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奥尻島津波館(2021北海道no7)

2021-08-05 | 北海道

 写真パネル展。そこには・・・海底地震、大津波、大火災、崖崩れ、家屋や家族を失った悲しみ、心の痛みなど忘れることができません。その時を振り返えり被災者の心情を考慮し、今まで一般に公開されていなかった現場写真を展示することによって、いつまでも、この未曾有の惨状が語り継がれ、人々が防災に対する意識を失わないようにとの願いを込めて・・・などと被災10年後の2003年7月奥尻町がご挨拶を書いていた。

 

 パネル展の頭がこれ。「玄濤の島」さて、この玄濤とは何か、漠然とその意は分かるような気もするのですが、翻訳が欲しい。

 展示されている写真を何枚か写してみました。「炎上する青苗地区中心市街」それぞれの写真に小さくコメントされています。

「大津波に引きさらわれた青苗岬の跡地」

   「惨状に立ち尽くす」

    「爆風の被災地」

  「根元が折れた灯台」

   「一部が欠けた名所なべつる岩」

 「天皇皇后両陛下。被災地お見舞い」被災から15日後自衛隊のヘリコプターで奥尻空港に。日本のどこでも大きな災害に見舞われたところには、このお優しいお二人の姿が必ずあるのだという印象を強く覚えます。

  「秋篠宮同妃殿下、ご来訪」被災5周年追悼式に。

 映像ホールで映し出された震源地と各地の震度。平成5年(1993)7月12日午後10時17分 マグニチュード7.8   その直後、暗い海から大津波が島にせまってきました。

 各地区の被災の状況が示されていた。このほかにも被災ヵ所を示している画もありました。山から海まで全島が丸まる被害ヵ所なのでした。映像の背景に見えている四角窓は亡くなられた198名を悼む「198のひかり」慰霊の窓。ステンドグラスとの説明もありましたが、ステンドグラスらしさの確認はできませんでした。

 皆さんがいなくなったところで映像ホールを写しました。「198のひかり」数えてみたら確かに198個の穴があけられていました。どんな技法でここに映像を写したのでしょうか。

コメント
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