甲斐さんは、小学3年生の時に、リバプールサウンドの洗礼をお受けになり
また、FENを浴びるようにお聴きになっていたことに加え
「あと…僕、あの…紅白歌合戦は、もうだいたい3~4歳くらいからもう…
その…絶好調の時はもう、全部歌える感じだったんですよ
(『紅白歌合戦の曲を?』と中井さん)…の曲をもうほとんど…
(紅白歌合戦に)出るような(方の曲を)…で、それを一緒に歌ってるみたいな…」
…と、洋の東西やジャンルを問わず、音楽に触れて来られたことを明かされ
「それを親父が面白がって…2軒先にスナックがあったんですよ
そこに連れて行くんですよ、僕を…(笑)
で、で、カウンターの上に立たして『歌え!』って言って歌わせるんですよ
で、当時、博多は朝鮮…朝鮮動乱景気と、あと、あの…炭鉱景気がすごくて
みんなもう…筑豊からみんな飲みに来たりとか、どんどんみんな飲みに来てたんですよね
だから、お金が飛ぶんですよ、投げ銭みたいに…(『いくつですか?それ』)…
4歳か5歳…(『4歳か5歳で投げ銭が飛ぶ!?』)…そうなんです
それで、カウンターで歌わされて…で、それが1年くらい…
まあ、1年の内14~15回くらいやったと思うんですけど
ホンット、イヤになって来てもう…で、泣き入れてヤメさして…『ヤメてくれ!』って…(笑)
(『大道芸人みたいじゃないですか!』)…イヤ、ホントですよ、もう…
それで、中2くらいの時に…中2の終わりくらいに、ちょっとグループ作るんですけど
まあ、細い音のね、フォークグループだったんですけど
そこくらいから、ちょっと『やり始めていいかな』みたいな…」と話されてましたが
「大道芸人みたい」でいらした4~5歳から
「中2くらい」にバンドを組まれるまでの話の流れが唐突な感じ…?(笑)
これについては、甲斐さんの著書「九州少年」の「歌」というページで…
「恐いもの知らずの強みか、その頃から本番度胸が据わっていたのか
4,5曲たて続けに歌ってみせ、ヤンヤの喝采を浴びた
『ヨッちん、イケェッ、ウタエェェェ』『よしひろ、ヤレェ』ってなもんだ
それから事あるごとに、お座敷がかかるようになり、何回もやらされることになる
それがいけなかったのだ。初めは楽しんでいたと思うが
あまりのそのしつこさに泣きを入れ、やめさせてもらった
当時、博多は炭鉱景気で羽振りのいい時代だったので
客の大人たちは、子供の僕にさえ、気前よくお金をつかませた
底抜けに明るく人もいいが、血も熱く気性も荒い風土だ
ブルーとかショッキング・ピンクのネオンの下、酒は底なしで空けられ、タバコの煙の中
男女の嬌声が飛び交い、浮かれた大人たちが大騒ぎしている。その騒乱の中で歌うのだ
少しずつ見世物になったような気がしてきて嫌になっていったのだと思う
そのことがトラウマになったのか、以来、中学生の途中まで人前で歌うことは全くなかった
歌えるということが人に知られるのが、とにかく嫌だった
一種の照れのような感覚だったのか、無意識の内に歌うことを封印していた
歌うキーも高かったので、音楽の授業でもキーが半端でみんなと合わず、ヘタウマだったから
家族以外は歌が好きだとは誰も思いもよらなかったと思う
その封印を解くキッカケになったのは、ギターを弾き始め音楽が面白くなっていったことだ
歌うのが面白くなると、人前でやる虫がウズキ出した。かといって兄貴たちとは組みたくない
曲が始まると流れでやらされるのはいつもコーラスのパートなのだ
兄弟の一番下だという理由だけでだ。理不尽この上ない
こっちはいつだってリードボーカルをやりたいのだ
そういう訳で、自分から巧妙にアピールを繰り返し、学校の中で仲間を見つけた
青臭くヤセた何とも心細い音だったが、とにかくグループを作った
中学2年の時である」…という風に説明なさっています
それはともかく…中井さんが「その(フォークグループから)
ロックに行ったきっかけはナンなんですか?」とお訊ねになると
甲斐さんは「たぶん、それ『声』があると思うんですよ
僕の声って、あのー、こうやってハスキーじゃないですか?
