
「で、この武道館5日間はですね、さすがに、これが甲斐バンドの見納めだということで
武道館の周辺のですね、草むらとか木立の中に寝袋を持ち込んでですね
寝泊まりしていたファンがいた(くらい)なかなかチケットが取れなかった訳ですけども
スタンド席というのが、開放されたんですが
そこだけで、2300名が入ったというですね
そういう武道館の動員記録という意味でも、画期的なライブで、歴史的ですね」
…とのことでしたけど、確か当日券売場に割り込んで来たダフ屋らしき人を
ファンの皆さんが撃退なさったんじゃなかったっけ?(笑)
ともあれ…「この武道館のあとというのがあったんですよ
これがね、やっぱり甲斐バンドのダンディズムでしょうね
その模様をお聴き頂きます。ライブアルバム『Secret Gig』から…」と
中島みゆきさんが、アクリルの透明ギターを手に登場された「港からやってきた女」を流され
「1986年6月29日、横浜市にあります黒澤フィルムスタジオ…
黒澤明さんのスタジオでですね、行われた『Secret Gig』の模様でした
武道館5日間の最終日が6月27日で、その2日後にですね、ここでライブをやったんですね
1500名収容のところにですね、20万通の応募があったんですね
しかも、突然のライブの発表でしたからね
もう、よくこれだけの人が応募して来たなと思いました」
だって、そんなスペシャルなライブがあると知ったら
そりゃあ、皆さん飛びつきますよねぇ?(笑)
もちろん、奥さんもサンストで告知を聴いて申し込んだんですけど
持って生まれたクジ運のなさは、いかんともし難く…(苦笑)
そう言えば、その黒澤フィルムスタジオでのライブのチケットを
「10万円で譲ります」という貼り紙があったみたいですが
今ならネットオークションに出品されて、もっと高値がついたかも知れませんね?(汗)
それはともかく…「関係者もですね、それからお客さんも全員が正装というですね
ドレスコード付きのライブだったんです」…って
奥さんは、昔々のピーコさんデザインの衣装を思い出したらしく
甲斐さんのピンクのスーツに萌え~♪(笑)
メンバーの皆さんも「PARTY」に相応しいお召し物で、演奏していらっしゃいました
「で、みゆきさんがですね、この『港からやってきた女』を歌って
吉川晃司さんもですね、登場しましたね
みゆきさんが、こういう他の人のライブのゲストに出たっていう記憶は、あんまりありませんね
えー、このあと…20年後、2006年にですね、吉田拓郎さんの『つま恋』に登場して
『永遠の嘘をついてくれ』を歌ったくらいじゃないでしょうか」
…と話されていた、その「つま恋」ライブこそ
甲斐さんが「ぬるい!」とおっしゃっていたライブで(苦笑)
「ナンで客がみんなTシャツをINしてるんだ!?」と首をかしげられたんですよね?(笑)
「みゆきさんの、このあとに出る…1986年11月に出たアルバム
『36.5℃』のプロデュースは甲斐さんでした」と
みゆきさんの「ご乱心」時代(笑)のアルバムにも触れられていたけど
当時、甲斐さんは、ご自身のソロプロジェクトを中断され
映画「HERE WE COME THE 4SOUNDS」の打合せのために
解散したばかりのメンバーの皆さんと、毎日のように顔を合わせていらしたりして
その作業を終えられたあとも、ナカナカお気持ちがソロプロジェクトに向かわず
少々困っておられた頃に、このアルバムのプロデュースを手がけられたことで
「うまく切り替えが出来た」んだとか…
「(黒澤フィルムスタジオのライブで)甲斐さんはですね、水割りを手にしてですね
『次、何やろうか?』というのをですね
博多弁で話しながら、ライブを進めて行くという…
まあ『照和』でやっていたライブのような感じだったんじゃないでしょうかね?」
…って、そもそも、このライブが企画されたのは
「元がクラブバンド上がりなんで、最後もそういう感じがいいんじゃないか」という
甲斐さんのご発案がきっかけだったみたいですし
「1曲ごとに、メンバーと次やる曲をミーティングしながら決めて行く」とおっしゃっていたそうだし
実際に当日「打合せしてないのをやる。きっと、13年ぶりにやるんだと思う」と
「ヘルプレス」をお歌いになったんですよね?
「で、最後の曲がですね、メンバー全員がですね、フロントに立って、この曲を歌ったんです」
…と「破れたハートを売り物に」の黒澤フィルムスタジオバージョンを流され
「甲斐よしひろさん、大森信和さん、松藤英男さん、田中一郎さんの4人がですね
全員マイクの前に並んで歌った、最初で最後のシーンがこれでした
セッションミュージシャンとかスタッフが、数百本のバラをですね、そこに投げ入れて
メンバーがそれをお客さんに投げ返すというですね、シーンが繰り広げられました」
…と話されてましたが、チラッとその模様が収められた映像を拝見する限り
甲斐さんは、歌っておられる最中に、お顔の近くをバラが飛び交うのを払いのけるみたいに
両手で頭をかきむしっていらしたような気が…?(苦笑)