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王宮(2018ミャンマーno26)

2018-03-25 | アジア

  今日はマンダレー市内観光だ。国土のほぼ中央に位置し、人口93万人ミャンマー第2の都市マンダレーは、1885年イギリスに敗れ王様がインドに追放されるまで、ビルマで独立を保った最後の王朝の首都だったという。 

 幅70mの堀をめぐらし、高さ8mの城壁に囲まれている旧王宮に入ります。この王宮にも幾多の歴史が刻まれていました。王朝滅亡後にはイギリス軍が駐屯地として使い、1942年にはビルマに進出した日本軍に占領され、1945年日本軍と英印連合軍との戦闘の中で焼失してしまい1990年に再建されたといいます。当時のまま残されているのは城壁だけだという。現在は3㎞四方のこの宮のほとんどがミャンマー軍の施設として使われているそうです。町のど真ん中に軍の広大な施設とは、驚いてしまいます。よってごく一部が一般に開放されているだけだという。

 橋の上から反対側を望みます。正面の小高い山「マンダレーヒル」といい「丘全体が寺院となったマンダレー最大の聖地」とガイド本は紹介しています。丘に登れば町全体がきれいに俯瞰できるでしょうが、私たちは訪れません。 

 王宮のすぐ入り口で、また反対側を写しました。 

  こうしてズームで写してみると、すぐそこにマンダレーヒルの山裾が見えている。

 左右に大砲2基。どこの国制の大砲だっけ、聞いたけど忘れた。正面の建物8層あるのかな、王宮メインの建物だ。 

 そして中に入ると正面の玉座に国王ご夫妻。

 

 ふむふむこうして諸行事が執り行われていたのか。 

 壁いっぱいにこんな絵が飾られていた。お堀に囲まれた旧王宮だ。〇印のあたりまで歩いたらしい。それより奥は軍隊さんの敷地になっているのか。どんな姿か航空写真で観てみたい。矢印のところは新婚さんと集合写真を撮影した場所になる。  

 王さまの写真が飾られていた。1885年イギリスに滅ぼされる前だからずいぶん古い写真だ。ご婦人は4人いたと聞いた。一番左の写真はずいぶんくたびれている。その姿はおばあさん。最初の奥さんかもね。 

 

 

 

 「さあ写して」とご婦人方がきれいに並んでくれた。断っておきますが撮影者は私だけではありませんよ。ミャンマーの人たちはみな優しいし穏やかに映る。カメラに目線があっても「いやよ」なんてことはまずなかったと記憶する。 

 私たちの旅の安全を祈ってくれたのか、合掌してくださるのでした。 

 新婚さんがいらっしゃった。そこで集合写真。お二人を撮影していた大きなビデオカメラのお兄さんもさぞ忙しかったことでしょう。いろいろなアングルから私たちを狙っていた。ひょっとしたら、彼らの一生のワンシーンとして私たちも残り続けることになるのかも。 

 

コメント
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