『お酒飲んで、声潰しました』みたいな人って、何人かいるんですけど
僕、元々この声なんですよ…(『ああー』と中井さん)
で、僕…例えば、世良(公則)くんとか、もんたよしのりくんとか…っていう人たちと違うのは
僕、声はすごいハスキーなくせに、わりと乾いてるんですよ
だから、ちょっと…ウェットじゃない、声が…
ハスキーで乾いてる声って、あんまり日本いないんですよ
だから、たぶん、この声があったんで、ずーっとこの道を追求しようと思ったっていう
一番最初は、この声ですかね、やっぱり…
で、それは『武器になる』と、実際やっぱ思いましたね、ロック側に行くことで…
そこは、ちょっとやっぱ…まあ、計算って言ったらイヤらしいけど
それは、もう10代の時からあったような気がします」とお答えになってましたが
奥さんは、甲斐さんが「俺の声は…ナンていうか、乾いてるんだよね」とおっしゃった時に
それまで、友人たちから「ハスキーな声が好きなら…」と
上田正樹さんや柳ジョージさん、桑田佳祐さんや世良さん、もんたさんの名前を挙げられても
今イチ、ピンと来ないというか、その違いを上手く説明できずにいたのが
一気に「謎が解けた!」と目ウロコ状態になったらしい(笑)
ただ、デビュー当時の甲斐さんは、懸命に歌おうとする、がんぜない子供のように
時には、ブレス音がハッキリと聞こえるくらい
きちんと気持ちを込めようとなさっているのが伝わって来る歌い方でいらしたのが
徐々に…というか、曲によって…例えば「東京の冷たい壁にもたれて」とか
「そばかすの天使」や「きんぽうげ」「カーテン」など…は
切ない吐息みたいな…いわゆる「ため息路線(笑)」を行かれることがあり
そのあまりの破壊力に「ズルイぞ!甲斐さん(笑)」と思ったんだとか…(笑)
もう、近年の曲…特に「眩暈のSummer Breeze」の出だしなどは
「『悩ましい』を通り越して『アザトイ』よね(笑)」と申しております(笑)
ともあれ…中井さんが「しゃがれ声であろうと、ナンであろうと、その声の質というよりも
やっぱり、その声が、その…お客さんの耳に入ってった時の心地よさみたいなものが…
あの…良い声が全てイイ訳ではない…まあ、歌もそうだと思うんです
上手いことが全てじゃない」と、おっしゃったトコで
「イヤ、でも、やっぱり役者は『声』ですよね
(『ハイ』)…ホント思いますよね」と甲斐さん
確かに、中井さんも「それが、すごい大事だっていうことをおっしゃる方は
すごく沢山いらっしゃいます」と返されていたし
その中井さんが先刻、熱く語っていらした時代劇や、演劇の舞台では
朗々たるというか、ふくよかで通りの良い声の方が、グッと来ますし
やはり、滑舌も含め、セリフの聞き取りやすさという点では、マストと言えるかも知れません
ただ、声優やナレーションを務められる際には、そうした美声の持ち主はもちろん
例えば「日本昔ばなし」のアノ方や「チコちゃんに叱られる」で
ものすご~くタメながら(笑)原稿をお読みになっている方
それに、ナンと言っても「哀愁のハスキーボイス(笑)」大滝秀治さんなど
味わいのあるお声と語り口の俳優さんもイイですよね?
そういう意味で、我が家のイチオシは吉岡秀隆さんです♪
余談ですが…先日のラテ欄に、香川照之さんが早朝から「半沢直樹」ばりに
力強いトークをなさっているのは、ある種「熱血キャスター」という役を
演じていらっしゃるのかも知れない…といった内容のことが書かれていて
「なるほど!」と、そのテレビの使い方みたいなものに納得したんだけど
アニメや洋画のアフレコで、あんな風に「いかにも香川さん」って感じでセリフを言われたら
きっと、内容が入って来なくなるんじゃないかと…?(笑)