8月31日の早朝、朝刊を読んでいた奥さんが「えっ!?」と声を上げたので
何事かと思ったら、週刊現代の広告に「井上陽水、財津和夫、武田鉄矢、甲斐よしひろ…
熱情そして反骨『福岡』の物語 前編」の文字(笑)
そのかたわらに添えられていたのは、陽水さんと武田さんのお写真だけだったんですが
その日の夜、我が家のリビングには、もちろん「週刊現代」が鎮座しておりました(笑)
奥さんは、表紙にも広告と同じ見出しが踊っているのを指差しニンマリ(笑)
目次を見て、58ページを開くと「特別連載」「井上陽水、財津和夫、武田鉄矢、甲斐よしひろ」
「綺羅星のごとくレジェンドを生み出した奇跡の町」
「熱情そして反骨『福岡』の物語 前編」との見出しと
「多くのミュージシャンを輩出し『東洋のリバプール』と呼ばれた博多
町には若者たちの夢を懸命に支えた3人の名プロデューサーがいた。その秘史が明かされる」
…という、記事内容の簡単な紹介文があり
その記事の冒頭には「タモリや筑紫哲也も集った」との小見出しに続き
「その古い集合写真はリビングのいちばん目立つところに飾られていた
1993年4月10日、博多湾を望むシーサイドももちに完成した
『福岡ドーム』のこけら落としイベントがおこなわれた
写真はその『ドリームライブ in 福岡ドーム』1周年を記念し、'94年4月11日に撮ったのだという
イベントを企画した藤井伊九蔵がリビングの壁にかかっている写真の額を手に取り
懐かしそうに語り始めた」と記されていて
その左側のページに件の写真が載ってるんだけど
「『ドリームライブ』の当日じゃなく1年後!?」とビックリ!(笑)
更に、藤井さんは「ドームのこけら落としは、岸川さんと野見山さん、私の3人で手分けして
コンサートを開こう、と彼らに声をかけましてね
ドームのオープンからちょうど1年が経ち、もういっぺん皆で集まろうか、と
博多に呼んだときの写真です」と説明なさっているんですが
そもそもは、その「博多の3恩人」の皆さんに感謝の気持ちを込めて
「鍋でも囲みましょう」という、ささやかな慰労会でいらしたはずが
「そうか、今年、ドームが出来上がるのか
いっそ、やるか、そこで」という陽水さんの一言から
「お祭り好き」の血が騒ぎ…っていう流れで開催が決まり
それを聞きつけられた福岡出身の有名人の方々が参加を表明なさった
…という風に認識していたので、藤井さんを始め
3恩人の皆さんが仕掛け人でいらしたことに、またビックリ!(笑)
ともあれ…記事には「写真のメンバーをざっと数えると、総勢24人いる
半分以上がテレビやラジオの関係者だ
前列の中心に、九州朝日放送(KBC)の岸川均、RKB毎日放送の野見山実
そしてテレビ西日本(TNC)の藤井伊九蔵が座っている
岸川、野見山、藤井は'60年代半ばから福岡のミュージックシーンを演出した
音楽プロデューサー3巨頭と呼ばれる
福岡ドームオープンイベントの仕掛け人だ
くだんの集合写真には、その3人の後ろに見覚えのあるミュージシャンたちの顔がある
岸川と野見山のあいだから武田鉄矢が無邪気に顔をのぞかせている
白い歯を見せ、くしゃくしゃの笑顔でカメラに収まっている
その向かって右隣が井上陽水で、黒縁眼鏡に四角い顔
一見すると、そのあたりにいるサラリーマンのように見える
さらに井上の右隣が財津和夫だ。首を伸ばしてすましている
武田たちの後ろの列には甲斐よしひろたちの姿もあった
これだけのミュージシャンが一堂に介しているだけでも珍しい
おまけに彼らはドームコンサートそのもののために集結したわけではなく
1周年記念の宴のために集まったという。まさに希少な集合写真である」
…と、それこそ、まさに我が家の「ビックリ!」と同じことが書かれていて(笑)
その集合写真の右横には「前列中央に座るのが、岸川氏、野見山氏、藤井氏の『3巨頭』」との文字
そして、このページを開いた時、一番に目に飛び込んで来た
「in 福岡ドーム」というパネル?の下に、向かって左から
財津さん、陽水さん、甲斐さん、武田さんが並んで立っておられる写真が掲載されていて
「財津、井上、甲斐、武田らが結集した
『ドリームライブ』の1年後に行われた打ち上げで」というキャプションが付けられてます
この4ショットの中の甲斐さんは、黒いジャケットに黒いシャツ
肩のラインくらいの長髪、黒いサングラス姿でいらっしゃるんだけど
その1年後の「集合写真」では、少し短くなられた「おぐし」で、メガネもかけておられず
いかにも「プライベートな集い」って感じがします
ちなみに…「4ショット」の財津さんのお髭をたくわえられたお顔と
「集合写真」のメガネをおかけになった陽水さんは
「そう言われて見ないと判らない」くらい別人のようなご様子なんですが(笑)
記事の続きに…「宴会を呼びかけた一人が藤井だ。すでに傘寿を越え、81歳になる
『単純にドームのオープン1年後に打ち上げをしようと集まっただけだからね
岸川さんも野見山さんも亡くなって、いまや3人のうちで
生き残っているのは、僕だけになってしまいました』
藤井が'93年4月の福岡ドームコンサートを振り返った
『海援隊、チューリップ、井上陽水、甲斐よしひろの4グループを中心にして
4時間くらいのコンサートを開きました
甲斐の横にいるのが海援隊の千葉和臣です』」…と記されているのを読んで
写真を見直したら、一瞬「どちらのお隣?」と
スーツ姿の男性お二人のお顔を見比べてしまうほど別人みたい…って別人なんです(笑)
だって、千葉さんは、甲斐さんのお隣っていうより
中腰の姿勢で、前列の武田さんと陽水さんの間にお顔を覗かせておられるんだもん(笑)
それはともかく…「コンサートの総合司会のタモリは
前に福岡で『笑っていいとも!』をやってもらったこともあって
仲良くしていたので、僕が担当しました
タモリに出演を頼むため、博多の明太子を10箱土産にして東京に持って行ってね
こけら落としには大分出身の筑紫哲也なんかも来ました
TBSの『ニュース23』のエンディング曲を
陽水が歌っていた関係で声をかけてもらいました」と藤井さん
もう、ナンか、これまで聴いていた経緯と全く違う内容のお話をなさってるんだけど(笑)
前述の陽水さんの「一言」は、奥さんがドリームライブ終了後に立ち寄った「照和」で
注文したドリンクが出て来るのを待っていた時
カウンターの下に落ちていたのを見つけて持ち帰って来た(笑)
「関係者用パンフレット」に書かれていたものだし
タモリさんも筑紫さんも「福岡ドームで、そんな楽しそうなことをやるって聴いたら
『これはもう行くしかないだろ!』と思った」
…と「自ら手を挙げて」参加なさったという風に話されていたし
発起人は、藤井さんら3巨頭の皆さんでいらしたとしても
皆さん、ノリノリで快諾されたのは間違いないんじゃないかと…?(笑)